10月24日の夕方、”Insurgent”のあとにサントリー美術館でみました。
展示の正式タイトルは「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」。 はいはい。
この辺の流派の話し - 狩野探幽門下とか - 日本画だとなんかべつにいいか、になってしまうのはなんでか。たんに面倒だからか、どうでもいいかんじがするからか?
四季の農耕の工程を右から左に展開した「四季耕作図」の図鑑みたいな楽しさ。 世界のパノラマをひと塊の時間として示すことで保たれる世界の調和。 世界はこんなふうにある、のではなくこんなふうに流れて円環をなす(少なくとも四季がまわっている限りにおいては)、と描くことでなんか安心できてしまう不思議。 今だとライブカレンダーみたいなもんかしら(ちがうか)。
そして有名な「納涼図屏風」のへなへな、へなちょこの線、であるが故にこそ現れる絶対的な幸福感、みたいなやつ。 夕顔棚の下で親子3人、ごろごろしながらうっすら浮かんだ月を眺めていて、きっと虫とか蛙とか鳥の音も響いていて、そこにはなんの目的も要請も作為もなくて、ただ彼らはそこにいて、ぼんやり涼んでいるだけ。 どこにも行かない、行く必要がない、全てが満ち足りてそこにある、という感覚がその余白に表象されている。
鍋をいっぱい重ねて頭に乗っけた女性と、なにも被っていない女性が描かれた「鍋冠祭図押絵貼屛風」。
乗っけている鍋の数がこれまでに情を重ねた男の数だという - それって今やったら大変な事になるとおもうけど、なんかそういうお祭りで、これって示威行為みたいなものなのか、だからといってどうしろというのか。 鍋もって列に並べとでも?
あとはかわいい動物とか - 「花鳥図屛風」のミミズクでも、都鳥でも、「虎図」の虎でも - 若冲にもたまに感じる人間なんてどうでもええ、こういう動物だけ相手にしていればええのや - ていうまなざしは確かにあるかも。
この世もあの世も跨いだ「親しきものへのまなざし」というと水木しげる先生のことを想う。
ほんとうにいろんなことを教えて戴きました。 ありがとうございました。
11.30.2015
11.29.2015
[film] John Wick (2014)
25日の夕方、フランチェスコで心を洗われた後に六本木で見ました。 どっちも真似できねえ。
かつて組織の凄腕の殺し屋だったらしいJohn Wick (Keanu Reeves)は愛する妻が亡くなった後は殺生から足を洗って、妻が最期に贈ってくれたわんわんと一緒に慎ましく暮らしていたら、どっかの組織のちんぴらに因縁つけられて夜中に家に押し入られぶん殴られて車を盗られて大切なわんわんまで殺されてしまう。
しょんぼり静かに怒髪天になってしまった彼は自宅の床下にセメント固めにしておいた武器火器群を掘りかえし、かつて自分も仕事をしていたそのちんぴらの組織(そいつのパパが親分)を叩きつぶすことにして、宣戦布告する。 組織もその周囲もあのJohn Wickを怒らせちまったのかそいつは相当にやばいぞどうすんだ、と敵味方いろいろざわざわして血みどろのどんぱちが始まるの。
ストーリーはそんなもんでシンプルなんだが、とにかく自分の大切なものを奪われてしまったときの孤絶感を、その悲しく寂しい目をKeanu Reevesほど絶妙に体現できるひとはいなくて、この状態の彼に「子犬を殺されたくらいで…」なんて言おうもんなら五寸釘で瞬殺されてしまうこと確実だし、そういうのは柔術とカンフーと射撃がミックスされているらしい彼の変てこな殺し技の数々を見てから言ったほうがいい。 (あれ、素人がマネしたら - するバカいないと思うが - 自分の膝とか打ち抜くよね)
夜のNew York、そこの闇社会を舞台に、かつて自分の所属した組織を敵に回して殺戮大会、という設定はLiam Neesonの“Run All Night”と同じ(一方は逃げまわり、一方は追い回す)で、更にギャングの息子がしょうもないバカで手に負えない、ていうとこも同じ。 LiamもKeanuも負け犬(だけど実は狂犬)をやらせたら一級品だし。
Willem DafoeとかJohn Leguizamoも、どこからか現れる死体の掃除屋のおじいさんもとってもいそうな夜の人々のかんじがあってよい。 夜のNYの現場のかんじ、みたいなとこだと“Run All Night”のがちょっと上だったかも。 おそらく初冬のNYだと思われるのだが、なんでこんなに寒くなっちゃったんだろ、のきつさみたいのがもう少し出せていればなー。 俺は燃えてるんだほっとけ、なのかもしれんが。
あと、あんなホテルを定宿にしたい。
かつて組織の凄腕の殺し屋だったらしいJohn Wick (Keanu Reeves)は愛する妻が亡くなった後は殺生から足を洗って、妻が最期に贈ってくれたわんわんと一緒に慎ましく暮らしていたら、どっかの組織のちんぴらに因縁つけられて夜中に家に押し入られぶん殴られて車を盗られて大切なわんわんまで殺されてしまう。
しょんぼり静かに怒髪天になってしまった彼は自宅の床下にセメント固めにしておいた武器火器群を掘りかえし、かつて自分も仕事をしていたそのちんぴらの組織(そいつのパパが親分)を叩きつぶすことにして、宣戦布告する。 組織もその周囲もあのJohn Wickを怒らせちまったのかそいつは相当にやばいぞどうすんだ、と敵味方いろいろざわざわして血みどろのどんぱちが始まるの。
ストーリーはそんなもんでシンプルなんだが、とにかく自分の大切なものを奪われてしまったときの孤絶感を、その悲しく寂しい目をKeanu Reevesほど絶妙に体現できるひとはいなくて、この状態の彼に「子犬を殺されたくらいで…」なんて言おうもんなら五寸釘で瞬殺されてしまうこと確実だし、そういうのは柔術とカンフーと射撃がミックスされているらしい彼の変てこな殺し技の数々を見てから言ったほうがいい。 (あれ、素人がマネしたら - するバカいないと思うが - 自分の膝とか打ち抜くよね)
