それにしても、毎日しぬほどねむい。 どこか壊れているのか。
31日の大晦日の午後、新宿で見ました。 今年最後の1本。年が明けてから見るもんでもない、気がしたので。
「神様なんかくそくらえ」
NYの路上(おそらく、Upper Westのほう Needle Park?)でからからに擦りきれて鼻が嘴みたいに尖がった女の子 - Harleyが同じようなぼろぼろの風体の男 - Ilya(Black Metal好き)にびーびー泣きながらごめんよう許してよう、て喚いていて、Ilyaのほうはうるせえ死んじまえ、みたいに怒鳴って、Harleyはわかったよう、って剃刀買ってきてやっちゃうからねマジだからね、とか言ってほんとに手首切って病院運ばれて、でもとっととそこを抜け出して仲間のとこに戻って、食事するみたいに薬もらって薬が切れるとわめいて暴れて喧嘩して、みたいな修羅場がえんえん続いていく。 仲間にしても薬にしても煙にしても、自分がハイになれるかなれないか、その境界、一線を求めて、屋外を雀とか鳩みたいに彷徨っているばかり。 やがて泥棒とかをやって得たお金でどっかに行こう、と北行きの長距離バスに乗って二人旅に出るのだが、Harleyが寝ている間にIlyaだけ降りちゃって、彼は寒いからそこらの廃屋にもぐりこんで寝ているときに火事で丸焼けになっちゃって、彼女は泣きながら元の場所に戻って、結局なにもかも前とおんなじで。
修羅場も喧嘩も注射針もアルコールも煙も、ぜんぶ苦手で見たくない関わりたくないと思いながら片隅でひっそり生きようとしているのでなかなか見ているのはきつかったのだが、なんでそういうことになってしまったのか、とか経緯や背景の話も、親兄弟も学校も職場の話も一切なく、タイトル通り天国もくそもない地点(神様なんてとてもとても)から始まっている、その突き放したかんじはよかったかも。 救いがあるとしたら注射針か、みたいな。
主人公の実体験に基づく実話、らしいが"Heaven Knows What"て始めからケツまくっているので、「たいへんでしたねえ」とでも言っておけばよいのかどうか。
そういう始まりもなく出口もない底抜け状態を表すのにうにょうにょとうねってくねって止まらない電子音楽は恰好で、74年の冨田勲の「月の光」とAriel Pinkがあっさりすんなり同居している。 たぶん200年前から路上で繰り返されてきた擦り切れた木っ端のような風景と中心のない空洞で鳴り続ける電子音はとっても相性がよいのかも。
あと、タイトルバックとか、John Cassavetesなんかを意識しているのかしら。 果てしなく流れていく、みたいな。
同じ系統の薬まみれでせつない青春映画、というと"The Panic in Needle Park" (1971)が思いだされて、あれもUpper Westが舞台だったけど、青春映画としてはこっちのがよかったかなあ。 "The Godfather" 前のAl Pacinoが出ていて、Film ForumとかでNY映画の特集なんかがあるときには必ずかかる古典。
どうでもいいけど、主人公達がドラッグストアで万引きしてマガジンスタンドに転売する"5Hours"のドリンク(5時間眠くなりません、てやつ)、ぜったい、ぜんぜん効かないんだよね。
Pierre Boulezさんが亡くなりました。
クラシックだと、ポリーニさんに次いでたくさんライブに行ったひと。 2003年の3月、Carnegie HallでEnsemble Intercontemporainが演奏した”Répons”とか”Éclat”はすごかったなあ。 古典とモダンを極めて理路整然に繋いでしまう音楽家であり指揮者でありすばらしい笑顔のおじいちゃんでした。
天国ではどんな音を鳴らしているのでしょう。 ご冥福をお祈りします。
1.07.2016
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