6.01.2023

[film] ジョン・フォードと『投げること』完結編 (2022)

今回のシネマヴェーラのジョン・フォード特集の3つめで見たやつらもこれで終わり。

They Were Expendable (1945)

5月17日、水曜日の晩に見ました。上映前に蓮實重彥さんのトーク付きの。

邦題は『コレヒドール戦記』、昨年の10月のここの特集でも見ているのだが、これは蓮實さんが力強く断言されたようにJohn Fordのトーキー以降の傑作のひとつだと思う。

ただその内容は「戦記」というほどのものではない - 「彼らは消耗品だった」という原題が示すように米軍がアジアの海岸域で敗走していく様 - 中心のボート2隻はそれなりに活躍するが全体としては激しく焼けだされてしまう - を描いていて、『帝国の逆襲』みたいなかんじを受けるのはPTボートの形状とかもあったりするからだろうか。

Rusty (John Wayne)とSandy (Donna Reed)が離れ離れのそれきりになってしまうところも、偉い人たちとその家族をお忍びで避難させるとか、飛び立とうとする機にぎりぎりで乗りこむところとか、誰もがもう二度と会えない、帰れない、生き延びられるのかわからない、そんな茫洋とした不安を抱え、それでも互いに感謝したり笑って別れようとする様がリアルでやかましい爆撃シーンの脇にあったりするのがなんかよいの。次は『ジェダイの帰還』になる、と。

RustyとSandyが別れるときに彼女が帽子を投げるシーンも含めて、先生が言われたように何度か拍手しようとしたのに誰もしない、みんなまじめなのねー。


Just Pals (1920)

5月20日、土曜日の夕方に見ました。邦題は『野人の勇』。こういう昔に付けられた変な邦題、見直したりしないのかしら? 新訳本のタイトルだと直すことあるけど、映画は難しいのかな。
サイレントで、John Fordにとって最初のFoxからのリリース作品。

町衆から野良猫みたいに見られている浮浪者のBim (Buck Jones)が列車から放り出された子供のBill (Georgie Stone)と仲良くなって、遠くから眺めてぽーっとなっていた教師のMary (Helen Ferguston)が悪い男に騙されて困っているところを助けたり、その流れで町を銀行強盗たちから救ったり、を周囲から鼻つまみ状態のまま、たまに袋叩きにあったりしつつも負けるもんか、って片付けていって、最後には行方不明少年発見の棚ぼたで大金まで貰っちゃう痛快なやつ。

Buck Jonesが相変わらずよいかんじなのだが、浮浪者=野人じゃないし、BimとBillがふたり並んで歩いていくところは「Just Pals = ただの友達」のあったかいかんじがたっぷりですごくよいの。


Hangman's House (1928)


5月21日、日曜日の夕方に見ました。邦題は『血涙の志士』- この邦題もわけわかんないかも。

アルジェリアで戦争に参加していたDenis Hogan (Victor McLaglen)は故郷アイルランドから手紙を受け取ると、ちょっと国に戻るからって戦線から離れる。アイルランドでは何人もの囚人を絞首刑台に送った男爵(Hobart Bosworth)が娘のConn (June Collyer)といかにも悪そうな実業家のD'Arcy (Earle Fox)を無理やり結婚させようとしていて、でも式だけあげたら父は無責任にころりと死んじゃって、Connと結婚するつもりだったDermot McDermot(おもしろい名前 - Larry Kent)が競馬で大活躍したりしつつD'Arcyの腹黒で性悪なのを暴いていくのと、そこに妹を殺されてD'Arcyへの復讐に燃えるDenis Hoganが加わって、最後には脱走劇 ~ 銃撃戦 ~ お屋敷大火事 ~ 崩落と劇的な展開を迎える。タイトルや特殊効果も含めて全体に表現主義っぽいのだが、そんなんじゃねえよ! っていろんな動物たちを呼びこんでわざと軽快なアクション活劇に仕上げているような。


Salute (1929)

5月21日、日曜日の晩に見ました。  邦題は『最敬礼』。サイレント、ではなかった。

名家のJohn Randall (George O'Brien)は陸軍士官学校の士官候補生のエリートで、弟の Paul (William Janney)はこれから海軍兵学校の方に行こうとして、家族からは励まされるのだが華奢な体型への負い目とかもあってぱっとしなくて、学校で修練の日々が始まっても女性(Nancy)を巡ってもあちこちで兄の影がちらついて、やがて陸軍 vs. 海軍のフットボールの試合で兄と向き合う日がやってくる。

こんな頃から既に存在したアメリカ学園もの、と言ってよいのかキャラクターはヤギまで含めて一揃いあって、こんなのまであるのかー、って。


ジョン・フォードと『投げること』完結編 (2022)

5月31日、水曜日の晩に映画美学校試写室で見ました。今回の特集で半券は20枚あったので2回いけるか、と思ったら券の配布が終わってしまっていた。

監督は蓮實重彥+三宅唱。英語題は”Throwing in John Ford’s Movie: Definitive Edition”(たしか)。59分58秒。

このバージョンに対して「非完結編」というのもあって、それは青山真治監督と作っていた48分37秒(たしか)のものだったという。また、2005年1月に同タイトル(完結編)の講演をアテネでやっていて(Webで読める)、その時のは間に合わずに「非完結編」となった、と言われている。

フォードの映画に次々に出てくる「投げる」シーンをキャプションも解説もなしにざーっと繋いでいくだけなのだが、これがもうめちゃくちゃおもしろいの。知っているの(ついこないだ見たの)も知らないのもあるけど、そんなの関係なく1時間あっという間に、これ自体がほいってこちらに投げられているような。

なにを投げるのか、誰が投げるのか、どうして投げるのか、それを誰が/なにが受けとめるのか、投げる前に何があって、投げた後に何が起こるのか、いろんな角度での整理ができるのだろうが、そんなのなしに、単純にコレオグラフとしてシンプルにおもしろくて美しい。スポーツや喧嘩や戦争の先を見越した筋の通った動きとは違って、いろんなのが噴きあがったりこみ上げたり諦めたりする瞬間がその動作には凝縮されている、というかその動作のキャプチャーを通してそれらの情動を引っぱりだそうとしている、というか。

ずーっと、フォード映画の問答無用のおもしろさ、ってなんなのだろう、ってずっと思っていたのだが、実はこの辺なのかも。これを見るとまた見返したくなってしまったので4回めの支度を。

 

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