夜のNew York、そこの闇社会を舞台に、かつて自分の所属した組織を敵に回して殺戮大会、という設定はLiam Neesonの“Run All Night”と同じ(一方は逃げまわり、一方は追い回す)で、更にギャングの息子がしょうもないバカで手に負えない、ていうとこも同じ。 LiamもKeanuも負け犬(だけど実は狂犬)をやらせたら一級品だし。
Willem DafoeとかJohn Leguizamoも、どこからか現れる死体の掃除屋のおじいさんもとってもいそうな夜の人々のかんじがあってよい。 夜のNYの現場のかんじ、みたいなとこだと“Run All Night”のがちょっと上だったかも。 おそらく初冬のNYだと思われるのだが、なんでこんなに寒くなっちゃったんだろ、のきつさみたいのがもう少し出せていればなー。 俺は燃えてるんだほっとけ、なのかもしれんが。
あと、あんなホテルを定宿にしたい。
[film] Francesco, giullare di Dio (1950)
10月25日、日曜日、シネマヴェーラの特集『映画は旅である ロード・ムーヴィーの世界』ていうので見ました。
『神の道化師、フランチェスコ』。 英語題は”The Flowers of St. Francis”。
おおむかし、千石に三百人劇場(ていうのがあったのよ)で見てから、これは世界で一番好きな宗教映画で、キリスト教映画で、神様映画で、何回見ても飽きがこなくて、NYに赴任したときも海賊版みたいなVHSを買ったし、紀伊国屋からDVDが出たときもすぐに買ったし。
フランチェスコとその弟子の修行僧たちが固まって大雨のなかを旅しているところから始まって、粗末な掘っ建て小屋を修行寺みたいにして、布教とか修行のなかで起こるいろんなことをエピソード形式でおもしろおかしく、でも大真面目に神の子たちの姿を追っている。
なにが面白いのかというと、フランチェスコは勿論、その弟子たちもほんとうに、心の底から神様に全てを捧げていてどんなひどいことが起こっても神が与えた試練とか自分がまだ未熟だからだとか言ってて、それはそうなんだろうけどさ、と思うものの、その盲目の、無償の愛の度合いが強烈にすごくて、ばかみたいー、というよりも、なんでそこまで… (神様の愛を信じることができるの?) というところに胸をうたれてしまう。 身も心も捧げる、ていうのはこういうことなんだな、と。
フランチェスコに拾われたジョバンニていう浮浪者みたいなおじいさんが生ネギをそのままばりばり齧っていたり、煮ているスープに蒔を突っこんだり、訪問してきたキアラ尼にでれでれになったり、 若い小僧のジネプロが暴君ニコライオの餌食になりそうになるのにニコライオは彼のつぶらな瞳にやられちゃったり、みんなあまりに直線でまじめで結果変なかんじにはみ出していて、神様はそんなようなところに現れるんだろうなー、とかはらはら感動していると、みんなそれぞれ地の果てに旅立って行ってしまう。
もちろん映画に描かれたようなほのぼのしたエピソードばかりではなかったろうけど、でも彼らは神の道化師として超然と我々を笑かして、すうっと画面の向こうに消えていく。 消えていったのだろうなー。
リスペクト、とかありがたやありがたや、とか、心を洗われたり洗いたくなったり、というのとは別の次元で人が信仰に向かうその根源みたいのが生々しく、わかりやすく描かれていて、画面の向こうに消えた彼らの痕跡がいつまでも残る。 ひとがいろんな絵とかアートとかに向かう理由のひとつがここにあるのだと思う。
『神の道化師、フランチェスコ』。 英語題は”The Flowers of St. Francis”。
おおむかし、千石に三百人劇場(ていうのがあったのよ)で見てから、これは世界で一番好きな宗教映画で、キリスト教映画で、神様映画で、何回見ても飽きがこなくて、NYに赴任したときも海賊版みたいなVHSを買ったし、紀伊国屋からDVDが出たときもすぐに買ったし。
フランチェスコとその弟子の修行僧たちが固まって大雨のなかを旅しているところから始まって、粗末な掘っ建て小屋を修行寺みたいにして、布教とか修行のなかで起こるいろんなことをエピソード形式でおもしろおかしく、でも大真面目に神の子たちの姿を追っている。
なにが面白いのかというと、フランチェスコは勿論、その弟子たちもほんとうに、心の底から神様に全てを捧げていてどんなひどいことが起こっても神が与えた試練とか自分がまだ未熟だからだとか言ってて、それはそうなんだろうけどさ、と思うものの、その盲目の、無償の愛の度合いが強烈にすごくて、ばかみたいー、というよりも、なんでそこまで… (神様の愛を信じることができるの?) というところに胸をうたれてしまう。 身も心も捧げる、ていうのはこういうことなんだな、と。
フランチェスコに拾われたジョバンニていう浮浪者みたいなおじいさんが生ネギをそのままばりばり齧っていたり、煮ているスープに蒔を突っこんだり、訪問してきたキアラ尼にでれでれになったり、 若い小僧のジネプロが暴君ニコライオの餌食になりそうになるのにニコライオは彼のつぶらな瞳にやられちゃったり、みんなあまりに直線でまじめで結果変なかんじにはみ出していて、神様はそんなようなところに現れるんだろうなー、とかはらはら感動していると、みんなそれぞれ地の果てに旅立って行ってしまう。
もちろん映画に描かれたようなほのぼのしたエピソードばかりではなかったろうけど、でも彼らは神の道化師として超然と我々を笑かして、すうっと画面の向こうに消えていく。 消えていったのだろうなー。
リスペクト、とかありがたやありがたや、とか、心を洗われたり洗いたくなったり、というのとは別の次元で人が信仰に向かうその根源みたいのが生々しく、わかりやすく描かれていて、画面の向こうに消えた彼らの痕跡がいつまでも残る。 ひとがいろんな絵とかアートとかに向かう理由のひとつがここにあるのだと思う。
