7.04.2016

[film] Torneranno i prati (2014)

5月29日(まだ5月)の日曜日の昼、神保町でみました。

「緑はよみがえる」英語題は”Greenery Will Bloom Again”。
でも緑色なんて出てこない。 カラーのはずだがモノクロの墨絵のように暗い光景がずうっと続く。

1917年の冬、第一次大戦中、北イタリアの雪山のなかでイタリアとオーストリアが塹壕を組んで対峙して睨みあっていて、互いにまったく動けない。でもこの膠着状態が続く限りにおいてこの一帯の安泰は保たれていて、イタリア軍兵士が歌いあげる民謡が月夜に響いて両サイドから喝采が起こったり、家族に手紙を書いたり読んだり、ベッドの端にやってくるねずみくんにご飯をあげたりしている。

ある日雪山を越えてイタリアの本部からの使いが二人現れて、ここの無線は傍受されているようだから新たな無線局をこの辺に作るように、と言う。この辺て言われた辺りは地図上はまっさらで正気か? 暇つぶしか? としか思えないのだが、命令だし、命令ということはここから外に出ろということですよね?  と軽く一歩踏みだしてみた兵士はあっというまに一発で…(この間合いときたら冗談みたいにすごい)。

で、その辺から突然爆撃が始まって、戻ることも進むことも留まることもできない地獄絵が広がっていく。戦争の悲惨とか狂気とか不条理、というよりも描き方としてはとてつもない雪崩が起きて半分以上の兵士が為す術もなく巻きこまれて亡くなり、半分が雪原に放り出された、という状態に近い。一方的にやられるしかない、とてつもない無力感だけがやってくる。 雪崩と違うのは、これをやっているのがついこの間、きれいな月夜の晩、同じ唄に聞き惚れて喝采してくれた反対側の兵士だった、ということだけだ。 それだけなんだ。

もうじき85歳になるオルミ監督が自身の父に捧げた76分。
『木靴の樹』で撮られた19世紀末の貧しい農村の風景と、この映画で撮られた20世紀初の戦場の風景と。
どちらも同じ国の、みな同じような家族がいる情景になるはず。 だった。

兵士が手紙に綴る「人が人を赦せないのなら人間とは何なのか」という言葉、更には、この凍てついた救われない雪山になんで「緑はよみがえる」というタイトルを付けることができるのか。

そして、同様の問いを示し続けたエリ・ヴィーゼルが亡くなった。
まだいろんなことを教えてほしかった。ご冥福をお祈りします。

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