5月27日、木曜日の晩、Criterion Channelの5/31でいなくなるリストを見ていて、あら懐かしい、になったので見ました。UCLAがリストアしている。
大昔の公開当時、まだ桜丘町にあったユーロスペースで見て以来かも。ミニシアターっていう分類もあったかなかったか、たんに米国のインディペンデント映画、とか呼んでいた気がする。
冒頭、中学の自主映画みたいにちゃちいCGとただの鉢みたいなコクピットの中で慌てている人がいて、錯綜したぴろぴろ音の後に、それはしゅん – ぽちゃ、って紙ゴミのように一瞬で水に落ちる。エリス島のそばに落ちたその中に入っていたと思われる男 (Joe Morton) – 後で”The Brother”と呼ばれたりするが喋れないので名前は不明な - がイーストリバーから這いあがってきて、片方の膝から下がなくなっているのだが、しばらくじっと念じていると再生されていたりする(足先は三本指)。彼 – かどうかも本当は不明 – が廃墟になった駅のようなところに入ると誰もいないのにいろんな人の声が聞こえてきたりするのだが、マンハッタンにあたる朝日を眺めてから再び川に落ちて、そこから船に乗って125th - ハーレムに降りたつ。ここまでが導入部。なぜAトレインでハーレムなのか?
彼は喋らないので、彼の旅がどこへ向かおうとして何をやろうとしていたのか、そもそも彼がどこ星の何某なのかは一切わからない。地元の人達がたむろするバーに入ってもジェスチャーのみなのだが、相手の喋る内容とか、人が困っていることについては察して理解して、アーケードゲームを直すのを一瞬の手かざしでやってしまったり、不思議な力を持っているらしい。最初は怪しまれながらもそうやってゆっくりハーレムのコミュニティ – それを成り立たせている行政とかどさまわりの歌手とかやなかんじの白人とか多種多様な人達のあいだ - に馴染んでいく彼と、どういう理由かは不明だが彼を追っているらしい白人二人組の男たち(監督のJohn SaylesとDavid Strathairn!)が立ちはだかってきて..
これって別に彼をわざわざ地球に落ちてきた男、としなくても、他所(他の土地、国)から流れ着いた変な男、としてもふつうに成立する話で、ただそこには、彼が黒人でべらべら喋らなくて無害でどちらかというと有益である、とか、その土地はハーレムとかクイーンズのジャクソン・ハイツのような場所である、といったような条件がついて、その条件って政治的かつ歴史的ななにかとして規定されうるものだよね、と思う。というようなことが最後までいくとわかって、つまりこれはそんなふうにして成り立ってきた社会=合衆国の姿を描いているのだ、というのと、でもそれにしてもいろいろ大変なこともあるし - 最初に出てきた声たちとか - これからもこうなのか、とか。
最初に見た頃はそこまで考えずに、見るからに低予算だけど不思議で謎めいててよいわ、とか洟を垂らしてぼんやり思っていただけだったかも。かわいそうでバカな子..
あの二人組はMen in Blackだったのかー。Tommy Lee JonesとWill Smithの映画はこのテーマを180度転換させて地球を防衛する話にしてみせたのね、と。そういうふうに見てみると、MIB、なんかやなかんじに見えてきたり。
これが白人 - David Bowie -だと”The Man Who Fell to Earth” (1976) になるし、見るからに宇宙人だと”E.T. the Extra-Terrestrial” (1982)や”Alien” (1979)になる。 なぜ”Sister”ではなく”Brother”なのか、とか、当時ややブームとなっていたSF映画たちと並べてみると、いろいろ見えてくるものがあるが、決して彼ひとりではなかった、というあたりはひとつのポイントかも。
あとはNYという街 - エリス島から入って、Brooklynに入ってハーレムに至る、その形成の過程を宇宙人も同様に反復しているという。 そうそう、“140 Broadway”という建物があったけど、あれは..
