順番は前後しますが、9日の土曜日の晩、日比谷で見ました。「完全なるチェックメイト」
“Bourne Supremacy”と韻をふみそうでふまない。
冷戦の頃、国の威信をかけて米ソ - Bobby Fischer (Tobey Maguire)とBoris Spassky (Liev Schreiber) - がアイスランドでチェス対局をしたときのお話し。
大一番の初戦で敗れたあと、周囲から行方をいったん晦ませて部屋の暗がりに籠ったBobby Fischerの姿から遡って、BrooklynのJewishコミュニティの片隅でチェスに目覚めた子供時代から時代時代のBobbyの動きを、神経質な変人の挙動を、チェスの駒の動きを追うかのように(そんなふうに追えるものかどうかも含めて)辿っていく。
あの時代の国家同士のやりとりをチェスのゲームに例えて、みたいな解りやすい見せかたはせず、すべてはBobby Fischerの頭のなかで絶えず呪文のように渦を巻き続ける - そこには常に影の脅威として底から突きあげ、つきまとってくるソ連のSpasskyの姿もある - 駒の交錯や食いあいどつきあいとして世界は、見えて、聞こえてくる。 ここでは過去も現在も、頭のなかで起こるそれらの召還や混濁も、ものすごい情報の奔流として、そのバリエーションとして、ひたすらやかましく脳内を圧迫する目障り耳障りななにかとして現れてくる。
最後の方でBobbyが、すべては思考と記憶の産物で、だから無限にあると思われがちな駒の動きも実はものすごく限定されたものにならざるを得ないのだ、というようなことを言うのだが、ここに勝敗もことの次第も集約されてきて、そんな安易なふうでよいの? と思わないでもないのだが、この映画のBobby Fischerと世界の描き方 - すべてがなんかいびつでぼやけたり滲んだりくすんだりノイズに覆われたりしているそれ - を見るとそういうもんなのかも、と思ってしまう。 冷戦の時代の「正史」なんて誰がどうやって描くことができるのか、という問いに対する答えのサンプルがここに。
Bobbyの頭のなかで絶えず鳴って蠢く音 - 硬くてごつくてリアルなよい音 - のドラマ、として聴くこともできる。 そして世界は当時のポピュラー音楽やラジオの音声を通してちゃらちゃら右から左に流れていくばかり。
同じ耳鳴り自閉系の天才のドラマとして”A Beautiful Mind” (2001)と見比べてみたらどうか、とか。
彼特有の醒めた目の動きをして揺るがないTobey Maguireがすばらしくて、Spassky役のLiev Schreiberも、Bobby Fischerのお付きの神父役のPeter Sarsgaardもゆったり優雅で素敵で、優れた男優たちのドラマでもある。
アイスランドに移住した晩年の彼の写真(本人)が最後に出るのだが、彼はかの地でひつじ飼いなったのだな、ということがわかる。 「ひつじ村の兄弟」を見てからこれを見ると、ぜったい笑うよ。
1.11.2016
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