5月27日、土曜日の午後、シネマカリテで始まった特集 - 『ハンガリーの至宝 メーサーロシュ・マールタ監督特集 女性たちのささやかな革命』で見ました。
1931年、ハンガリーの女性監督Mészáros Mártaについては、この時点では「見たい」「ぜんぶ見たい」しかない。
邦題は『ナイン・マンス』。 英語題は“Nine Months” – このタイトルだと、1995年のChris Columbus - Hugh Grant - Julianne Mooreによる米国映画がまずくるのだが、やはりぜんぜんちがう。
77年のカンヌで国際映画批評家連盟賞を受賞している。(この年のカンヌにはRobert Altmanの”3 Women”なんかも出品されている)
冒頭、Juli (Lili Monori)が窯業の工場に面接にきて、仕事は厳しいけどいい?と聞かれてその場で採用され、そのまま働き始める。その工場のマネージャーのJan (Bognár János)がJuliをずっと見たり待っていたり追ってきたりするので、「なに?」って問うと「つきあいたい」「結婚したい」っていきなり指輪を出してくる。
ここまでだと展開の唐突さと、70年代映画の画面のトーンと、あてられている声の不自然さから70年代ポルノみたいだなあ? とか思うのだが、当然そちらの方には行かなくて、Juliは怪しがり戸惑いながらもやんわり断り、でも工場には毎日通うので向かってくる彼とは顔を合わせざるを得ず、しょうがないから食事でもするか、って食事をしながら話したりしていると段々仲良くなっていく(ように見える)。(今なら窓口に通報できるのに)
ただ、その席で具体的にこういう話題が出たとか、それにどう反応したとか、どんな化学変化がおこった、のような場面はほぼなくて、遠くから談笑したりタバコを吸ったりしているふたりの絵がドキュメンタリーのように描かれていくだけ。
そのうちJuliはJanの部屋に行ったり、彼が建てている家(ひとりでこつこつ家を建てる人は結構いる)のことを聞いたり、その建築中の家の中で若者たちが乱痴気騒ぎをしているのを見て嫌になったり、Janは休日にJuliをつけていった先で彼女が小さな子供と会って抱きしめたりしているのを見て、問い詰めると自分の子だと言うので聞いていない、ってむくれて、でも別に聞かれてないし、迷惑かけてないし、と。
子供の父親は大学の教授で家庭があるので結婚はできなくて、彼女は実家に子供を預けたまま工場で働いて農学の勉強もしている、ということもわかるのだが、まず彼女と結婚したいと思った(そこの理由がわからないけど)Janにとっては傷つくなにかだった - プロポーズしたらその時に言えよ、等 - ようで、しばらく音信が途絶えて、でもまた視界に入って戻ってきて - 戻ってくるんだ? - 彼女の親や子供や子供の父親とも会うようになったりする。
やがてJuliは妊娠した、とJanに告げて、Janは機嫌わるく誰の子だ? とか、堕ろせば? とかいうのだが彼女は動じない。そのうち勉強していた大学の試験にもパスして、お腹が大きくなった彼女は病院に向かって。
男女の恋愛が描かれているのではない。ふたりの間に恋愛感情はあったかもしれないけど、それがどう進展して(あるいは壊れて)が描かれているのでもない。Juliは彼女のやりかたでずっと生きてきて、その流れのどこかでJanにぶつかって、彼が寄ってきていろいろ関わろうとしてくるので相手をしたりしているうちに子供ができた、それだけ。その塊りが出てくるまでに9カ月が過ぎたよ - それだけのお話。Janにしてみれば、ある時点から恋愛関係にあると思われたふたり - 自分はそう思った - なのでああしてほしいこうしてほしい、って告げたりしたのにぜんぶ無視しやがった、かも知れないけど、そんなのほんとにぜんぶあんたの都合にすぎないので。 Juliは彼の方になんも、一切頼んだり託したりしてないんだから。
…かっこいい。 のと、やはりJanの動きってちょっと気持ちわるー、のと。
ラストはリアル出産シーンで、(本作がR15+ 指定なのはひょっとしてそのため? だとしたらちょっと頭おかしいんじゃないの映倫?)子供が出てきた後の彼女の表情 - 改めてなにかを掴んだような - をストップモーションで捕らえて終わる。今回、これまでに見たMészáros Mártaの映画(3本)では、どれもEndマークなしに、画面が停止して暗転しておわるところがすごくよいと思った。
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