10月24日の夕方、”Insurgent”のあとにサントリー美術館でみました。
展示の正式タイトルは「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」。 はいはい。
この辺の流派の話し - 狩野探幽門下とか - 日本画だとなんかべつにいいか、になってしまうのはなんでか。たんに面倒だからか、どうでもいいかんじがするからか?
四季の農耕の工程を右から左に展開した「四季耕作図」の図鑑みたいな楽しさ。 世界のパノラマをひと塊の時間として示すことで保たれる世界の調和。 世界はこんなふうにある、のではなくこんなふうに流れて円環をなす(少なくとも四季がまわっている限りにおいては)、と描くことでなんか安心できてしまう不思議。 今だとライブカレンダーみたいなもんかしら(ちがうか)。
そして有名な「納涼図屏風」のへなへな、へなちょこの線、であるが故にこそ現れる絶対的な幸福感、みたいなやつ。 夕顔棚の下で親子3人、ごろごろしながらうっすら浮かんだ月を眺めていて、きっと虫とか蛙とか鳥の音も響いていて、そこにはなんの目的も要請も作為もなくて、ただ彼らはそこにいて、ぼんやり涼んでいるだけ。 どこにも行かない、行く必要がない、全てが満ち足りてそこにある、という感覚がその余白に表象されている。
鍋をいっぱい重ねて頭に乗っけた女性と、なにも被っていない女性が描かれた「鍋冠祭図押絵貼屛風」。
乗っけている鍋の数がこれまでに情を重ねた男の数だという - それって今やったら大変な事になるとおもうけど、なんかそういうお祭りで、これって示威行為みたいなものなのか、だからといってどうしろというのか。 鍋もって列に並べとでも?
あとはかわいい動物とか - 「花鳥図屛風」のミミズクでも、都鳥でも、「虎図」の虎でも - 若冲にもたまに感じる人間なんてどうでもええ、こういう動物だけ相手にしていればええのや - ていうまなざしは確かにあるかも。
この世もあの世も跨いだ「親しきものへのまなざし」というと水木しげる先生のことを想う。
ほんとうにいろんなことを教えて戴きました。 ありがとうございました。
11.30.2015
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