[film] Insurgent (2015)
もう失われた過去を取り戻すのは無理かもしれないよう。けどがんばる。
10月24日、土曜日の昼、新宿でみました。
邦題はほんとにバカみたいだねえ。 次の"Allegiant"になったら"NEONEO"とかいうのか。
前作のおわりで、どこの派閥にも属さないDivergentたちはやっぱし危険集団、という話になって逃げたり他の派閥に匿ってもらったりしているTris (Shailene Woodley)とFour (Theo James)は、逃げきれなくなって捕まって、他方でなんでこんなふうになっちゃったのか、これからどうするんだ、のメッセージが入っているとされる怪しい箱の存在が確認されて、その箱を開けられるのはDivergentの連中らしいので、Trisは繋がれて箱開けを強制されて大変なの。 あと、反乱軍のリーダーとしてNaomi Watts - Fourのママ - が登場して、極悪Jeanine (Kate Winslet) と対峙するの。
人が自身の属する派閥(Faction)で仕切られている社会とか、そこに収まらないDivergentの存在とか、法律の人たちが使う自白剤とか、ひとは可視化された属性から逃れられないし嘘つけないし隠せないし隠れられないし、ていうのと、でも分類不可能でわかんないのはなにやりだすかわかんないから、ていうのの間で、そうは言ってもひと(特に若いガキ共)の潜在能力ははかり知れないのだから要注意だね、とかそのあたりのわかりやすさはしょうがない。
それにしても、これのKate Winsletにしても、”Hunger Games”のJulianne Mooreにしても、"Maze Runnder"のPatricia Clarksonにしても、"The Giver"のMeryl Streepにしても、一旦世界がリブートされた後で現れる新しい女性リーダーはなんできまって白を着ていて、裏があって陰険そうでおっかないのか。 腐った男共が世界をさんざん潰して壊して、その後に(一見)白い女性リーダーが現れて、その野望策謀を俊敏な子供たちが打ち砕いたりすり抜けたりする、ていうのがこういうお話しの基本公理なのだろうか。
髪を切ったShailene Woodleyさんとその周りの男どもの動きはとにかく一生懸命に逃げて走って泣いて怒って、それだけでなんかよいの。 同じように走って逃げてばかりのMaze Runnerたちと比べたとき、Maze Runnerたちのほうがぜんぜん来ないのは、やはり背後に抱えこんだものが見える見えないの違いなのかもしれない、とかおもった。 こっちには悩んだってしょうがねえよ、の思い切りのよさがあるの。
あと、Kate Winslet vs Naomi Wattsていう対決もなかなかのもんだった。どっちも敵にまわしたらおっかなそう。 ぜったい許してくれなさそう。
あと、あの箱、せっかくがんばって開けたのに、作りだけは仕掛けいっぱいのくせに、そのなかみときたらさ...
でも見続けるから。
10月24日、土曜日の昼、新宿でみました。
邦題はほんとにバカみたいだねえ。 次の"Allegiant"になったら"NEONEO"とかいうのか。
前作のおわりで、どこの派閥にも属さないDivergentたちはやっぱし危険集団、という話になって逃げたり他の派閥に匿ってもらったりしているTris (Shailene Woodley)とFour (Theo James)は、逃げきれなくなって捕まって、他方でなんでこんなふうになっちゃったのか、これからどうするんだ、のメッセージが入っているとされる怪しい箱の存在が確認されて、その箱を開けられるのはDivergentの連中らしいので、Trisは繋がれて箱開けを強制されて大変なの。 あと、反乱軍のリーダーとしてNaomi Watts - Fourのママ - が登場して、極悪Jeanine (Kate Winslet) と対峙するの。
人が自身の属する派閥(Faction)で仕切られている社会とか、そこに収まらないDivergentの存在とか、法律の人たちが使う自白剤とか、ひとは可視化された属性から逃れられないし嘘つけないし隠せないし隠れられないし、ていうのと、でも分類不可能でわかんないのはなにやりだすかわかんないから、ていうのの間で、そうは言ってもひと(特に若いガキ共)の潜在能力ははかり知れないのだから要注意だね、とかそのあたりのわかりやすさはしょうがない。
それにしても、これのKate Winsletにしても、”Hunger Games”のJulianne Mooreにしても、"Maze Runnder"のPatricia Clarksonにしても、"The Giver"のMeryl Streepにしても、一旦世界がリブートされた後で現れる新しい女性リーダーはなんできまって白を着ていて、裏があって陰険そうでおっかないのか。 腐った男共が世界をさんざん潰して壊して、その後に(一見)白い女性リーダーが現れて、その野望策謀を俊敏な子供たちが打ち砕いたりすり抜けたりする、ていうのがこういうお話しの基本公理なのだろうか。
髪を切ったShailene Woodleyさんとその周りの男どもの動きはとにかく一生懸命に逃げて走って泣いて怒って、それだけでなんかよいの。 同じように走って逃げてばかりのMaze Runnerたちと比べたとき、Maze Runnerたちのほうがぜんぜん来ないのは、やはり背後に抱えこんだものが見える見えないの違いなのかもしれない、とかおもった。 こっちには悩んだってしょうがねえよ、の思い切りのよさがあるの。
あと、Kate Winslet vs Naomi Wattsていう対決もなかなかのもんだった。どっちも敵にまわしたらおっかなそう。 ぜったい許してくれなさそう。
あと、あの箱、せっかくがんばって開けたのに、作りだけは仕掛けいっぱいのくせに、そのなかみときたらさ...
