6.23.2023

[film] Spider-Man: Across the Spider-Verse (2023)

6月18日、日曜日の晩、109シネマズ二子玉川のIMAXで見ました。以下、ふつうにネタ - でもなんでもないけど - バレしている。

“Spider-Man: Into the Spider-Verse” (2018)からの続きで、来年リリースされるという”Spider-Man: Beyond the Spider-Verse”への中継作品なのだが、前のを見ていなくても後のを見なくても単独で十分楽しめるやつだと思う。今作を見ると4年半前にリリースされた”Into the Spider-Verse”がいかに強い確信の下に作られた革新的なすごいやつだったのか - 当時見て結構びっくりした - を思い知る。

まずはオープニングタイトルのグラフィックだけで十分かっこよくて、これだけでCG作品として成立しそうな。そこからGwen Stacy (Hailee Steinfeld)のいるEarth-65でのお話しになり、親友だったPeter Parkerの死を背負いつつ警官である父親との衝突と葛藤もあってMiguel O'Hara (Oscar Isaac)の率いるMulti-Verseを自在に行き来してVerseを跨いでしまった困った奴を送り返したりする秘密のthe Spider-Societyに入れて貰う。これでMilesにも会えるかも、と。

Miles Morales (Shameik Moore)がいるのはEarth-1610のブルックリンで、よきパパとママの間で進学や将来について考えるよいこでありつつ、前作で事故のようにSpider-Manになってしまった自分(の能力とか使命とかプライドとか)と折り合いをつけようとしているが、思い浮かぶのは前作の冒険で出会ったGwenのことで、でもいくら思っても届かないし、しょうがないこともわかっている。

そんなある日、Milesがちょろくて変な小悪党にしか見えないThe Spot (Jason Schwartzman) – なんとなくカオナシっぽい - の相手をして小競り合いどつきあいをしていると、こいつがどんどん肥大成長してVerseを跨いで暴れだすようになって、それを検知して追っかけてきたSpider-SocietyのGwenと再会する。

このふたりが再会して逆さにぶら下がって座りながら静かに摩天楼を眺めるシーンがすごく素敵なのだが、物語はこの後、the Spotを追って別VerseのMumbattan - ムンバッタンに行って、そこでPavitr Prabhakar/Spider-Man India (Karan Soni)やHobie Brown/Spider-Punk (Daniel Kaluuya)と会って、そこでの惨事を経由してSpider-Societyの本拠地になだれこむとそこには大量のSpiderたちと共にPeter B. Parker (Jake Johnson)などもいて…

前作はSpiderの網目に引っかかったMilesが、彼方からやってきた仲間たちと一緒に自分が何者であるのか、なにができる奴なのか、を発見する話だった。今作はMiles自身が網を渡って技を磨いていきながらヒーローであるということはどういうことか、を学んでいく話で、ヒーローになるっていうのは悲劇の成立と不可分なのだとか、おまえはSpider-manになるはずじゃなかったエラーなのだ、とか体育教師みたいなMiguelに大声で叩きこまれるのだが、そんなこと言われたって知るかよ、って思いつつもどうすることもできず、追われたら、捕まったら逃げるくらいしかできない。そうやってどうにか帰り着いた先は自分の知っているブルックリンではなくてー。

“The Flash”で茹でスパゲッティに例えられたVerseのありようは、曼荼羅や万華鏡を貫く目眩く蜘蛛の糸となってMilesを縛ったり遠くに飛ばしたり伸縮自在のようでいて、それでも"canon event”という不可避の結節点 - “The Flash”の“inevitable intersection”? - に常に遮られ妨害され、どうすることもできないものはどうすることもできない – ことを大人たちはみんな経験している - のだから落ち着け、じたばたするんじゃない、って。

でもこれはヒーローもの、というよりはそこに近づこうとしてあがく若者の青春のドラマなので、Milesはどこまでもじたばた転がって逃げて生き延びようとして、そこで直面する失望、孤独、昂り、悲しみ、怒り、憧れ、安堵、などが見事なトーンのアニメーションを背景に、それらと一緒になって画面いっぱいに跳ね回って飽きることがないし、あてがわれた運命には当然のように抗うし、そんな彼の選択はどう考えても正しそうなのだが、この二作目ではこの状態でおわる。

“The Flash”は泣きながら最後に受け入れたし、”Spider-Man: No Way Home” (2021)では記憶と引き換えに運命を変えようとした、これが次の”Beyond”ではいったいどちらの方に向かうのか。でも「運命」が運命であることを決めるのは誰なのだろう? 時間なのか? そんな簡単じゃないし時間が必要だろうけどとにかく時間はないんだ、って。それはね。

あと、「運命」もそうだけど近いところで「善悪」っていうのも。

“The Flash”でも実写のSpider-Manでも、Verse起因の惨事の規模がでっかすぎて想像の手に負えないレベルで目も疲れすぎるしもう好きにして、になってきているところを、このコミックは、ああSpider-Manてコミックだったんだよね、っていうところに立ち返らせてくれて、Milesはリアルな青年から落書きみたいなのにまで変容するし、ページをめくる快感とか紙に滲んだカラーやインクの肌理、チラシやコピーのチープなかんじまで、ばふばふのスクラップブックにしてばーん、て広げてくれる。 Spider-Punk、いいなあ。

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