1.27.2016

[film] La fille coupée en deux (2007)

17日のごご、「悪の華」に続けて見ました。 これもすんごくおもしろくてねえ。
「引き裂かれた女」。英語題は “A girl cut in two”。

それなりの知名度の初老の作家、サン・ドニ (François Berléand)がいて、妻もいるのだが自宅によく来るエージェントの女性ともなんかあったふうで、要は女好きでグルメで、彼がTVのお天気キャスターのガブリエル (Ludivine Sagnier)に目をつけて一緒に食事をするようになって、彼女は抵抗しつつもだんだんに調教されていく(「調教」の場面があるわけではないが、そんなようなかんじで彼の虜になっていく)。

それを横目で見ていた富豪のドラ息子で遊び人のポール (Benoît Magimel)が彼女に執拗にアプローチをかけて、ガブリエルは最初嫌がっていたのだがサン・ドニに冷たくされた腹いせだかなんだか(よくわかんないけど)で、結局ポールと結婚してしまうのだが、そこには愛のない世界がどんより広がっていて、ぜんぶあのじじいのせいだ、て激昂したポールは。

片やインテリの金持、片や成金のぼんぼん、それぞれに(こちらには見当もつかない)闇だのゴミだのを抱えた野郎同士の割とどうでもよい不寛容と諍い、その間で引き裂かれてしまった小市民の女の子 - 二人の男を翻弄するのだが、ファム・ファタールとはちょっと違う。 これも「悪の華」と同様、どこのなにが悪いのかよくわからないまま事が進行して、あれってなんだったのかしら? になる典型のようなお話し。 例えば「悪の華」は屋敷の奥で、「引き裂かれた女」は公衆の面前で進行するような違い。

あと、作家が彼女をオークションに連れてってピエール・ルイスの「女と人形」の挿画入り初版を2000€でひょいって落としてプレゼントするシーンがあるんだけど、あんなことされたらいちころで落ちる、て思った。(でもこの娘ときたら...)

映画の後で元New York Film Festival (NYFF)のディレクター、Richard Peña氏によるトーク。
なんとぜんぶフランス語でやってた。 すごいねえ。

JLGの「勝手に逃げろ」での黒板上のカインとアベルの対立関係を20世紀初から始まるフランス映画とアメリカ映画の、更にはフランス映画批評とアメリカ映画批評の歴史を貫く対立・相互作用のメタファーと置いて、両国の映画と批評の歴史を概観した上で、60年代にヌーベルヴァーグの映画作家として、批評家としてそのキャリアをスタートさせたシャブロルにクローズアップする。

そこから5人組のなかで最もアメリカ映画のスタイル - 特にフィルム・ノワール(定義 : ①Visual Style - 表現主義的なそれ ②ストーリーテリングに重要性を与える ③社会 - 特にブルジョワに対する厳しい批評的目線)がもたらした様式を更に拡げて進化させようとしたシャブロルの作家論と「引き裂かれた女」の詳細に入っていく。

んで、ノワールを家族の持つ本質的な暴力性 - 家族が如何に自分たちを守るか - を暴く邪悪なメロドラマとして再定義するあたり、なるほどなー、と。 「悪の華」もそうだよね。

1906年に実際に起こった事件を元に、1955年のRichard Fleischerの"The Girl in the Red Velvet Swing" - 「夢去りぬ」を経由(したかしなかったかは不明だが)して、事件発生から100年後、現代のフランスを舞台に映画を撮る。 50年単位の、冗談みたいな飛び石の不思議とおもしろさと。

55年の映画 - の題材となったのは1906年、建築家のStanford White(有名なとこだとWashington Squareの凱旋門はこの人のデザイン)が、観劇中にHarry Thawに撃ち殺されてしまった、ていう事件。 Fleischerの映画ではStanford WhiteをRay Millandが、Harry ThawをFarley Grangerが、引き裂かれてしまったEvelyn NesbitをJoan Collinsが演じている。 Peñaさんの説明だと、Harry役のFarley Granger(「夜の人々」の彼ね)がキャラクター的にちょっと弱い、とのことで、そこのとこはなんかわかったかも。 
とにかく「夢去りぬ」は見たいなー。

ものすごくシンプルで包括的で、それこそ彼がNYFFでやっていたように(今もやっているように)アメリカとフランスの歴史や文化も含めての連環を表に出し、並行して個々の作家作品にも切り込んでいく - そういう楽しさに溢れた講義だった。 わたしがこの上映に来たのは彼のトークがあるって知ったからだったの。

NYにいた頃、この人が前説やトークをやる映画はぜったい面白いから見なきゃ、ていうふうに見る映画を選ぶ傾向は確かにあって(だって知らない映画ばかりだったし)、このひとがいたLincorn Centerでの特集上映とか、もちろんNYFFとか、ぜんぜんはずれがなかった - 今だとKent Jones氏がいて、Gavin Smith氏がいる。 Film ForumにもMOMAにも。 

例えば、2010年(48th)のNYFFのラインアップなんか:
オープニングが”The Social Network”, クロージングがイーストウッドの”Hereafter”, JLGの”Film Socialisme”, キアロスタミの「トスカーナの贋作」、ラウル・ルイスの「ミステリーズ 運命のリスボン」、ホンサンスの”Oki's Movie”、オリヴェイラの「アンジェリカの微笑み」、アピチャッポンの「ブンミおじさん」、そしてアサイヤスの”Carlos”..  これらを全部オーガナイズしたのが彼なんだよ。
そしてこの時の、”Carlos”上映後のトーク、更に”The Cinema Inside Me: Olivier Assayas”ていうタイトルで行われたAssayasとPeñaの対話の濃かったことすごかったこと。

あと、Richardさんとはトイレで何故かとってもよく会うのだった。 最後に会ったのは彼が最後にDirectorを務めた2012年のNYFF,  Bertrand Bonelloの”Ingrid Caven, Musique et Voix” - Ingrid Cavenさんの圧巻のライブパフォーマンスを記録した(だけの)フィルム -  そのときのトイレだったねえ。 解説ももちろんすばらしかったけど。

どうでもよいけど。  彼、ずいぶんやせたよね?

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