再び時間が前後しますが、20日の土曜日、アンスティチュで見ました。
「映画とシャンソン」特集の、自分にとってはこれがラスト。
これ、字幕なしはちょっときつかったかも。
妻娘ある中年男ルイの1978年から1987年までの、それぞれの年の10月15日、そのなかの9分間をワンシーン、ワンカットで切り取り、それを10年分。 最後のエピソードだけ、カットが割られていて、それはつまり、ルイが動けなくなったことを意味するの。
その10年間で、ルイは妻娘と別れて家を飛び出し、浮浪者に拾われて男と恋をする喜びを知り、3人の男との間で想ったり想われたりを繰り返し、HIVに感染し、他方で妻とも娘とも再び仲良くなって、娘は結婚して、やがて全ては許される ~ "Once More" (Encore !) の境地に移行していく。
ルイに起こったこれだけのあれこれを、彼のエモーション、その欲望と葛藤のひだひだ、それが引き起こすドラマを作為的に切り取られたひとこま9分、10年分の連鎖連結のなかで簡潔に(簡略化することなく)描きだすにはどうしたらよいのか。 そこには明らかにシャンソンが必要で、ルイがこちらを向いて歌う、或いは彼のまわりの人たちが歌う、そのコーラスが、そこで何が起こっているのかを(説明するまでもなく)こちらに届けてくれる。 ていうか、これは歌があるからこそ可能となった様式のように思えて、そうするとそれって我々の、それぞれの(例えば)10年についてもまったくそうで、音楽で仕切られ、点滅しながら転がっていく無数のグリッドのなかで、その再生ボタンを何万回も押しながらみんな生きたり死んだりしていくのよね、ということをしみじみ思ってしまうのだった。
んで、どこにでもいそうな中年男のある日の決意と別れ~転落から新たな愛、そして死といった出来事が、物語的にはファスビンダーぽく推移して、でもタッチはロメールのようで、それがミュージカルになっていて、すばらしかった。
外は秋なのだった。 秋の映画だねえ。
字幕つきでもう一回見たいよう。
10.26.2012
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