17日、日曜日の午前に新宿でみました。 カリテの「カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2016」、リンクレイターの新作はすっかり忘れていて(おおばか)、これもチケット取るの忘れて当日朝に窓口に並んだ。あぶなかった。
いうまでもなく原作は『ボヴァリー夫人』で、がんばったとは思うけど、原作とは別モノとしたほうがよいかも。 シャルルはチャールズだし、みんな英語しゃべってるし、ラストも含めていろいろ違う。文学と映画の違い、というくらいふつうに違う。
エンマがMia Wasikowskaで、チャールズがHenry Lloyd-Hughes、レオンがEzra Miller、オメーがPaul Giamatti、マルキがLogan Marshall-Green。
エンマが修道院を出てチャールズのとこに嫁入りして、ヨンヴィルで新婚生活を始めるところから。
医師の夫は内気で籠りがちで村の往診する程度でじゅうぶん満足していて、エンマはなんかつまんなくて、書記官のレオンと会ってときめいたりするのだが彼はパリに発ってしまい、レオンがいなくなると自由でワイルドな資産家のマルキと逢瀬を重ねるようになり、商人のルウルウから調度品とか洋服とかいろんなものをツケで買うようになり、やがて男関係とお金で頭も首も回らなくなって、男たちは愛想をつかし、お家は差し押さえられて。
修道院の頃から快活でおてんばだったエンマの結婚(生活)に対する期待がひとつひとつだんだんに潰されて萎んでいって、孤独のなかで寄ってきた男たちにいいようにされ、やはりひとりで自棄自壊していく彼女の心象にポイントは置かれていて、他方で田舎の男共の凡庸さ俗物さも含めたしょうもなさとか腐れたかんじはあまりない。 エンマは森の奥で、たったひとりで息絶える。 女性監督らしい描き方、といってしまってよいのか。
寒色の世界、窓辺に向かって少し首を傾げてひとり佇むヴィルヘルム・ハンマースホイの絵画にそっくりの構図が沢山重なって、要するにそういう静けさ、その反復がエンマを苦しめ、孤立させていった、というのは十分伝わってくる。 彼女にとって世界はどんなふうに見えたのか、そこだけ。
かわいそうなエンマ、て思ってしまう自分はなんで、なにをもってそう思えるのか、ていうことを考えさせる、それだけでよいのかも。 自分はとっても頭がよくて趣味もよい、て確信している世のフローベール愛好家はふん、て冷笑するだけだろうが。
Mia Wasikowskaさんはすばらしい。 しかし、Jane Eyreやって、Aliceやって、Emmaやって、文芸モノで攻めるねえ。 あとはシェイクスピアだろうか。と、今作でところどころClaire Danesさんそっくりに見える彼女をみて思った。 ジュリエットは無理かもだけど。
日本でも漫画原作モノばかりやってないでもっと近代文学原作モノやればいいのに。
7.19.2016
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