2.16.2020

[film] The Personal History of David Copperfield (2019)

13日、木曜日の晩にPicturehouse Centralで見ました。 英国ではLondon Film Festivalで上映されて、1月末に公開されてだいぶ経ってしまっているのだが米国はこれから(5月?)なのね。

いうまでもなくディケンズの”David Copperfield”の映画化で、でも翻訳で読んだのは数十年前だし、ディケンズ掘りでもないのでだいじょうぶかな、だったのだがまーったく問題ない。原作読んでなくてもディケンズ知らなくてもぜったい楽しめると思うし、見たら読みたくなるよ。

大きくなって成功しているらしいDavid Copperfield (Dev Patel)がそんな大きくないホールの壇上で、ひとり自分の生い立ちを語り始めるところから。
そこから先は、ディケンズ好きならこれぞディケンズの.. って大喜びしたくなるかもしれない変人奇人性悪変態 ..  - でも「ふつう」の人々があんま出てこないのでなにをもってそう言うのかわかんなくて、とにかくそういう連中がはばを利かせているのでストーリーもくそもないような行き当たりばったりのなるようになれワールドが転がっていって誰にも止めることができないし止める気もないし。 

登場人物ひとりひとりがどんなふうかを紹介していったらディケンズの本になっちゃうのでやらないけど、ロバをみると狂ってすっとんでいくBetsey Trotwood (Tilda Swinton)とか、”Dumb and Dumber”のJim Carreyにしか見えないUriah Heep (Ben Whishaw) とか、とにかくまともぽい人はあんま出てこない。変な人たちが好き勝手に動いたその果てに浮世離れした世界を作っていく、というとWes Andersonの世界を思い浮かべるし、確かに似たところはある - というかWes Andersonがそもそもディケンズぽいのか - のだが、彼のほどカラフルにスタイリッシュに構築された世界のかんじはなくて、もっとストリートっぽいというか、野蛮で猥雑で雑然としてて危なっかしくて、いろんな人に出会って変わったり変えられたりしてのどきどきと、人はどうしてこんなにも違ってて邪悪だったり善良すぎたりしながら遠くに動いていっちゃうのだろうか、どうなっちゃうのかな、どうすることもできないのかな、って笑いながらも切なさみたいのが来るところはディケンズを読んでいるときの感覚に近いかも。

最後はみんな笑っているのだがそこに説教とか教訓めいたなんかはこれぽっちもなくて、こんなのとにかく乗り切ったりやり過ごしたりするしかないよね、みたいに突っぱねてくるところは今の我々の世の中と繋がっているのだと思った。

ひとりひとりの違いでいうと演じている俳優さんも - Davidはインド系だしMr Wickfield (Benedict Wong)はアジア系だし、その娘のAgnes (Rosalind Eleazar)はアフリカンだし、肌の色なんてそれがなにか? みたいな出し方はなんかよくて、そんなとこ、だれも気にしていないでしょ、っていう世界なの。

原作はこれまで何度も映画化、TV化されているのだが、1935年のGeorge Cukor版は見てみたいなー。

Dev Patelさんの必死さが全身から滲んでくる演技はここでも冴えていて、次はDavid Loweryの新作なのね。

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