でも見続けるから。
11.27.2015
[music] Shellac
25日の水曜日の晩、代官山でついに。
こういうののライブに会社帰りのスーツでいくのなんてありえないので、ちゃんと一旦家に戻って着替えていると小屋につくのは19:30になってしまうのはしょうがない。 もうあきらめてる。 ほんとばかみたいだけど。
入ったときはMONOがまだやってて、聴いたのは何年ぶりか、前のときはExplosions in the Sky と一緒だったんだっけ?
最後の曲の、ふたつの力がごりごり押したり引いたりしているかんじがちょっとすてきだった。
Shellacはこれまでなんでか見る機会がなかった。
Bob WestonさんはMission of Burmaのライブとかだと必ずコンソールに座っているし、Steve AlbiniさんはNew Yorker Fesのトークとかで(おしゃべりを)見たりしているのだが、バンドとして見るのははじめて。
ライブではこうなるだろうな、と想像していたそのままの音が、アンプを通してダイレクトにびりびりやってくる。 そしてそれがどれだけすごい肌理のやつか、甘美で官能的なことかを思い知る、そんなすばらしい時間でした。 ライブってライブなんだねえ、と。
腕が振り下ろされ腰が揺らされ指が動いてその指が弦を擦って撫でて弾いて引っ掻いて(時には噛みついて)、そこで発生した摩擦音、打突音、擦過音、唸り声、喘ぎ声、呻き声などなどの音がマイクロフォンとケーブルを伝ってアンプに流れ込み、アンプの回路を経由して増幅されたその音は再びケーブルを伝ってスピーカーの膜をびりびりと震わせ、その振動が空気を伝って同じように我々の鼓膜を震わせて、その震えとか律動がわれわれをとっても、ものすごく興奮させる。
ライブというのは単なる音源の再生とは異なる、これだけフィジカルな工程を経て現れるアートで、このバンドのライブでは、このフィジカルな作業工程がぜんぶ、隅から隅まで、機材のセッティングからお片付けまで、ケーブルを走り抜ける電気信号まで(見えないけどね、見えるんだよ)徹底的にアナログで可視化されていて、そこで見たままの音の姿がそのままに耳の穴にぐりぐり入り込んでくる。 ライブで目が向かいがちな轟音とか激しく性急なアクションとかとは別の次元のおはなし、それらはどちらかというと抑え目、それ故に際立つさざ波の快楽。
こんなふうにこのひとたちのライブを形容しようとするとセックスそのもののようになっていって、だからとっても官能的でエロくて気持ちよくて、肉体運動の官能に溢れていて、そう思い始めるとAlbiniさんの腰巻ギターも頻繁のメガネふきふきも、なんかやーらしいのよね。
断然褒めているんですけど。
一週間の間にMelvinsを見れてShellacまで見れてしまう至福。 今年はこれでもう幸せはこないんだわ。 たぶん。
Albiniさんがシカゴで一番おいしいと言っていたのは、たぶんここね。 おじさんたらこんなねちっこいのを...
http://chicago.eater.com/2015/3/4/8150539/usa-today-ricobenes-breaded-steak-sandwich-is-the-nations-best
こういうののライブに会社帰りのスーツでいくのなんてありえないので、ちゃんと一旦家に戻って着替えていると小屋につくのは19:30になってしまうのはしょうがない。 もうあきらめてる。 ほんとばかみたいだけど。
入ったときはMONOがまだやってて、聴いたのは何年ぶりか、前のときはExplosions in the Sky と一緒だったんだっけ?
最後の曲の、ふたつの力がごりごり押したり引いたりしているかんじがちょっとすてきだった。
Shellacはこれまでなんでか見る機会がなかった。
Bob WestonさんはMission of Burmaのライブとかだと必ずコンソールに座っているし、Steve AlbiniさんはNew Yorker Fesのトークとかで(おしゃべりを)見たりしているのだが、バンドとして見るのははじめて。
ライブではこうなるだろうな、と想像していたそのままの音が、アンプを通してダイレクトにびりびりやってくる。 そしてそれがどれだけすごい肌理のやつか、甘美で官能的なことかを思い知る、そんなすばらしい時間でした。 ライブってライブなんだねえ、と。
腕が振り下ろされ腰が揺らされ指が動いてその指が弦を擦って撫でて弾いて引っ掻いて(時には噛みついて)、そこで発生した摩擦音、打突音、擦過音、唸り声、喘ぎ声、呻き声などなどの音がマイクロフォンとケーブルを伝ってアンプに流れ込み、アンプの回路を経由して増幅されたその音は再びケーブルを伝ってスピーカーの膜をびりびりと震わせ、その振動が空気を伝って同じように我々の鼓膜を震わせて、その震えとか律動がわれわれをとっても、ものすごく興奮させる。
ライブというのは単なる音源の再生とは異なる、これだけフィジカルな工程を経て現れるアートで、このバンドのライブでは、このフィジカルな作業工程がぜんぶ、隅から隅まで、機材のセッティングからお片付けまで、ケーブルを走り抜ける電気信号まで(見えないけどね、見えるんだよ)徹底的にアナログで可視化されていて、そこで見たままの音の姿がそのままに耳の穴にぐりぐり入り込んでくる。 ライブで目が向かいがちな轟音とか激しく性急なアクションとかとは別の次元のおはなし、それらはどちらかというと抑え目、それ故に際立つさざ波の快楽。
こんなふうにこのひとたちのライブを形容しようとするとセックスそのもののようになっていって、だからとっても官能的でエロくて気持ちよくて、肉体運動の官能に溢れていて、そう思い始めるとAlbiniさんの腰巻ギターも頻繁のメガネふきふきも、なんかやーらしいのよね。
断然褒めているんですけど。
一週間の間にMelvinsを見れてShellacまで見れてしまう至福。 今年はこれでもう幸せはこないんだわ。 たぶん。
Albiniさんがシカゴで一番おいしいと言っていたのは、たぶんここね。 おじさんたらこんなねちっこいのを...