John Sayles、”Baby It's You” (1983)も久々に見返してみたいな。
禁外出が解けたし、明日はとうとう会社に行かねばならないし、区役所とかもあるので、しぶしぶ外にでる。
久々に見た町は、なんだか疲れて寂れて見えた。シャッター街になっちゃう手前くらいかも、とか。
でも区役所も銀行も相変わらずの光景 - 非効率、という点ではアメリカともイギリスともそんなに違わないと思うのだが、なんで日本のって悲惨に見えてしまうのだろう? だし、歩道を自転車がびゅんびゅん走っていくし、人はディスタンシング関係なく寄ったりぶつかったりしてくるし、車いなくてもきちんと信号守っているし、電車のなかは緊急事態宣言下とは思えないし.. 慣れてくるのだろうけど、いろいろ疲れた。
そうして疲れてばかりいてもかわいそうなので新宿の紀伊国屋に行って、少しだけ。本だけは戻ってきてもオンラインのクリックはしないで本屋に行こうと思っていたの。2年ぶりに日本語の本の本屋に行くと、なかなか来るものがある。パニックにはならないけど、ほぼ知らない本ばかりが入ってくる、ってすごい。 握りしめていたリストのうち、目についたのだけカゴに入れた - 『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』、『生の館』、『ミルドレッド・ピアース 未必の故意』、『かわいいウルフ』、とか、必殺で喉元にきた奴らから。文庫と料理本関係はまたこんど。
自分史上最悪だった5月が終わる。20年前の5月は二度目のNY駐在が始まったときで天に昇る思いだったのにな(でもその4ヶ月後に911が.. )。 6月はもう少しだけよくなりますように。
5.31.2021
[film] The Brother from Another Planet (1984)
5.30.2021
[film] Rare Beasts (2019)
5月26日、水曜日の晩、BFI Playerで見ました。 最近の英国映画なのだが、いくつかのレビューを読むと、“anti-romcom”とか書いてあって、なんか見た方がよい気がしたので見た。
女優のBillie Piperさんが一人で書いて主演した監督デビュー作。
TV制作会社に勤めるMandy (Billie Piper)がレストランでPete (Leo Bill)と恐らく最初のデートをするのが冒頭で、Peteはマッチ棒みたいな頭でもうじきハゲるのが見えてて眼鏡で声だけはでっかくて、べらべらべらべら尊大で自分が正しいと思っていてMandyのあれこれを決めつけてかかって、発言すべて女性蔑視満々で、全体としてとってもあんた誰? で(でもそこらにいそう。日本にはいっぱいいそう)、食事をしながら口論になって、喧嘩のように別れた直後に彼女は吐いてしまうくらい嫌な野郎だった。
で、ふつうであれば、こいつを最低基準線として、いちおうこいつに指摘されたことを正視して変わらなきゃとか思っていると、やがてそこそこの彼(or 雲の上のかんじのやつ)が現れて.. というのがふつうのromcomのパターンだと思うのだが、ここの場合はそっちに向かわない。 OCDの疑いのある男の子Larch (Toby Woolf)をもつシングルマザーで、仕事も恋愛も自分には後がなくて、自信もなくて、Peteの指摘した欠点に反発する握り拳も勢いもない彼女は、驚くべきことにPeteと付き合ってみようと思うの。
もうひとつ、家には老いてひとりタバコを吸ってばかりの母Marion (Kerry Fox)ともう別居しているもののやたらいい人として顔を出してくる - けれど経済的な支援は一切しないゴミのような父Vic (David Thewlis)がいて、この両親のようになってはいかん、というのもある。 理想に向かって走る季節は過ぎて、消去法で手元に残るなにかを積みつつ最悪を回避する、もうそういうアプローチしかないのだ、と。
こうしてLarchも連れてPateとデートを重ねたりしていくのだが、Peteは徹底的にやな奴なのでほうら、って事あるごとに上から乗っかってくるし、でもふつうにやられたらやり返せ、になるし、こんなふたりに未来はあるのか未来ってなんなのか。
