10.23.2012

[film] 乾いた花 (1964)

順番が前後してしまいましたが19日、金曜日の晩、シネマヴェーラの篠田正浩特集で2本見ました。

この監督のことは殆ど知らなかったので、お勉強がてら。

最初のが、『乾いた花』(1964)

池辺良が村木(いかにも村木、ってかんじ)で、敵方を殺めて出所してきたばかりのやくざで、そのまま賭場にいったらそこにひとりで遊んでいる若い娘(加賀まりこ)がいて、彼女が気になって近寄ったらもっとでっかい金賭けてやりたい、とねだられたので連れていったりして、ふたりはなんとなく仲良くなる。 といっても二人できゃあきゃあ遊ぶというわけではなく、どっちも世に背を向けて車を飛ばしてつん、ていうかんじでつっぱりまくっている。

彼女のこと、彼女の正体が気になりだした頃に、命を狙われるようなことがあって、更にいろんなことが嫌になった村木は、別のやくざの殺し話に手を挙げて、実行して、再び刑務所に入るの。 
やくざ映画、なのかしら?

台詞は少なくて、村木の独り言が入るのだが基本不機嫌で、やってらんねえぜ、みたいなのばっかしで、加賀まりこも口を少しとんがらせて目ばかりが光っていて、正面向いたとこと横顔のショットがほとんどで、なに考えているんだかまったくわからない。

だがしかし、このふたりのビジュアルだけで最後まで押していってしまう強さはたいしたもんかも。
とくに加賀まりこの横顔て、すごいよねえ。

音楽は武満徹+高橋悠治。 原作は現東京都知事。
しかしなあー、虚無だの人の素性なんざ...だの散々主人公にかっこつけて言わせているくせに、虚無の対極にあるオリンピック万歳とか、素性の怪しいやつが町をうろうろしているのはいかん、とか平気で口にするようになるのだねえ。 ひとって腐っていくのねえ。

それから、『はなれ瞽女おりん』 (1977)

ニュープリントの現像がすばらしいと聞いたので見ました。 確かに問答無用の美しさ。
撮影は宮川一夫、美術は粟津潔、音楽は武満徹。

生まれた時から目が見えず、瞽女として育てられたおりんの一生。 掟を破って男と寝たためはなれ瞽女となった彼女は原田芳雄と出会って仲良くなるのだが、ふたりの行く手にはこれでもかこれでもかのかなしー運命が待っているのだった。

日本の四季のあれこれ、祭りの風景とかも含めてものすごくきれいに撮られていて、しみじみ美しい日本のわたくし、とか言いたくなる、のかもしれない。
のだが、その裏側には、おりんの運命をよってたかってもてあそんでずたぼろにしたにっぽん男共のスケベでやらしい性根、が藤壺のようにびっちり張りついているんだからね、わかっているよねそこのおっさん、くらいのことは言ってやりたい。

こんなに美しい景色をおりんはずっと見ることができなかったんだよ、それなのに彼女は、とおもうか。
彼女の心が見ていたものはこういう風景よりもずっとずっと美しいなにかだった、とかおもうか。

でもこれを、Sirk ~ Todd Haynesの『エデンより彼方に』のあたりのメロドラマとおなじように閉じた社会のグロテスクななにかがあぶりだされる映画、として見てしまう自分はいけないのかしら。

これを最後まで崇高さを失わなかったある日本女性への鎮魂、のように見ることはどうしてもできないのよね。 おりんの笑顔がほんとうに素敵だったぶん余計に。

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