http://chicago.eater.com/2015/3/4/8150539/usa-today-ricobenes-breaded-steak-sandwich-is-the-nations-best
[log] Seattle - SFそのた November 2015
今回、SeattleとSan Franciscoでの本とかレコードとか食べものとかをまとめて。
まず今回はたった3日くらいだから荷物は機内に持ち込めるがらがらいっこ、会社のひともずっと一緒の旅(出張だって言ってるだろ)なので、12inchとかでっかい本とか荷物を預け入れしないといけない瓶入りジャムとかを買うことはできないのだった。 いちおう、現地は寒そうだからということでコートを持っていって、そのコートをつっこむ用にずた袋を別途用意した。 どうしようもない場合はそのずた袋にコートと一緒に隠すべし、と。 ほんとかわいそうだ。
15日の日曜午後のSeattle。
前回、9月のSeattleで、Space Needle近辺のレコード屋が壊滅していることが明らかになったので今回は別の地域を攻めることにして、Uberを捕まえて向かう。
The Elliott Bay Book Company
www.elliottbaybook.com/
昔いっかい来たことがあって、とてもよいかんじの本屋なのよ。木造でゆったりしてて1階と2階の2フロアで、McNally Jacksonを田舎ふうに幅をもたせたふうで、いくらでもだらだら時間潰せる。
今回買ったサイン本(いつのまにかサイン本マニアになっている)は、Ethan Hawkeの”Rules for a Knight” とKristin Hershの”Don’t Suck, Don’t Die: Giving Up Vic Chesnutt”のふたつ。
どっちも小さい本だし。 前者は子供向けに書いた騎士のお話し(→ “Boyhood”か..)。
後者は友人Vic Chestnuttの晩年を綴ったメモワール。おもしろくて、でもちょっと辛いかも。
ここの隣にOddfellows Cafe+Bar( www.oddfellowscafe.com/ )ていう素敵なカフェがあってブランチでごった返していたが、そこの小店 - Littele Oddfellowsてのが店内カフェとして出店してて、軽くお茶するだけのつもりが、豆腐みたいにみっしりした塊のLemon Olive Oil Cakeを見ているうちにたまらなくなって食べてしまう。 見た目通りの、豆腐の塊を頬張ったときの至福が甘酸っぱさと共にぞわぞわ。
Everyday Music
www.everydaymusic.com/
Elliottの向かい側にあるレコード屋。本店はPortlandらしい。 がらんとした倉庫みたいな店内にアナログとCDの新しいのと中古がいっぱい。 んで、7inchを4枚くらい。もうRecord Store Dayなのね。
もう一軒、たしかPine St沿いにレコ屋があったはず、と坂を下りていったのだが、そのお店はなくなっていた。小さな店だけど変な実験音楽みたいのがいっぱい置いてあって、その時は、北米のカエルの鳴き声レコード買ったのに。
で、その近辺をふらふらしていたらでっかい建物があって、入ってみたらスタバだったの。
Starbucks Reserve Roastery & Tasting Room
roastery.starbucks.com/
まんなかにでっかいタンクみたいな焙煎マシン(?)があってガラガラライブ稼働してて、厳選した豆を個々に特別な煎れ方で供するのでおいしいよ、ということらしい。 スタバはNeil Youngさんとの件があって以来やや疎遠になっているのだが、他にないので使っている、程度。
(Tully’sなんてプン、だし、ドトールは煙いし。 Think Coffeeあたりがこないかなー)
折角なので頼んでみる。 苦いの甘いの濃いの、どんなのが好きなのか、ふだんミルクや砂糖は入れるかどうか、などなどお話しして、これでどうかな、みたいなかんじで決めてもらう。 小さいカップで$6くらいしたけど、やっぱり(そりゃ)おいし。 さっきコーヒー飲んじゃっていたので、いっぺんに沢山飲めなかったのが残念(お茶だったらいくらでもがぶがぶ飲める)。
店の奥にはパイのお店が繋がっていて、店内には雑貨とかアナログレコードまであった。
コーヒーに合うやつ、というセレクションでJazzからR&Bからエレクトロまで古いの新しいの、いろいろあったけど、べつにコーヒーに合わせて音楽聴かないしねえ。
そこを出て、まだ未練たらたらその界隈(おいしそうなカフェとかバーばっかし)を歩き回っていたら、怪しげなレコ屋をもう一軒みつけた。
Zion's Gate Recordsていう、NYだとEast Villageあたりにあるような小汚いとりあえずごっちゃり積んである系のお店で、しかしさすがにグランジ系の中古はアンオフィシャルのも含めてざらざら置いてあるし、壁の高いとこにかかっているのはMerzbowとかBorisだったりするし、店員は愛想だけよくてなんも考えてないぼんくらふうだし、なんかとっても居心地よくて7inchを3枚買った。
この辺で時間が来たので行きと同様、Uberで戻った。
17日、火曜日の朝は朝6時くらいに暴風雨のなか空港に行って、San Franciscoに飛んだ。
ここの空港では、いつものようにSub Pop Shopで7inchを3枚買って(うち1枚は前回来たときに買っていたことが判明。ばかばか)、Beecher'sでチーズを2種類試食した。 ほとんど自動で、こそこそ隠れたりしつつ。
ターミナルのなかで、いろんなアーティストによるPearl Jamのポスターアート展やってた。
つぎの自由が与えられたのは同じ晩のSan Franciscoで、20時にホテルに入ってそこの食堂でみんなで食事をしたあと、21時に解き放たれてそのままtaxiで坂を昇ってCity Lights Booksに行って何冊か。 7inchがおまけで付いていた雑誌 - Pitchfork Review - Robert Wyattのインタビュー、ベルリン時代のBowie - とかを買って、ふたたび坂を下って、”Brooklyn”を見たのだった。