この辺のリアルな認識 - もちろん、これがどれくらい今のUKの女性にとってリアルなのか知らずに書いているのだが - と、それに対するMandy - Billy Piperの全方位の怒りと苛立ちをどう受けとめるのか、そこを起点にしたPeteとのその後のぜんぜん前に進まない、相変わらず喧嘩まみれのどたばたは、人によっては見てて辛くて痛いだけのものかもしれない。 のだが、最後に全てがおじゃんになった後に「奇跡」が訪れる定番のromcomよりは普遍的なドラマとして機能しているように思えた。タイトルが「珍獣」であったとしても。
最近の近いドラマでいうと、やはり”Fleabag” (2016)だろうか。でもあのドラマにある笑いへの志向(こんなわたしを笑って)はなくて、すごく生真面目に、自分と周囲に小怒りをぶっつけながら錯誤迷走していく姿がよいの。やっぱりそんなの生々しすぎてちっとも見たくない、という人がいるのはわかる。
最後の雑踏(あれ、Alexandra Palace?)での告白シーンは、笑っちゃうような既定romcom路線へのパロディのようで、でもなんか悪くないかも。あの結末についてあれこれ語るのはやらない。いろいろ考えてしまうところもあると思うが、なんとなく強めに言い寄られていてこいつどうしようと思っている男を連れて一緒に見ると、いろいろ開けてよいのではないか(← やな目線)。
あと、結構いろんなひとのレビューが”Punch-Drunk Love” (2002)を引き合いにしているのだが、そうかなー。あの映画は結構romcomどまんなかだと思うんだけど。もう一回見てみないとー。
Tate Modernの前での子連れのデートシーン(散々の失敗におわる)、Tateの壁にChristian Marclayの”The Clock”の段幕が貼ってある。行ったなあ(泣)。
Johnny Lloyd and Nathan Coenによるサントラが素敵で、本人たちが語るようにHarry NilssonやJohn Brionの世界。それかThe Magnetic Fieldsとか。最後に流れるJohnny Lloydの“Next Episode Starts in 15 Seconds”(よいタイトル)がすばらしいの。
今日で自宅隔離は終わるらしい。ちっとも外に出たくないが、Uber Eats漬けから抜けられるのであればいいか。
エコバニの”Heaven Up Here”から40年経った、と。お茶の水のCISCOで、買おうかどうしようか1時間くらい悩んで棚の前で泣きそうになっていたあの時間からもう40年だというのか。もうしらん。
5.29.2021
[film] Exhibition (2013)
5月18日の晩、BFI PlayerのSubscriptionで見ました。Joanna Hoggの長編3作目。日本公開は.. されていないねえ。
元は“London Project”と呼ばれていた作品で、映画のロケーションとしては前2作のタスカニー → シリー諸島 → ロンドンときている。
これの前日に見た”Archipelago” (2010)には音楽がないのだが、最後に女性 - 姉Cynthia役のLydia Leonardのアカペラで”Cynthia's Song”という歌が静かに流れる。それのクレジットが詞:Joanna Hogg, 曲:Viv Albertine、となっていて、あ、って思ったのだったが、感想に書くのを忘れていた。
事前に調べたりしないで見ているので、まずViv Albertineのクレジットとお姿を見て、前日に続いてあっ、となる。主演は彼女が演じるD (Viv Albertine)とH (Liam Gillick)のほぼふたり。前2作で中心にいたTom Hiddlestonがぱりっとしたスーツを着た小綺麗な不動産業者として少しだけ出てくるのみ。
舞台はDとHが暮らすロンドンの西のモダンな邸宅。 この映画が捧げられている建築家James Melvinのデザインによるもので、調べてみるとHolland ParkとKensington Palaceの中間くらい - 高級住宅街どまんなかにあって、惜しいことに2019年に取り壊されている。で、DとHはどちらもアーティストで、子供はいなくて、18年くらい暮らしたこの家を離れて、ふたりの関係もどうにかしようとしているらしい。
Dは、パフォーミング・アーティストのようなのだが、それが見えてくるのは後半くらい - 全裸にテープを巻いて照明をあてたり - で、初めのうちはデスクワークをしていて、上のフロアにいるHとインターホンで連絡を取り合ったりしていて、Hの方もどういうアートの人なのかは、明示されない。ただ、生活に困っているかんじはまったくなく、お金持ちのボヘミアンであることは確か。
