『パティーとの二十一夜』。 英語題は“21 Nights with Pattie”
ラリユー兄弟特集、『描くべきか愛を交わすべきか』に続けてみました。
ものすごくおもしろくてびっくりした。 これがなんでふつうに公開されないのか、ちっとも理解できない。
夏の真っ盛り、フランスの山奥の村にキャロリーヌ(Isabelle Carré)がやってくる。 疎遠だった母が急死したので葬儀のために母の住んでいたお屋敷「秘泉荘」に滞在して、母と親しかった村人とも会うのだが、母の友人だったパティ―(Karin Viard)は会うなりべらべら猥談(自分がやったりやられたりしたすごいはなし)を始めて、夫も子供もいる、でも最近不感症になっているキャロリーヌには目が点で、へんな村、へんな人たち、と思って宿に戻るとあったはずの母の遺体が消えている。
警察はあてにならないというので憲兵隊に連絡して、ネクロフィリアかもしれない、とか言われてぞっとして、しかたなく滞在予定を延ばすことにしたら母と親しかったという老人ジャン(André Dussollier)が現れて、母の遺体はどこかに消えてしまいました、ていうと激昂したりして謎で、でも後で母の書斎の本を調べてみたら、ひょっとしてこのひとは作家のクレジオかもしれなくて、更に母と知り合った年からすると自分の父親なのかもしれない、とか思ってうっとりしたり、パティ―の息子の青年は自分に気があるに違いない、と思ったり、気がありそうなのは、変な木こりのドゥニ・ラヴァンとか、憲兵隊のおやじもそうだし、なんか急にモテるようになったのかも、とか、パティーのいっていた狂おしいスッポンタケの林とか、そもそもママはどこに行っちゃったのよ! とか、なんだかとっても気忙しく、落ち着かない。
いなくなった母も含めて、あんたらみんななんなのよ! で妄想も含めてあたまのなかがぱんぱんに膨れて、半ばやけくそで村祭りの盆踊り(あのバンドすてき)に出かけ、暗闇のなかの雷雨・豪雨もきて、彼女は。そして母は。
突然向こう側に行ってしまい、更には遺体ごと消えてしまった母を経由したのか彼女が仕組んだのか、キャロリーヌのなかの何かが開かれ、吊るされた鹿の皮がばりばりめくられてしまうように、何かが見えるようになって、やっぱし愛は交わすべきか、みたいになる。
おとなの国のアリス、おっかなくない幽霊話、怪奇譚、あんまやらしくない猥談、などなど、すべてがあけっぴろげで大らかで、みんなずっと酔っぱらってばかりで、いいなあー、だった。
しかもあの村はほんとうにあって、パティ―もドゥニも実在のモデルがいるんだって。
ブニュエルみたいな、ラテン系の大らかさ(ほとんど「ばんばん!」しか言わないドゥニ ... )がたまんない、なにがたまんないのかというと、真夏の夜の眠れない狂おしさが伝染してきそうな、むずむずしたかんじがやってくるから。
もうひとつ、夏の夜のどんちゃん騒ぎに対比される主人を失った「秘泉荘」の暗さと静けさ、揺らぐカーテンとか。 そこにゆらーりと浮かんで舞う ...
監督ふたりのトークもおもしろかった。 なんともいえないうさん臭さとやらしさ(ほめてます)を湛えていて、Blonde Redheadのあの兄弟みたいな。
兄弟監督でいうとタヴィアーニ兄弟の「カオス・シチリア」を思いだした。たんにいま見たいだけかも知れないけど。
あと、2本通してSabine AzémaとAndré Dussollierを久々に見てやっぱしうまいよねえ、て思った。
(アラン・レネも見たくなった)
ああそれにしても。 朝目覚めて大切なひとがいなくなってしまったことを知って寝床から起きあがれなくなるという日々をなんとかしてほしい。 今年はあまりにきつすぎる。
お願いだからいかないで。
7.05.2016
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