翌朝、飛行機が発つのは午前11時、部隊の半分は既に別のところに旅立ち、残りは空港で集合なので、つまり、それまでは単独で動ける。 となったらミッション地区に朝ご飯を食べに行くしかない。 7時にチェックアウトして、がらがらと共に車で、まずはCraftsman and Wolves。
もう何回も来ているのだが、同じものが置いてあったことはほとんどなくて。
“the rebel within”ていう、外見だけだとマフィンなんだけど、スパイスとか薫製肉の香りがほんのりして、まんなかにとろとろの半熟卵が入っている。おまけにチューブに入ったバスクの塩をくれる。 朝パンとしてはとってもパーフェクト。
他には角食みたいなjapanese milk breadていうのとかがカウンターに並んでいた。
おみあげを少し買って、そのまま歩いてTartine Bakery、まだ開いて10分くらいなのにもう列ができてた。 既に割とお腹にはいっていたので、すこしだけ。前から狙っていたBread Puddingを。
まあるいカップにひたひたとろとろに漬かったパンの残骸と同じ汁に漬かって暖まったフルーツの酸味が見事なだんだらを描いて、すばらしい。 和食だと雑炊とかおじや系、になるのかしらこれ。
お腹いっぱいになって、でもこれだけで空港に向かうのはもったいないので、Tartineの並びにあるBi-Rite Market の開店(9:00)を待つの。 でもまだ40分くらいあったので界隈を散歩してた。出張のがらがらを転がしながら。 朝の散歩のわんわんがいっぱいいた。 この近辺の犬になりたい。
Bi-Riteは地元のおいしそうなおやつとかいっぱいあるので楽しいの。 Sourdough & Olive Oilのチョコとか。 帰って食べたらおいしくてねえ。
で、この後に空港に向かって、さすがにもう本とか買う気にはならず、ラウンジ行ったら芋洗いで、しみじみうんざりしたのだった。
まず今回はたった3日くらいだから荷物は機内に持ち込めるがらがらいっこ、会社のひともずっと一緒の旅(出張だって言ってるだろ)なので、12inchとかでっかい本とか荷物を預け入れしないといけない瓶入りジャムとかを買うことはできないのだった。 いちおう、現地は寒そうだからということでコートを持っていって、そのコートをつっこむ用にずた袋を別途用意した。 どうしようもない場合はそのずた袋にコートと一緒に隠すべし、と。 ほんとかわいそうだ。
15日の日曜午後のSeattle。
前回、9月のSeattleで、Space Needle近辺のレコード屋が壊滅していることが明らかになったので今回は別の地域を攻めることにして、Uberを捕まえて向かう。
The Elliott Bay Book Company
www.elliottbaybook.com/
昔いっかい来たことがあって、とてもよいかんじの本屋なのよ。木造でゆったりしてて1階と2階の2フロアで、McNally Jacksonを田舎ふうに幅をもたせたふうで、いくらでもだらだら時間潰せる。
今回買ったサイン本(いつのまにかサイン本マニアになっている)は、Ethan Hawkeの”Rules for a Knight” とKristin Hershの”Don’t Suck, Don’t Die: Giving Up Vic Chesnutt”のふたつ。
どっちも小さい本だし。 前者は子供向けに書いた騎士のお話し(→ “Boyhood”か..)。
後者は友人Vic Chestnuttの晩年を綴ったメモワール。おもしろくて、でもちょっと辛いかも。
ここの隣にOddfellows Cafe+Bar( www.oddfellowscafe.com/ )ていう素敵なカフェがあってブランチでごった返していたが、そこの小店 - Littele Oddfellowsてのが店内カフェとして出店してて、軽くお茶するだけのつもりが、豆腐みたいにみっしりした塊のLemon Olive Oil Cakeを見ているうちにたまらなくなって食べてしまう。 見た目通りの、豆腐の塊を頬張ったときの至福が甘酸っぱさと共にぞわぞわ。
Everyday Music
www.everydaymusic.com/
Elliottの向かい側にあるレコード屋。本店はPortlandらしい。 がらんとした倉庫みたいな店内にアナログとCDの新しいのと中古がいっぱい。 んで、7inchを4枚くらい。もうRecord Store Dayなのね。
もう一軒、たしかPine St沿いにレコ屋があったはず、と坂を下りていったのだが、そのお店はなくなっていた。小さな店だけど変な実験音楽みたいのがいっぱい置いてあって、その時は、北米のカエルの鳴き声レコード買ったのに。
で、その近辺をふらふらしていたらでっかい建物があって、入ってみたらスタバだったの。
Starbucks Reserve Roastery & Tasting Room
roastery.starbucks.com/
まんなかにでっかいタンクみたいな焙煎マシン(?)があってガラガラライブ稼働してて、厳選した豆を個々に特別な煎れ方で供するのでおいしいよ、ということらしい。 スタバはNeil Youngさんとの件があって以来やや疎遠になっているのだが、他にないので使っている、程度。
(Tully’sなんてプン、だし、ドトールは煙いし。 Think Coffeeあたりがこないかなー)
折角なので頼んでみる。 苦いの甘いの濃いの、どんなのが好きなのか、ふだんミルクや砂糖は入れるかどうか、などなどお話しして、これでどうかな、みたいなかんじで決めてもらう。 小さいカップで$6くらいしたけど、やっぱり(そりゃ)おいし。 さっきコーヒー飲んじゃっていたので、いっぺんに沢山飲めなかったのが残念(お茶だったらいくらでもがぶがぶ飲める)。
店の奥にはパイのお店が繋がっていて、店内には雑貨とかアナログレコードまであった。
コーヒーに合うやつ、というセレクションでJazzからR&Bからエレクトロまで古いの新しいの、いろいろあったけど、べつにコーヒーに合わせて音楽聴かないしねえ。
そこを出て、まだ未練たらたらその界隈(おいしそうなカフェとかバーばっかし)を歩き回っていたら、怪しげなレコ屋をもう一軒みつけた。