ふたりの関係はあまりうまくいっていないようで、一緒のベッドでなにかやろうとしても一方が死んでいたり、Dは椅子の縁で自慰のようなことをしていたり、裸で猫のようにごろごろしていたり、でもそれが不仲の原因ではないようで、その不仲も、喧嘩や殴り合いをしているからそう、というわけではなく、ただ刺々した断絶とか分断があることは確かで、それがこの家に起因するのか、それぞれのアートの志向に起因するのか、年を経たからなのか、一切説明されることはない。
とにかく、ふたりとも漠とした不安や苛立ちを抱えたままずっとそこにいて、互いを愛せる状態にないことはわかっていて、でもなんとしても別れないと嫌なのかというとそれほどでもない、家を手放そうとしているのもそれ故なのかどうなのか、それすらもわからない。ただ、1階(日本では2階)と2階(日本では3階)の間に丸い吹き抜けと階段と変なエレベーターがある、やや特殊な構造の家にずっと一日中暮らして、家のなかの細かな音や周囲の工事の音などに晒されていることで、ふたりになにかが起こったのではないか、ということはなんとなく伝わってくる。
少し話は逸れるのだが、NY(マンハッタン)を舞台にした映画って、NYのビジュアルが出てこなくてもアパート内に聞こえてくる音ですぐそれとわかる。それと同じようにロンドンもフラット内の床がたてる音、外から聞こえる工事の音、教会の鐘の音、などでわかるの。 工事の音なんてどこも同じじゃないの? 違うんだよ。
“Unrelated” (2007)も”Archipelago” (2010)もひとつの家空間に家族や親戚が集まってくる話だった。その人数は作品を経るごとに減っていって、今作ではついに夫婦のふたりだけになった。更にこの作品は家に集まる話ではなく、家から離れる話で、その因果関係(家なのか人なのか)はわからないけど中心にいる家族はなんらかの不和や傷を抱えて互いを信じたり愛したりすることを止めている、とか。ひとつ屋根、というのはそういうものなのか、家族集団、というのがそういうものなのか。 というあたりを映画というよりパフォーマンスを収めたフィルムの固定画面のテンションで並べていく。かんじとしてはMiranda Julyのやっていることに近いような。
でもまあ、家族は仲良くあるべし、なんて別に誰も言っていないから。絆とか言って興奮してるのはどこかの国のバカな政府だけだから、この描き方はよいの。 家は古くなれば壊れるし朽ちるし、家族だってそれだけのこと、というのを淡々と伝えていて、ふたりのノン・アクター - H役のLiam Gillickも2002年にTurner Prizeを受賞しているアーティスト - の「演技」から遠い挙動がそれを支えている。タイトルの”Exhibition”は、アーティストが目指すところのもの(≠ Home)くらいの?
それにしてもViv Albertineの堂々としてかっこよいこと。映画を見ながら彼女の毅然とした目と動き、誰かを思い起こさせるなー、ってずっと思っていたのだが、ひょっとして、Agnès Vardaかも、って。
では、そうすると、Joanna Hoggの現時点の最新作 - “The Souvenir” (2019)をどう位置付けるべきか、になってくるの。 やはり彼女のデビュー短編 - “Caprice” (1986)に遡って考えるべきなのか。今年のどこかで絶対公開されてほしい”The Souvenir: Part II” (2021)には、”Caprice”の主演だったTilda Swintonさまが出られる(共演者もすごい)し、“Caprice”と“The Souvenir” Sagaの関係について(どういうものかは言ってないけど)、監督自身がトークで語っていたし。
なので、今年いちばん見たいのは”The Souvenir: Part II”なの。LFFかNYFFでやるのなら、なんとしても飛んでいきたい。
シアターや美術館が開いてとっても楽しそうな英国(泣)で、ついにKelly Reichardtの”First Cow”が公開されて、公開記念で、ShoreditchのCrosstownドーナツの店に行って「MOO」って鳴くとドーナツ貰えるんだって。いいなー。Picturehouse Centralで映画みるとき、よくCrosstownのドーナツ食べてた。恋しい..
