10.11.2022

[film] Mary of Scotland (1936)

10月1日、土曜日の午後、シネマヴェーラのジョン・フォード特集で見ました。

個人的にはこの特集パート2の目玉で、なんとしても見たかったやつ。『メアリー・オブ・スコットランド』

Maxwell Andersonによる1933年の同名戯曲をDudley Nicholsが脚色しているのだが、16世紀のスコットランドの史劇をJohn Fordが監督して、これにKatharine Hepburnが主演する(もとはGinger Rogersがやりたがったものらしい)、ものすごく変なかんじのする1本だが、エリザベス二世の死がついこないだで、”Downton Abbey”の新しいのを見た翌日に見るのにはちょうどよいようなー。

Queen Elizabeth I (Florence Eldridge)によるイングランドの治世下、幼い頃にフランス国王の元に送られていたQueen of Scots - Mary (Katharine Hepburn)がフランス国王の死によってスコットランドに戻ってくることになり、Elizabeth Iはあいつはやばいのでなんとかしろ、と周囲に命じて、彼女を迎いいれた家臣たちもほぼそっぽを向いて、頼りになるのはフランスから連れてきた秘書のRizzio (John Carradine)くらい、宗教の方ではJohn Knox (Moroni Olsen)がやかましく吠えて彼女を糾弾したところでBothwell伯(Fredric March)がバグパイプの音色と共に勇ましくやってきて力強い味方になってくれるのだが、結婚相手はちっとも素敵に見えないなよなよのDarnley卿(Douglas Walton)を有無を言わさず押しつけられて、息子は生まれたものの愛を誓ったBothwellからは引き離され、なにもかも監視され縛られ弾かれて最後には屈辱的な裁判にまでかけられて、お家も位もぜんぶ捨てるのであれば助けてやる、って言われるのだがふざけんな、って自らギロチン台に向かう。

同じMaryを主人公にした映画だと、最近の“Mary Queen of Scots” (2018) - 原作などはまったく別 - が記憶に新しく、こっちのQueen Elizabeth I (Margot Robbie) vs. Mary (Saoirse Ronan)はとってもウェットでエモかった記憶がある(あ、Max Richterの音楽はすばらしかった)が、今作でKatharine Hepburnが持ちこんでくる際立った暗さと絶望感、救いようのなさの深さなどを見てしまうと、とっても大人と子供なかんじはする。

最後に対面して会話をするElizabeth IとMaryの、その静けさと冷たさと背後の暗がり、そして勝利する(としか言いようがない)Maryの崇高さというか誇りというか。ここの場面にAnne Bancroftの、あの”So long, ya bastard!”が被さる。

そう、同様のどん詰まり感でいうと、フォードの”7 Women” (1966) - 『荒野の女たち』の辺境に女医としてやってきて、仲間の命と引き換えに自死を選ぶAnne Bancroftを思い起こして、なんでこういう威勢のよい女性主人公の最期に(毅然とかっこよくではあるが、やっぱり悲劇的な)死を選ばせてしまうのか、というのは少し気になる。それを強いる - 強いてきた - のはどこのどいつなのか、について。

興行的にはコケて、Katharine Hepburnでは当たらない説が補強され、それは”The Philadelphia Story” (1940)まで続いた - という通説があるのだが、その間には、”Bringing Up Baby” (1938)だって、”Holiday” (1938)だってあるんだから、そんなのはMaryを陥れたイングランドと同じくらいひどい話ではないか、と思う。でもこの作品撮影中のジョン・フォードとケイティーが喧嘩したエピソードは、なんかいいな。

あと、ほぼコメディでしか知らなかったFredric Marchがこの作品ではかっこよくて少しびっくり。バグパイプがわんわん鳴るなか、登場するところは意味なく盛りあがるねえ。


Doctor Bull (1933)

10月1日、↑ に続けてシネマヴェーラで見ました。『ドクター・ブル』

Will Rogers主演による「スモールタウン」三部作の一作目で、ここまで『プリースト判事』(1934) - 『周遊する蒸気船』(1935)と見てきて、Will Rogersってよいなー(好き)って思ったので見た。でも、ストーリーとしては(一作目なのに)一番陰気でしょんぼりだったのが意外。

町医者のDr. George "Doc" Bull (Will Rogers)はいつも住民に電話で呼ばれたり声かけられたり慌ただしく走り回って、動物でも赤ん坊でもなんでも見ていくのだが、一部の住民からはなんでか反感を買って、未亡人との仲を疑われたりして裁判で弾劾されて町を出ていくことになる - でも最後にはチフス流行の件とか彼が下していた判断が正しかったことがわかる。

“Mary of Scotland” (1936)からの流れでこの作品に来るのって、ぜんぜん関連ないように思われたのだが、蓮實 重彦の『ジョン・フォード論』には「囚われること」というテーマで噂話や偏見に基づく排除の力学という観点からこの二作が論じられていて、そういうことかー、って。そしてたぶんDocは、この後に旅を重ねて女性となって『荒野の女たち』に改めて登場するのだと思った。

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