Zion's Gate Recordsていう、NYだとEast Villageあたりにあるような小汚いとりあえずごっちゃり積んである系のお店で、しかしさすがにグランジ系の中古はアンオフィシャルのも含めてざらざら置いてあるし、壁の高いとこにかかっているのはMerzbowとかBorisだったりするし、店員は愛想だけよくてなんも考えてないぼんくらふうだし、なんかとっても居心地よくて7inchを3枚買った。
この辺で時間が来たので行きと同様、Uberで戻った。
17日、火曜日の朝は朝6時くらいに暴風雨のなか空港に行って、San Franciscoに飛んだ。
ここの空港では、いつものようにSub Pop Shopで7inchを3枚買って(うち1枚は前回来たときに買っていたことが判明。ばかばか)、Beecher'sでチーズを2種類試食した。 ほとんど自動で、こそこそ隠れたりしつつ。
ターミナルのなかで、いろんなアーティストによるPearl Jamのポスターアート展やってた。
つぎの自由が与えられたのは同じ晩のSan Franciscoで、20時にホテルに入ってそこの食堂でみんなで食事をしたあと、21時に解き放たれてそのままtaxiで坂を昇ってCity Lights Booksに行って何冊か。 7inchがおまけで付いていた雑誌 - Pitchfork Review - Robert Wyattのインタビュー、ベルリン時代のBowie - とかを買って、ふたたび坂を下って、”Brooklyn”を見たのだった。
翌朝、飛行機が発つのは午前11時、部隊の半分は既に別のところに旅立ち、残りは空港で集合なので、つまり、それまでは単独で動ける。 となったらミッション地区に朝ご飯を食べに行くしかない。 7時にチェックアウトして、がらがらと共に車で、まずはCraftsman and Wolves。
もう何回も来ているのだが、同じものが置いてあったことはほとんどなくて。
“the rebel within”ていう、外見だけだとマフィンなんだけど、スパイスとか薫製肉の香りがほんのりして、まんなかにとろとろの半熟卵が入っている。おまけにチューブに入ったバスクの塩をくれる。 朝パンとしてはとってもパーフェクト。
他には角食みたいなjapanese milk breadていうのとかがカウンターに並んでいた。
おみあげを少し買って、そのまま歩いてTartine Bakery、まだ開いて10分くらいなのにもう列ができてた。 既に割とお腹にはいっていたので、すこしだけ。前から狙っていたBread Puddingを。
まあるいカップにひたひたとろとろに漬かったパンの残骸と同じ汁に漬かって暖まったフルーツの酸味が見事なだんだらを描いて、すばらしい。 和食だと雑炊とかおじや系、になるのかしらこれ。
お腹いっぱいになって、でもこれだけで空港に向かうのはもったいないので、Tartineの並びにあるBi-Rite Market の開店(9:00)を待つの。 でもまだ40分くらいあったので界隈を散歩してた。出張のがらがらを転がしながら。 朝の散歩のわんわんがいっぱいいた。 この近辺の犬になりたい。
Bi-Riteは地元のおいしそうなおやつとかいっぱいあるので楽しいの。 Sourdough & Olive Oilのチョコとか。 帰って食べたらおいしくてねえ。
で、この後に空港に向かって、さすがにもう本とか買う気にはならず、ラウンジ行ったら芋洗いで、しみじみうんざりしたのだった。
11.23.2015
[log] November 19 2015
行きとか帰りの飛行機(今回はANA便)で見た映画とか。
Seattle行きから。 8時間なので寝る時間を引くとあんまし見れない。
まず"Trainwreck"があったので大よろこびでもう一回見る。何回でも見るよ。
ベースはラブコメなんだけど、家族の物語でありパーソナルな面倒ごとの物語であり仕事の物語でもあって、これらが地続きで全部繋がっていることのおかしさ - しんどさではなく、それをおかしさと、それ故の愛おしさとかけがえのなさに着火させようという意思(そしてそういった嗜好そのものが、既にじゅうぶんに怪しくておかしい)がJudd Apatowのコメディには常にあって、だから大好きなんだなあ、と改めて思った。フランスで好かれる理由もこの辺にあるのでは。(アンスティチュのフレンチ・コメディ特集で上映されるドキュメンタリーは絶対いくべし)
それから、なんでかWim Wendersの"Every Thing Will Be Fine"があったので見始めたら、ぜんぜんタイトル通りとは思えない内容のようで、ディスプレイの解像度もどんよりと暗くて、寝よう、と思って寝た。こういうのはちゃんとシアターで見ないとね。
起きてから到着まで何見ようかしら、で、Star WarsのEp4から6までがあったので、しょうがないか、とEp4を見る。 そういえば、ANA便、San Jose行きにしておけば、R2-D2仕様の飛行機になったのだった。もうそんな歳じゃないでしょ、ではあるもののちょっとだけ、な。
Ep4は、97年の改訂版だった。これ、あんま好きじゃないんですけど。 オリジナル版をもういっかい、ちゃんとリストアしてくれないかしらん。
SFからの帰りの便で見たやつ。
Infinitely Polar Bear (2014)
Mark Ruffaloが名家の出で優秀だったのに精神を病んで病院から出てきたところで、妻は娘ふたりを養うために資格とらなきゃ、とNYの学校に通うことにして、その間病みあがりのパパが娘の面倒を見るべく奮闘するの。 ぽろぽろでどん底に堕ちたMark Ruffaloなんてもう何千回も見ている気がしたのだが、映画はパパが家族を振り回すというより娘ふたりがパパもういいかげんにしてよ! て立ち向かう系ので、でもそれで修羅場がどうにかなるもんでもないので大変で、いつパパが緑の怪物に変身するのかはらはらしたりしたのだが、ひとりの死者・負傷者もなくなかなか甘めのファミリーアルバムとして終わったのでよしとしたい。
Fantastic Four (2015)
機内では2005年の同名作も見られるようにしていた、けど見比べたいと思う人なんているのか?
