9月24日、土曜日の午後、菊川というとってもStrangerな土地に新しくできた映画館 - Strangerという - での『J=L・ゴダール 80/90年代 セレクション』という特集で見ました。
突然、ではないにしてもJean-Luc Godardが亡くなってしまったことについて、既にいろんな人々がいろんなことを書いているし、そりゃ書くだろう - 彼の映画は、それを受けて書かれたり自分が書いたり更に撮られたり撮ったりすることを狙うように、映画や映像がもたらすもの/もたらされる世界まるごとにでっかく揺さぶりをかけ続けるものだったのであり、その震源がすっかり無くなってしまったのだからー。
邦題は『勝手に逃げろ/人生』。英語題は”Every Man for Himself” - 「猫も杓子も」?。このタイトルについては邦題も英語題も、元のも(なんの括弧なの? あれ、等)よくわかんないかも。
シナリオは、Anne-Marie MiévilleとJean-Claude Carrièreのふたり。単独監督作としては13年ぶりの「商業映画」であり、Godard自身が「第二のデビュー作」と呼んだ、と。なぜこの作品はそう位置づけられるのか、を考えることが、この時代とこの作品とこの頃のGodardを語ることにそのまま直結する。自分が最初にこれを見たのは90年代のFilm Forumだった。
四部構成(1. 想像界 - 2. 不安 - 3. 商売 - 4. 音楽)で、三つの場所(「中間」 - 「かなた」 - 「地獄」、実際にはホテル、スタジオ、街中、田園地帯、など)を三人の登場人物が行ったり来たりする、悲劇でも喜劇でもない、物語のかたちをぎりぎりで維持しているかのようで実は何も語ろうとしない - 語ることを頑なに拒むかのように、なんだこれ? と、あーあー、の間を行ったり来たりとにかく落ち着かない。この落ち着きのない変則リズムが全編の音と光を統御している。
冒頭、Paul Godard (Jacques Dutronc)がホテルの一室にいてオペラ歌手(?)がオペラの練習をしている傍でヒゲを剃って電話でやりとりをしてて(歌手にうるさいーって怒鳴る)、荷物を抱えて慌しく部屋を出てホテルを抜けて車で仕事(?)に向かうまで。忙しいオトコの朝のあれこれ - ここのシーンにこの映画のモティーフがほぼ入っているような。
それから田園の緑のなかを自転車で滑るように走っていくDenise (Nathalie Baye) - ここすごく好き - がいて、彼女は妻子があるPaulと付き合っていて、彼は一緒にいたいようなのだが、彼女はそうでもなさそうなのと、娼婦の仕事を淡々としながらすべてがどうでもよさそうに見えるIsabelle (Isabelle Huppert)がいる。
TV局のディレクターかなにかでずっと忙しそうなPaulの他には、やくざっぽい大企業の幹部とかなにをしているのか不明だけど走り回って渡したり渡されたり、やはり忙しそうな男達がいて、B級犯罪映画のようなネタを散らしつつやばい方に向かっていくかに見えて、もちろんそちらには行かないし、行けないし - Sauve qui peut (la vie)。
見どころみたいなところで言えば、それはもう最初からDeniseの自転車と牛と、Isabelleの拗ねたような横顔くらいしかなくて、Paulなんてほんとどうでもよくていい気味で - 「勝手に逃げろ」/ やれるもんなら - な中で地点Aから地点Bへと向かう彼女たちの動き - Isabelleの金持ちとのホテルでの変てこ3Pとか - 感情も情動も一切排除するようにして描かれていて(それはなぜなのか?)、あと500回でも見ていられる。
これが80/90年代のGodardがやろうとしたスラップスティックなあれこれ - 映画ってやっぱしこういう音と動きの - の最初にあるやつで、物語の基本元素とかがブイヨン(二番だしとか煮凝りとか)のようにぜんぶ入っているような。でも一番、たまんなく好きなのは物語っぽさがどうしようもなく滲み出てしまっているような”Prénom Carmen” (1983) と”King Lear” (1987)、かなあ。
新しい映画館は、ぱりっと小さいけど見やすくてよかった。もし自分が富豪だったらどんな映画館をつくるか、よく夢想する - いまんとこ一番はNYのMetrographだろうか - のだが、ここはその点でも結構よいかんじかも。場所がちょっとだけ面倒だけど、通えたらよいなー。
10.02.2022
[film] Sauve qui peut (la vie) (1980)
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