10.03.2022

[film] Peppermint Frappé (1967)

9月26日、月曜日の晩、Criterion ChannelでやっていたCarlos Saura特集で見ました。

邦題は『ペパーミント・フラッペ』。Carlos Sauraの監督デビュー作で、68年のベルリン国際映画祭の銀熊(Best Director)を受賞している(翌年のカンヌは68年のあれで、つぶれている)。見た理由はなんとなくー。

冒頭、ファッション誌を切り抜いて女性の目とかいろんなフィギュアを丁寧にスクラップをしている手があって、放射線医のJulián (José Luis López Vázquez) - 中年/独身/ハゲ - と地味で内気でおとなしそうな看護婦のAna (Geraldine Chaplin)が規模の大きそうな病院で仕事をしている。

それからJuliánはおめかしをして幼馴染で友人のPablo (Alfredo Mayo)の家に出かけて、作って貰ったお気に入りのペパーミント・フラッペを舐めながら結婚したばかりだという彼の若い妻 – Elena (Geraldine Chaplin)を紹介されると、彼女が彼の長年のオブセッションの対象だったCalandaという村のお祭りで太鼓をどんどこしていた女性(これもGeraldine Chaplin、計3役)にそっくりだったのではっとする。(そのことをElenaに確認しても、当然そんなの知らないと言われる)

いつも明るくご機嫌でやさしくて奔放そうなElenaにJuliánはやられてしまい、夫婦と会う度に裏でこそこそElenaと二人きりになれそうな機会を作って近づこう親密になろうとして、Elenaもそれに合わせて相手をしてくれるのだが、最後のところでいつもうふふ、とかはぐらかされて、そのうち彼の誘惑仕草がPabloとElenaの間で笑いのネタになっていることを知って、Elenaのことを諦める。

次に目をつけたのが自分の勤務先にいる静かで従順そうなAnaで、Juliánは彼女に自分のスクラップのコレクションを見せてモダン・ファッションに関する講釈を垂れ、つけまつげやウィッグをさせて日々の装いを変えさせたり、Elenaががんがん踊っていたちょっとガレージっぽいご機嫌なダンス曲(Los Canariosの” Peppermint Frappé”)をかけてみたりするのだが、Anaは言われるままされるがままのよいこである分、なんだかもの足りない、けどがんばってくれるのでよいか、ってじっとり調教していく - この辺、ぜんたいとしてものすごくやらしくて気持ちわるいんですけど。

で、こんなふうにAnaが傍にいてくれるのでそれなら次は、ってPabloとElenaのとこに行って彼らのペパーミント・フラッペになにかを仕込んで、へろへろの状態になったところで車に乗せて..

医者をなめたり怒らせたりしたらあかん、っていう典型的な教訓話のようであり、サイコっぽさを隠しているようで実はぜんぶ見えてしまっているサイコホラーであり、あれこれなかなかしょうもないかんじだった。ファッション雑誌やグラビア切り抜きの妄想の世界に生きてきた男が、同じような容姿の女性たちに出会って過去の記憶と実物と妄想を混濁させておかしくなっていくお話し。そして、そんなふうにおかしくなっても彼自身は痛い目にあうことなくそのままのさばっていく。

もてないさえない脂でねっちりした中年男が夢に見ていたような美しい女性と出会って、それまで培ってきたフェチとか萌えとかの嗜好妄想を爆発させて止まらなくなっていく不条理 – というほどのことでもない変態の条理の起源て、そもそもどこら辺にあったのか? などを考えさせるような内容になっているかも。一見趣味にいきる鑑賞者として人畜無害のようで、一線を越えてしまう怖さがあって、そういう猟奇もののように作ることもできただろうし、それって例えばこんなふうにもー。 そしてここに出てくるElenaもAnaも太鼓を叩く女性も、実はだれも悪くないんだけど、彼女たちがあんなふうに現れたから(自分にあんな仕打ちをしたから)に見せようとしているように見えるの、やっぱしひどくないか、って。

というようなことをクールな冷たいトーンの画面 - Peppermint Frappéもまた - のなかで淡々と捉えていて、怖かったかも。

あと、これって5月革命のあれこれの空気とは関係あったのかしら? とか。 政治と関係なさそう - あまりに関係なさそうなところがまたなんかー。

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