5.28.2021
[film] Archipelago (2010)
5月17日、月曜日の晩、BFI Playerで見ました(日本からもなんとか見れた)。
この日の昼にMoMAで”Quick Millions” (1931)を見て、いまはクラシックしか見たくないなー、と思ったその裏側で、でもそのうちどうせ奴らはやってくる、というのも当然のことながらわかっていて、いいかげん子供ではないので布団に包まってばかりというわけにもいかず、そうしたらBFIのSubscriptionに丁度見たかったのが入っていた。
Joanna Hoggが彼女のデビュー作 - ”Unrelated” (2007)から最新の(Part2はまだかの)”The Souvenir” (2019)までの間に撮った2本が。ここではまず2作目の”Archipelago”から。日本ではWOWOWで放映されたのみで、邦題は『家族の波紋』。
舞台は英国コーンウォールの先にあるシリー諸島(”Archipelago”は諸島とか多島海とか)にあるトレスコ島(すばらしい景観。行きたかったなあ)。 冒頭、風景画のような抽象画のような絵を描いている男Christopher (Christopher Baker)がいて、でも彼は登場人物であっても主人公ではない。
ここにEdward (Tom Hiddleston) がヘリで降りたって、母のPatricia (Kate Fahy) と姉のCynthia (Lydia Leonard)が出迎える。Edwardは銀行勤めの真面目な自慢の子だったのに突然辞めてアフリカにエイズ救済のための教育ボランティアプログラムに参加しようとしていて、その出発前の家族全員が揃っての休暇、になるはずだった。離れているらしい彼の父親にもPatriciaはここに来るように幾度も電話で説得しているのだが、Patriciaの声のトーンだと交渉は難航しているらしい(結局最後まで現れない)。
家族が滞在するフラットには、家族の他に雇われ料理人の若い女性 - Rose (Amy Lloyd)がいて、彼女がいることで和らぐなにかがあるような - 家族の久々のリユニオンなのにそういうテンションを感じさせてしまう何か/誰かがいたりあったりすることは、すぐわかる。PatriciaとCynthiaは、父親に続いてEdwardまで自分たちを捨てようとしているのだと思い、Edwardは自分の彼女を連れてくることもやんわり断られるし、自分の計画がふたりによって頓挫させられるのではないか、と疑っている。そして、PatriciaとCynthiaの間にも過去から積もってきたなにかがあるようだ。
もうひとり、家族の人ではないのが地元の画家の(実際に画家であるらしい)Christopherで、Patriciaの絵の先生である彼は、絵の描き方 - 風景の捉え方、心象や精神を画布にどう展開するか、などについて抽象的な私見を述べたりする。料理と絵画、がこの家族の空気抜きとなってその場と集いを保たせている。
画面は固定、クローズアップはほぼなく、自然光とも異なる独特な照明(すてき)の下で、部屋全体とそこで向かい合うそれぞれの言葉や思いを浮かびあがらせたり反響させたり。音楽はなくて風の音や海の音のみ。気晴らしに自転車に乗ったり屋外にピクニックに出てみても光のトーンも表情の浮かなさもあまり変わらなくて、Edwardが、Roseも入れて一緒に食事に行こう、という提案すらごにょごにょ反対意見がでて、それでも無理してみんなで出かけたレストランではCynthiaが爆発して大惨事になってしまう。
もちろん、この程度の修羅場なんてどこにでもあるし、映画はそういうのをずっと描いてきた、のかもだけど、ここのはロメールの教訓に向かう会話劇ともカサベテスの堂々たるとっちらかった修羅場とも違う、どこにも向かわずに潮の合間に点々とする群島のように、ただそこにある - そこにあった、と。 だからだいじょうぶ、とかそういうのではなくて、ただそこにあるものをChristopherの描く抽象/具象画のように浮かびあがらせてみること。それだけで、こんなにおもしろいドラマになってしまう不思議。
Joanna Hoggの長編デビュー作 - “Unrelated” (2007)も、タスカニーの田舎の一軒家にバカンスにやってきたやや疲れた女性と複数の家族の間で、起こるべくして起こった”Unrelated” - ほっといてよ - なごたごたを描いたものだった。ここでのTom Hiddlestonは無軌道なティーン役で、今作での彼の立場は主人公の女性のそれに近いものになっている(Roseを誘ってみたり)。でもどちらも、表出する亀裂の深さと修復不能なかんじは、同じような。
この翌日に次作の”Exibition” (2013)をみて、いろいろ思って、まだ転がしているのだがー。
