7.18.2016

[film] Alice Through the Looking Glass (2016)

7月1日の金曜日の晩、六本木でみました。そんなに混んでなかった。

前作の終わりに世界の海に向けて旅立ったアリス(Mia Wasikowska)が戻ってみるとかつて支援してくれた老人はもう亡くなっていて跡取りのバカ息子が船を売るか俺と一緒になるかどっちか選べとか言ってて(まるで清水港のヤクザ映画よね)、こぉんのやろーとか思っていると、芋虫から蝶に変態しているAbsolem(ああ、Alan Rickman.. )が現れて鏡の向こうに誘ってくれて、みんなと楽しく再会するのだが、気違い帽子屋(マッドハッターなんていうもんか)がなんかやばいことになってる、というので行ってみると、自分の亡くなった家族はまだどこかで生きているのかも、と過去に囚われてぶつぶつ遠くを見ている。

なんとかするには「時間」ていうやつ(Sacha Baron Cohen)に会って過去を遡ってほんとうのところを確かめないと、ていうので会いにいって、ちょっとズルしてやってみると帽子屋の過去は当然のことながらみんなの過去、特に赤白の姫姉妹 - 特に赤いデカ頭(Helena Bonham Carter)のほう - にも繋がっているので、そんなのを掘り始めたら大変なことになるし、時間は壊れてしんじゃうんだよ、そしたら世界もなくなっちゃうんだよ、どうするのよ!  っていうお話し。

みんながそれに従って生きているところの時間の論理(或いはアリスが直面したような資本の論理)があるんだからひとりでおとーちゃん、とか泣いて騒いで周りに迷惑かけるんじゃねえよ、ていうのが今の世の大勢、というものなのだろうが、うるせえよばーか、だてに気違い帽子屋を名乗ってるわけじゃねえんだ、気違いがこれをやらねえで誰がやるんでえ! て啖呵を切るの。(そんな場面はないけどそういうふうに読む)(だからね、「気違い帽子屋」を「マッドハッター」、なんて変換して自制してしまうこの国はほんとにほんとにだめなのよね)

この物語をTim Burtonがやったら(今回はプロデュースのみ)、過去に幽閉されてしまうことのグロテスクさ奇怪さ、その後ろめたい哀しみをこれでもかとえぐり出した気がする(でも今の彼はそういうモードではないのかも)が、これの監督は"The Muppets"”(2011) のひとなので、最後はみんなでなんとかするし、必ずなんとかなるし、安心して見ていられた。 よくもわるくも。
Muppetsの連中も出しちゃえばよかったのに。

でもあとちょっとだけ、鏡のこちら側とむこう側とか、時間が不可逆であることの条理不条理を踏まえたナンセンスどたばたをもっとやってほしかったかも。あまりにストレートなただのアドベンチャーものになってしまっていた気がする。

あと、今日(18日)みてきた”Finding Dory”に繋がるテーマがあって、少し考えているとこ。

チェシャ猫、あんま出てこないけどかわいい。謎かけばかりで姿がなかなか見えない実験映画みたいなスピンオフ作品を作ってほしい。

終って、Culture Clubの”Time (Clock of the Heart)”をしぬほど聴きたくなったがiPodに入っていなかったので、かわりにPeter Hammillを聴いて帰った。

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