21日の日曜日、今年のTIFFの最初の1本。
相変わらずCMがひどい。あんなのInternationalな恥さらし以外のなにもんでもないわ。
どっかの宗教団体のCMかと思ったら「東京都」だし。 どいつもこいつも、映画を見て幸せになれるなら、こんな楽なことねえんだよ、くそったれ、とか。
この映画の最初のほうで、主人公が、周りでみんななんかわーわー言ってるけど、ぜんぜんConnectできない。どうでもいい、好きにやってろ、って毒づくのだが、それをそのままCM作った連中にぶちまけてやりたくなる。
冒頭から、そんな具合にセラピーを受けているらしいMaryは、小学校の臨時教員をやっているのだが薬物依存で明らかに挙動がへんで、まわりのグチがオペラになったり(ソプラノで"Fuck you - - -♪")、父兄参観でだれかの父親とやったとこを糾弾されるのが演劇になったり、教えている教室に水が溢れだしたり、膨らみすぎた借金で破産したことがわかるとそのままミュージカルレビューになだれこんだり、これらはどうみてもMaryの頭のなかで起こっていることだよね、ということがわかってくる。
彼女には子供が4人いて、妹(Sienna Miller - すばらし)がいて、で、現実にも彼女は学校をクビになり、破産して妹とも大喧嘩して、すべての居場所を失い、それでも依存症から抜けられないので故郷のオクラホマに戻って養生しよう、と車に乗っていくのだが、その途中の刑務所とか、実家とかでやはりいろいろわかってくるものがある。
実家にはママのMelanie Griffithがいて、祖母のGena Rowlandsがいて、病院から出てきたばかりらしい姉もいて、姉はMaryと顔を合わせるなり自分の腹にナイフを突きたてて裂いてしまうし、祖母はMaryにはっきりと敵意を抱いているし、まだまだいろんなことがある。
そんなふうでも(そんなふうだからか)彼女は薬を手放すことができなくて、だから幻覚は続いていって、近所の人たちとのパーティでは全員が家畜に変化してテーブル上には鶏がいたり、どこからどこまでが彼女の頭の中で、どこからが外なのか、わからなくなる。
それでも、彼女は断固引かなくて、負けなくて、姉と血みどろの修羅場をやって、母とも祖母とも大喧嘩をして、再び実家を出ていくの。
なにが起ころうとも、どんな痛い目にあおうとも、実際にどんなに悲惨だったとしても、自分を絶対に正しいと信じて曲げない、だからどうしたっていうのよ、と。 赤信号じゃない、確かに青とは言えないかもしれないけど、黄色だから、だからGoだろ。
これはMaryだけじゃなくて、この家族の女たち全員がそうで、そうしてみんな一見幸せそうに見えるから、誰も手をださない。
男共は... 父親は既に死んでいるようだし、兄は刑務所にいて一生出てこれないようだ。
ここまで来ると、誰もが思いあたる女性像があるはず。
"A Woman Under the Influence" (1974)の、"Opening Night" (1977)の、"Love Streams"(1984)の、Gena Rowlandsである。 この映画のMaryは、薬物やインセストといった外傷に引きずられてはいるものの、その揺るぎなさと断固愛に立ち向かうその強さにおいて、まるで彼女の生き写しのようだ。(そして、この映画のGena Rowlandsも久々に強く漲った演技を見せてくれる)
そいで、かつてJohn Cassavetesがそういうのを妻に演じさせたのと同じように、息子のNickは妻であるHeather Wahlquistと一緒に脚本を書いて、主演までさせてしまう。 なんという(女系)一族なのよ、としか言うほかない。
ラストでの彼女は、"Love Streams"でのGena Rowlandsと同じように新たな幸せを見つけたかに見えるのだが、しかしぜんぜんわかんないし信用できないの。 なにしろ半分アニメなんだもの。
あと、これは素晴らしいミュージカルとしても見ることができて、幻覚シーン以外にもRadioheadの"Codex"が流れるし、Gillian Welch and David Rawlingsがあるし、M.Wardもあるし、そしてすばらしいところでTracey Ullmanの"They Don't Know"が高らかに鳴り響くの。 嬉しくて鳥肌が立ちましたわ。
んで、なんとなく、クリストフ・オノレの家族映画とカサベテスの家族映画の違いをぼんやり考えている。 フランスとアメリカの-。
Q&Aのあとでちょこっと檀上にあがった(カサベテスの)孫娘っこ、早く大きくなるのよ。
10.21.2012
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