週末になった(のね)。 でもまだ隔離期間なので外には出れない。外の世界はどんなんだろう? って白々しく思ってみたりするが、どうせだめだわ、ってため息しか。
5.27.2021
[film] Me and My Gal (1932)
ここからは日本に来てからの、になる。5月17日、まだあのホテルにいた時に見ました。
目の前の現実にうんざりしているときに最近の作品を見るのは、どこか地続きなかんじがして嫌で無理で、見るなら昔のクラシックがいいな、になってしまう。そこで見つけたのがMoMAのストリーミングで“Pre-Code Fox Rarities from the MoMA Archive”ていう特集。MoMAのアーカイヴにあるPre-Code時代の作品のうち4Kリストアされたものを3本選んでいる。(他にももっとあるはずだいっぱい見せろ)
見た順番は、日替わりで“Quick Millions” (1931) → “Me and My Gal” (1932) → “Sherlock Holmes” (1932)。どれもそれぞれにおもしろかったのだが、やっぱし書くならこれかな、と。
監督はRaoul Walshで、たぶん大昔にFilm Forumとかで見ているやつ。Busby Berkeley - Judy Garlandの”For Me and My Gal” (1942)とは別のだから。邦題は『金髪乱れて』 - ここのJoan Bennettはショートでちっとも乱れないんだけど。
NYの波止場 – Pier 13近辺で働く警官のDan Dolan (Spencer Tracy)がいて、日々よれよれ酔っ払い爺さんの相手をしたり忙しいのだがアイリッシュ系で腕っぷし強くて威勢がよくて、海に落ちたよれよれを救って刑事に昇進したりする。彼がそこのダイナーのレジで働く、これも威勢のいいねえちゃんのHelen (Joan Bennett)とぶつかって、なんだおめー、なによあんた、って互いにプチ火花を散らしながらもなんとなくにじり寄っていくの。
Helenの妹のKate (Marion Burns)はかつてギャングの大物Duke Castage (George Walsh - Raoul Walshの弟さん)と付き合っていて、でも彼が南米に高飛びしちゃったので堅気に戻ろうと、メガネの生真面目がり勉くんと結婚しようとして式もめでたく執り行われるのだが、Dukeが戻ってきて牢屋に入れられたという新聞記事を見てひとりざわざわする。案の定、Dukeはさっさか鮮やかに脱獄してKateの実家に現れて、そこの隠れ部屋に潜伏する(Kateは動揺して、でも誰にも言えないまま平静を装う)。そこにいるのは体が不自由でずっと椅子に座っていて、目の瞬き(信号)だけで会話する父のPop (J. Farrell MacDonald)だけで。
なんだかんだHelenとつき合い始めて彼女の実家にもやってくるようになったDonは、Kateの様子が少し変わったのとPopの様子でここにはなにかあると気付き始めて…
79分の長さなので、なにをやるにもちゃっちゃか進んでいってあっという間、この小気味よいテンポにSpencer TracyとJoan Bennettの素敵すぎる波止場のふたりのやりとりがぴったりはまって気持ちいいったらない。最初の方のつんけんした弾きあいが事件の進行と共になし崩しで溶けていって、最後に… は、表も裏もないrom-comの王道でもあるの。どーってことない帽子をめぐるやりとりにいーなー、ってなる。
あと、いっつも感心するのはRaoul Walshの喧嘩アクションの見事さよね。John Hustonもそういうとこあるけど、決してあんなふうに殴られたくないけど、コレオグラフィとしていつもひー、ってほれぼれ見てしまう。
これがPre-Code時代の作品で、でもPre-Codeだから、Codeを意識して好きに作ったからおもしろい! ってものでもなくて、Hays Code以降だって工夫しておもしろいのはいっぱいあるし。ていうのを考えていると、これとは全く別の次元の話だけど、最近ちょこちょこ目にするポリコレが表現を殺す、とかいう議論(にすらなっていない)を思い出す。政治嫌いの子供がボクは政治が嫌いだから嫌いなんだ、って駄々こねているだけの浅くて幼稚で愚かなやつ。こういうボクを大勢で育ててしまったのが、日本のメディアと業界なんだねえ。本当にやだ。
日々なんか眠くて、そのまま寝てしまうので、時差ボケが消えない、というか単に時差ボケのせいにしているだけなのかもしれない、というくらいどうしようもなく眠い。元々WFHの頃から眠くなったら昼寝する、とかふつうにやっていたので時差が来たって関係ない、とか思っていたのだが、午後遅くになると寝てしまって、朝は3時くらいに目が開いてしまう。 なにか熱中できる仕事とかがあればまた別なのかもしれないが、あんまなさそうだし、世界はひどいし、外には出れないし出たくないし。 このまま芋虫になってしまえばいいんだわ、とか。
