10.31.2012

[film] Après mai (2012)

土曜日の風邪がみるみる悪化して、TIFF最終日のお楽しみ - カンボジア映画2本は諦めてずーっと寝てて、夕方になんとか立ち上がってこれだけ見てきました。 見ている間は快調だったが帰宅したら見事にぶりかえして火曜日は会社やすんだ。

『5月の後』。 英語題は"Something in the Air"。 BAMでも27日に上映されていた。

71年のパリ郊外の高校、まだ燻り続けている68年5月の後で、アングラ機関誌を売ったり暴動に参加したり高校に夜撃ちかけたり、他方で左翼系の映画製作に関わったり絵を描いたり、それから女の子ともあれこれあったり、その時代の子として「革命」に靡きつつも十分身を捧げることはできず、だからといって何をするともなく道を求めて彷徨うGillesの姿を中心に、あの時代、革命の中心から時間も場所も少しだけ離れたところにいた若者はどんなことを考えて、動いていたのかを、つまりは71年の青春を、描く。

言うまでもなくGillesはアサイヤスの分身で、その本体のほうには映画とは別に(映画よりも前に書かれた)『5月の後の青春 アリス・ドゥボールへの手紙、1968年とその後』という本があって、これを読むとそういうことかー、とわかることもいろいろある。

これって、今の自分はどうしてこんなんなって、こんなところに落ちてしまったのか、という大姐御アリス・ドゥボールへの問いに応えるという形を取りつつも、実は当時つきあい始めた利発な26歳下の恋人ミア・ハンセン=ラヴへの「申し開き」をつらつらやっているという、割としょうもない本なのだが、それにしても真面目なひとだよね。(すけべだけど)

"Carlos"で「革命」に向けてじたばた走っていくCarlosを、その挫折も含めて描いたのと同じようなやり方で、「革命」を夢見てじたばたしつつも、最後までそこに乗りきれなかったGillesの行方を描く。 どちらがどう、という話ではなく、あのときは、ああだったのだ、と。 周りがどう、ではなく、誰のせいでもなく、こうなった、という。 そこには自己弁護もナルシスティックな身振りもあまり感じられない。

或いは、『夏時間の庭』の場所で、『Carlos』の時間を描く、というか。
どちらも既に失われた、覚束ない記憶と共にあって、それゆえの作品としての弱さ、届かない距離のもどかしさ、はあるのかもしれない。
でも、もともと強くないものを強くは描けないんだ、とアサイヤスは言うだろう。 これをガレルの力強さでもって描くことはできないだろうし。

本作と同時代の同じ名前のGillesが登場する『冷たい水』は、もっとウェットに、あの時代の光と熱を伝えようとしているように思えた。
今作は、あんなこともこんなこともありました、という走り抜けてきたパスを(そこから推察しうる現在を)伝えようとしている、というか。
"Clean"や"Boarding Gate"にあった、思い切って向こう側にジャンプしてみる女性の姿は、今作でも確認できるのだが、男はそれができないまま、ぐずぐず右往左往してばかり、とか。

『冷たい水』で使われていた音楽は、Janisの"Me & Bobby McGee"とか、Alice Cooperの"School's Out"とか、Dylanの"Knockin' On Heaven's Door"とか、Leonard Cohenの"Avalanche"とか、CCRの"Up Around The Bend"とか、Roxyの"Virginia Plain"とか、Nicoの"Janitor of Lunacy"とか、要はこの時代のコアを照らしだすような、あの時、あの場所でくっきりと鳴っていた曲群だったのに対し、今回のはSyd Barrettの"Terrapin"に始まって、The Incredible String Bandの"Air"、Dr.Strangely Strange、Johnny Flynn、Captain Beefheart、Nick Drakeの"Know"、Soft Machine、んで最後にKevin Ayersの"Decadence"、などなど、どちらかというとプライベートなレコード棚から、あの頃からずっと流れ続けている、というかんじの曲が多い。

女優さんはいつものように素敵で、"Goodbye First Love"のLola CrétonさんとCarole Combesさんと。
ひとりは憧れていたのにロンドンに行って届かない人になり、もうひとりは一旦離れてまたもどってきてさてどうしよう、という。

あとは、Gillesの部屋にあった(はずの)本とかレコード、ぜんぶ見たい。
Gregory CorsoとかAlighiero Boettiとか、固有名もいろいろ出てきて、それらがどういうふうにあの時代のフランスの若者のあいだにあったのかとか、もっと知りたい。

たぶんやらないだろうが、これの続編も作ってほしい。彼の"Disorder" (1986)に呼応するような内容のやつを。
というのは『5月の後の青春...』にあったパンクとの出会い以降の箇所(p140あたりから)は、たんに「パンクとわたくし」的な思い出話に留まらない、見事なパンク論考でもあったので --


個人的なはなしではありますが、昨日の10月30日、丁度20年前のこの日に自分は初めてNew Yorkに降りたったのだった。
20年のうち、11年くらいは、そこに暮らしていて、残り9年くらいの半分は、New Yorkのことを思いながら暮らしていた。よくないよね。

いまあの場所は、びしゃびしゃ大変になっているようだが、The Stoneはだいじょうぶか、とか、Film Forumは、とか、McNally Jacksonの地下は、Housing Works Bookstoreは、とか、その辺ばかり気になる。 かけつけたいよう。

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