子供の頃からの科学マニアだった仲間達が物資伝送に夢中になって大人になっても辛抱強く続けてたらうまくいって、自分達で実験したら手足が伸びたり火だるまになったり岩石になったり透明になったり、ひとりは異次元に置き去りになったり大変で、でも政府は彼らの身体特性を兵器として使おうとして、彼らは彼らでなんとか治療法を探そうとしてて、そうしているうちに置き去りにされた奴が恨み節全開でやってくるの。
全てのやりとりが彼らと政府の間の敵か味方か、みたいなわかりやすい図式のなかで閉じてて、さらになにもかもが既決事項ですからみたいにするする決まって流れていくので、人類の運命とか平和とかはあんまどうでもいいかんじなの。
最後は、ありのままの姿を受け入れよう、俺らがファンタスティック・フォーだ! って宣言するのだが、なんだよそれ、なにがファンタスティックじゃぼけ、なのよね。
これならJessica Alba版のほうがだんぜんましだわ。
まだ時間があったので、The Holiday (2006)を再び。
Nancy Meyersばんざい、ということで。
もうだいたい10年前の映画だけど、とってもおもしろいし、この設定からいくらでも拡がるねえ。
数年後にどこかでリメイクされればいいのに。
なんもしないまま3連休が終ってしまったよう …
Seattle行きから。 8時間なので寝る時間を引くとあんまし見れない。
まず"Trainwreck"があったので大よろこびでもう一回見る。何回でも見るよ。
ベースはラブコメなんだけど、家族の物語でありパーソナルな面倒ごとの物語であり仕事の物語でもあって、これらが地続きで全部繋がっていることのおかしさ - しんどさではなく、それをおかしさと、それ故の愛おしさとかけがえのなさに着火させようという意思(そしてそういった嗜好そのものが、既にじゅうぶんに怪しくておかしい)がJudd Apatowのコメディには常にあって、だから大好きなんだなあ、と改めて思った。フランスで好かれる理由もこの辺にあるのでは。(アンスティチュのフレンチ・コメディ特集で上映されるドキュメンタリーは絶対いくべし)
それから、なんでかWim Wendersの"Every Thing Will Be Fine"があったので見始めたら、ぜんぜんタイトル通りとは思えない内容のようで、ディスプレイの解像度もどんよりと暗くて、寝よう、と思って寝た。こういうのはちゃんとシアターで見ないとね。
起きてから到着まで何見ようかしら、で、Star WarsのEp4から6までがあったので、しょうがないか、とEp4を見る。 そういえば、ANA便、San Jose行きにしておけば、R2-D2仕様の飛行機になったのだった。もうそんな歳じゃないでしょ、ではあるもののちょっとだけ、な。
Ep4は、97年の改訂版だった。これ、あんま好きじゃないんですけど。 オリジナル版をもういっかい、ちゃんとリストアしてくれないかしらん。
SFからの帰りの便で見たやつ。
Infinitely Polar Bear (2014)
Mark Ruffaloが名家の出で優秀だったのに精神を病んで病院から出てきたところで、妻は娘ふたりを養うために資格とらなきゃ、とNYの学校に通うことにして、その間病みあがりのパパが娘の面倒を見るべく奮闘するの。 ぽろぽろでどん底に堕ちたMark Ruffaloなんてもう何千回も見ている気がしたのだが、映画はパパが家族を振り回すというより娘ふたりがパパもういいかげんにしてよ! て立ち向かう系ので、でもそれで修羅場がどうにかなるもんでもないので大変で、いつパパが緑の怪物に変身するのかはらはらしたりしたのだが、ひとりの死者・負傷者もなくなかなか甘めのファミリーアルバムとして終わったのでよしとしたい。
Fantastic Four (2015)
機内では2005年の同名作も見られるようにしていた、けど見比べたいと思う人なんているのか?
子供の頃からの科学マニアだった仲間達が物資伝送に夢中になって大人になっても辛抱強く続けてたらうまくいって、自分達で実験したら手足が伸びたり火だるまになったり岩石になったり透明になったり、ひとりは異次元に置き去りになったり大変で、でも政府は彼らの身体特性を兵器として使おうとして、彼らは彼らでなんとか治療法を探そうとしてて、そうしているうちに置き去りにされた奴が恨み節全開でやってくるの。
全てのやりとりが彼らと政府の間の敵か味方か、みたいなわかりやすい図式のなかで閉じてて、さらになにもかもが既決事項ですからみたいにするする決まって流れていくので、人類の運命とか平和とかはあんまどうでもいいかんじなの。
最後は、ありのままの姿を受け入れよう、俺らがファンタスティック・フォーだ! って宣言するのだが、なんだよそれ、なにがファンタスティックじゃぼけ、なのよね。
これならJessica Alba版のほうがだんぜんましだわ。
まだ時間があったので、The Holiday (2006)を再び。
Nancy Meyersばんざい、ということで。
もうだいたい10年前の映画だけど、とってもおもしろいし、この設定からいくらでも拡がるねえ。
数年後にどこかでリメイクされればいいのに。
なんもしないまま3連休が終ってしまったよう …
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