5.25.2021
[film] Touchez pas au grisbi (1954)
4月26日、月曜日の晩 - もう一ヶ月も前なのかー、MUBIで見ました。
英語題はなくて仏語のままで、USの公開時のタイトルは”Grisbi”(獲物)、UKの方は”Honour Among Thieves” 、邦題は『現金に手を出すな』(げんなまにてをだすな)- これなら聞いたことある。原題をそのままDeepLにかけると『灰色のものに手を出すな』 - 灰色のもの? 。
監督はJacques Becker、原作はAlbert Simoninの同名小説で、原作者は脚本にも参加している。小説の方はここのMaxを主人公とする三部作になっていて、どれも映画化されている模様。 Jean GabinはこのMaxでヴェネチアで男優賞を獲っている。
フィルム・ノワールの闇に蠢く非情さはあまりなくて、でも、だけど、すばらしくおもしろいギャング映画だと思った。
初老のギャングMax (Jean Gabin)は相棒のRiton (René Dary)と若いキャバレーの踊り子ふたり - Josy (Jeanne Moreau)とLola (Dora Doll)と行きつけのマダムの店で遅めのディナーをとって、そこに若弟子のMarco (Michel Jourdan)も加わって、みんなでキャバレーに行く。ここでの彼らの会話や目のやりとり、表情、態度などでMaxもRitonもギャップをかんじて疲れていて(あれこれついていけなくなっていて)、でもやや必死でそれらを取り繕おうと - なんでもないし、って顔をしていることがわかる。
MaxとRitonはこの少し前に5千万フラン金塊の塊8つをまんまと強奪していて、あとちょっとで幸せな老後になるはずだったのに、Ritonがそれを付き合っていたJosyに話して、Josyは二股かけてた若ギャングのAngelo (Lino Ventura)にそれを話してしまったものだから、帰宅途中に怪しい連中に追われたりして、Josyの二股の様子を見てしまったMaxはRitonに、知られているようだから気をつけろ、っていうのだが既に遅くて、彼はAngeloの一味に連れ去られてしまう。
MarcoがAngeloのとこの間抜けなちんぴらを捕まえてMaxがそいつをクラブのオーナーで盟友のPierrot (Paul Frankeur)のところにひったてて拷問しようとしたところでAngelo側からRitonと金塊の交換取引の電話があって、Max, Pierrot, Marcoの三人はそれなら、って武装して取引の場所に向かうの。怒りも脅しもなく、そうですか行きます、みたいなかんじで。
最後の20分くらいはどきどきはらはら怒涛の結末、というよりもものすごく落ち着いた、食事でもとるかのような優雅な身振りと、でもミスしたらぶっ殺す - 実際しぬよ、っていうつーんとした緊張感に溢れているのに、激しい銃撃と手榴弾の炸裂とカーアクションが連続してて痺れる。でもじたばたどたばたしていない。
所謂やくざっぽいダーティワードや不良っぽい素振りや下品な慟哭とか怒りとかエモの乱れみたいのは一切なくて、全員が最後まできちんとスーツネクタイで、やることをやるだけみたいな迷いのない直線の動作に貫かれていて、カメラはそれを向こう側とこちら側でひたすら追っていくだけ。銃撃戦ですら釣りでもしているかのような落ち着きがあってスタイリッシュで、あれってなに? 銃撃戦だけじゃなくて、例えばAngeloの手下を縛りあげて拷問することになったときの、太った丸メガネのPierrotのきびきびした無駄のないバレエのような動き - それだけで真性ギャングの凄みが伝わってくる。
Jean Gabinも同様で、身内への面倒見とか気前のよさはたっぷりで、恋人になるBetty (Marilyn Buferd)にもずっと紳士として振る舞うし、迷いとか悩みは一切ださなくて、基本はぜんぶひとりでやる、やるとなったら徹底的で、ふつうに喋りながらビンタしまくるのとか冗談のようにすごくて怖くて。このひとは寝る時もタイとスーツ姿なのではないか、とか、不死で数百年生きているのではないか、とか、やや古いけど『さようなら、ギャングたち』で定義されたギャングってこういうのだった気がする - そういう抽象性みたいのがあって。ああいうギャングには憧れるなー。
あと、あのジュークボックスがほしい。
まだ自宅隔離期間だし、ろくな調理器具もないのでほぼずっとUber Eatsでなんか取って食べているので、近辺の出前事情には結構詳しくなったかも。それにしてもすごく肉肉しいし、麻婆豆腐とか辛くて濃いのが多いし、これがフードコートだったら「ないわ..」って素通りしちゃうかんじかも。若者向けなんだろうな。
