14日の火曜日、仕事が終わったのは16:30くらいで、そこから着替えて地下鉄のってMetropolitan Museumに行ってみました。
今回Metで見たかったのはこれくらいだったかも。
会場は2箇所に分かれていて、1階の特設ギャラリーと、ずっとリノベーションしていた地階の旧Costume Institute - 名前を変えて "Lizzie and Jonathan Tisch Gallery in the Anna Wintour Costume Center" (ついにやったねAnnaW) と。
ボールガウンてなんかすごい、と思ったのは2012年のV&Aの展示"Ballgowns: British Glamour Since 1950"で、そのときにCharles Jamesの作品はあったのかなかったのか。
1階の展示は、薄暗いフロアのひとつひとつの台の上にボールガウンが乗って(立って)いて、その横でロボットアームがそれを個別にスキャンしてて、その横のディスプレイ上にスキャンされたフォルムとそれが被さるボディのフォルムが重なってCGで流れていく。
こんなの事前に作っておいた画像をリピートさせておけばいいじゃん、とか懐古モードでやってきた老人達への嫌味か、とかいろいろ思うのだが、ようく見ていくとなかなかとんでもないことがわかる。
まずねえ、ボールガウン個々のフォルムがなんかすごいの。それこそAlexander McQueenのときに感じたのと同様の異様な、アヴァンギャルドな意匠感に溢れていて、近寄っていくと、ディスプレイ上で刻まれる白い線が描きだすガウンのフォルムと、それがボディのフォルムにぴらりと重ねられていってひとつの全体を作り出す瞬間、その工程のぞわぞわするかんじときたら。 そしてそれを操作実行しているのがぶっきらぼうなロボットである、ていう微妙な倒錯感。 フィギュアにはまるひとの快楽ってこういうところにあるのかしら、とか思った。
物理的には、女性の身体のカーブの上に折ったり縫ったり尖がらせたりした布を重ねているだけである、ことがロボの操作でわかる、わかりすぎるくらいわかるのだが、それだけではないなにかがあたまの裏の想像界から吹き出し、染み出てくる、それをもたらしているのがCharles Jamesのデザインであり、彼の創りだしたガウンの連なりである、という。 - Beyond Fashion。
ほんとに40年代とか50年代なの? みんなこんなの着て出かけたりしていたの? だとしたらめちゃくちゃかっこいいじゃん、とか。 レッドカーペット上でBest / Worstとかやっているゲームあれこれとは全く別の次元にある鎧のような力強さ。
1階の照明は暗くて、色彩よりもフォルム/形象を見るための展示で、地階のは色味とか生地とか縫い目とか、そういうのを見るかんじ。
地階にあったコートとかケープとかも、いかにも40年代だったり50年代だったりするのだが、でも素敵なのだねえ。 昔の映画ならなんでもいい、ていうのと同じようにこの時代のお洋服、なんでもいい、と言いたくなる。
カタログ、欲しかったけど重さであきらめた。
この後、バスで5thを降りて閉館間際のMOMAに行って、走りながらざあーっと見た。
Alibis: Sigmar Polke 1963–2010
ドイツの画家Sigmar Polkeのレトロスペクティヴ。ドットとかぎざぎざこまこました点と線とぐんにゃりした面(現実)が重なって干渉しあって、かっこよいったら。 クラウトロックなかんじ。
Lygia Clark: The Abandonment of Art, 1948–1988
ブラジルの女性アーティストのレトロスペクティヴ。 オブジェに埋もれる体験アートの実演とかもやっていた。 よくもわるくも素朴なかんじ。 トロピカリズモ。
Frank Lloyd Wright and the City: Density vs. Dispersal
部屋のまんなかにでーんと置かれた”Broadacre City. Project, 1934–35”の模型がかっこいいったら。
ゴーギャンは、なんかめんどくさそうだったので、パスした。
で、このあと地下鉄を乗り継いでWilliamsburgに出て、Rough Tradeで何枚か買ってからG LineでBAMに向かって”Breaking Glass”見て、そのあとまたGでWilliamsburg戻ってFaint見て、1時過ぎにお宿にもどった。 この不良…
5.21.2014
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