6.06.2023

[film] Women Talking (2022)

6月4日、日曜日の昼に日比谷Tohoシネマズのシャンテで見ました。

邦題は『ウーマン・トーキング 私たちの選択』。 ↑ の最後のところ- 『ぼくたちの哲学教室』を見ていて、女子たちはどうやって地元の男性による暴力から身を守ればよいのだろう? という問いが浮かんだあと、この映画を見たらどこかが繋がる気がした(ので先に書く)。

原作はカナダのMiriam Toewsによる同名小説(2018)、脚本・監督はドキュメンタリー”Stories We Tell” (2012)から10年ぶりとなるSarah Polley。画面はモノクロではないが、濃い茶緑系にグレーディングされている。

冒頭、太腿が痣まみれになっている女性が目覚め、顔を苦痛で歪めて、また起こったと母親を呼ぶ。

ボリビアの人里離れたところに暮らす保守的な - 電気、電話、自動車不可、女性は読み書き、本を読むことを禁じられている等 - 宗派メノナイトのコミュニティで通報により9人の男たちが捕まる。彼らは2005年から2009年にかけて3歳から60歳までの女性(後で男性も被害を受けていたことがわかる)に家畜用の鎮静剤を飲ませて夜間に集団レイプを繰り返していた。女性たちが痛みや出血を訴えても、更に妊娠したり死亡したりしても妄想や天罰や悪魔の仕業であるとして誤魔化したりしていた。

2010年、目撃証言から男たちが芋づるで逮捕され、他の男たちは彼らの保釈を見守るために村から出て行き、女性だけになった集落でこれからどうするか – このまま何もしないか、男たちと戦うか、ここを出ていくか - の話し合いがもたれる。会話に参加できる女子は子供から老人までほぼ全員。会議の書記を文字を書くことができる教師August (Ben Whishaw)に頼んで、記録としても残す。期限は男たちが村に戻ってくるまでの2日間。

はじめは長老らしき女性(Frances McDormand)がこういうこともまた神の… とか神と時間がすべてを解決してくれる(のでなにもしなくてよい)というのだが、ありえない(ここに神なんているもんか)、と強く退けられ、議論は踏みとどまって戦うか、出ていくかの2択となり、母、娘、暴行により傷を負った女性、レイプにより妊娠してしまった女性、パニック障害に襲われる女性、守るべき子供をもつ母親、などなど、それぞれの立場からの発言が出て、その内容について、彼女たちがどちらを選んだのかについては映画を見てほしい。Rooney Mara、Claire Foy、Jessie Buckley、Sheila McCarthy、すばらしい女優たちによる渾身の語りと身振りの強さ、見事さ、そしてそれが全く反対の立場からの発語であっても、手をとりあって星の方角に縒りあわされていく共感の、理性の魔法 - と言ってはいけない。それは起こるのだから。

冒頭に出てくる文言 - “What follows is an act of female imagination” – そしてタイトルの“Women Talking”。ここには二重の意味があって、外からは、結局女性が内に籠ってなんか喋っているだけ(想像しているだけ)じゃん、に見えてもそれらが強い思いをもって束ねて重ねられたとき、とてつもない強度で現実をなぎ倒すのだ、と。彼女の前作 – ”Stories We Tell”も「語り」についての – それが想像もしなかったような現実を暴きだしたりしていた記憶があって、それは今作の目の前にある恐怖に満ちた過酷な現実をなんとかする方向とは違うのかもしれないが、でも、そこにあるのはまず拳や銃ではなく理に貫かれた言葉であり対話(であるべき)なのだ、ということではないか。繰り返しになるけど、映画のなかでやりとりされる言葉の深くて強いこと - 赦し(forgiveness)は許可(permission)と混同されてしまうのだ、とか。

この閉ざされた世界で(書き)言葉を司るAugust – たまに怒鳴られてべそかいたり下を向いてしまったりする彼の、言葉の力を知っているが故のパワーレスなかんじがとてもよくて、世界の男性の半分くらいはBen Whishawになるべきだ、って強く思った。(ほんとは全部でいい)

あと、宗教に起因したコミュニティである、という点については注意が必要で、だから宗教って怖いよね、にしてしまうのは少し違って、宗派関係なく女性に対するこういう暴力や脅威はそこらじゅう至るところにいくらでもあるし起こっているのだ、とそちらのほうを見るべき。

もし彼女たちがそのまま残ることを選択したら、その先には”The Crucible” - 『るつぼ』のような世界 - 魔女狩り - が待っているのではないか。どっちにしても真っ暗なのだが。

あと本当は、”Men Talking”として、この犯罪を誰がどうやって始めたのか、それはなんで4年間も誰にも制止されることなく続いていったのか、についても暴かれるべきなのかも。誰もがそんなの見たくない、というであろうその先をー 

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