壁の奥に埋め込まれていたハブを取り替えて、ようやくWifiが使えるようになった。なにから見ようかしらん。
5.24.2021
[TV] The Pursuit of Love (2021)
各1時間 x 3エピソードあるTVミニシリーズで、5月9日の日曜日の晩にBBC Oneで最初のエピソードが放映されて、ストリーミングの方では3ついっぺんにリリースされていたので、引越しの箱詰め作業の合間、日-月-火の3日間かけて見ました。水曜日から怒涛の引引越しに巻き込まれたので、これが英国で最後に見た作品となった。日本からもVPN繋いでBBC iPlayerに入れば見れるよ(見れたよ)。
原作はNancy Mitfordの1945年のベストセラー小説(未読)で、これを女優で本作にも出演しているEmily Mortimerさんがひとりで脚色して監督している。
冒頭、1941年のチェルシーのフラットの屋上で黒のフレンチブルと一緒にのんびり日向ぼっこをしているお腹の大きいLinda Radlett (Lily James)がいてふぅって息をついた途端にフラットが爆撃されて視界から消える。
瓦礫のなかを向こうから歩いてきたFanny (Emily Beecham)がブルと一緒に焼け出されているLindaを発見して抱きあって、2人で車に乗ってオックスフォードシャーのAlconleighに向かう。語り手はFannyでLindaとは同い年のいとこ同士。LindaのRadlett家の屋敷 - Alconleigh - がふたりが幼い頃から一緒に過ごした場所で、着いたところで時代を遡り1918年から3年くらいのクリスマスの思い出 - げろしたり叱られたりしょうもないLinda - の思い出が回想された後、1927年、ふたりが17歳になったところから彼女たちの輝ける人生が始まる。
敷地内を全力疾走するLindaを見つめるFannyの声 - 大声で元気いっぱいに笑ってはしゃいで、でもすぐ泣いて塞いで、動物だいすきで動物のように愛とエモむきだしのワイルドなLindaを中心に、彼女の父で外国人が嫌いでヘイトをまき散らす雷おやじのUncle Matthew (Dominic West)、Fannyの母で一人娘のFannyを妹の家に預けて(捨てて)愛人をとっかえひっかえしているThe Bolter (Emily Mortimer) とかに隠れて屋根裏のリネン部屋でHons Societyを組織して恋愛や将来について夢と妄想を語りあう日々。
近所の変わり者貴族のLord Merlin (Andrew Scott) - 怪しすぎてさいこー - を少し気にしつつ銀行家の息子のぼんぼん - Tony Kroesig (Freddie Fox)と一緒になって結婚して、もちろんその程度で終わる話ではなく、ここから財と時間を手にしたLindaと自分も結婚したFannyとがLondonに出て、大戦の合間のキラキラ浮かれた時代と場所で、主役は自分たちだって愛を求めて - The Pursuit of Love - 浮かんでは沈んで追って追われての狂熱の愛に爛れた日々と、それでも互いにずっと大切に思っていたふたりのお話し。
衣装とか(ふたりのも貴族のも)がとっても素敵で、これってNational Portrait Gallery (NPG)でやってた”Cecil Beaton’s Bright Young Things”の世界だわ、って。2020年の3月12日に始まったと思ったら同17日にロックダウンでCloseしてしまった展示。このままNPGは大規模改築工事に入って2023年までクローズになってしまったので見ておいてよかった。写真家としてのBeatonの初期のキャリアを作った1920-30年代の英国貴族のぼんやじょう達のBrightでYoungなThings。
とにかくあれこれ爆発的に弾けまくるLily Jamesとそれを少し困った顔をしつつも優しく見つめるEmily Beechamのふたりがとても絵になるのでどこまでも見ていられる。最後はちょっと切ないけど。 日本だったらぜったい朝の連続TV小説になりそうな話。
あと音楽がすばらしくてー。The WhoはくるわGeorges DelerueはくるわRossiniはくるわT.RexもNew OrderもLe TigreもMarianne FaithfullもSleater-KinneyもJohn CaleもBlossom DearieもNina SimoneもKaren Dalton もCat Powerも、こういうのって音楽が外れてしまうと悲惨なのだがこれは見事だった。 “Marie Antoinette” (2006)のサントラもこれくらいだったらー。
映画館で見たいなー。
自宅のWifiはまだ壊れているのだがなんとか障害箇所の特定までいった。あんな壁の奥だったとは。