11.10.2015

[film] Suffragette (2015)

1日の晩、HoustonのLandmark Sunshineで見ました。ここもとっても大好きなシアター。
タイトルとポスターだけ見て、例えば"Pride"のようなみんなで困難乗り越える系の、威勢のよいかんじの、エンディングにはBowieの"Suffragette City"でも流れて、みたいなのを想像していたらぜんぜん違った。 どシリアスで、重い。 よい意味で。

1910年代、ランドリー工場に勤めるMaud (Carey Mulligan)は夫と息子と質素に暮らしていて、でも仕事はきつくてやってられないことばかりで、婦人参政権運動(Suffragette)に参加している職場の同僚になんとなくついていってデモに参加して以来、仲間と一緒に運動するようになり、そのうちしょっぴかれて警察に目をつけられて、それが重なるうちに夫からも職場からも疎まれるようになり、家にもいられなくなって最愛の息子も養子に出され、教会で寝泊りするようになり、並行してデモに対する弾圧も厳しさを増していって、進むことも戻ることもできなくて、という悲惨な状態が延々描かれる。

最近のネットや雑誌で語られるフェミニズムのパワーやポジティビティなんてこの映画の上には微塵も欠片もなく、あらゆる抗議も要望も懇願も端から男性(権力者)の手で容赦なく叩き潰されていくばかりで、最後の最後には英国王に直訴するしかない、という絶望的なところ - それは本当に絶望的なイチかバチかの賭け - まで追い詰められていく、そのリアルなどん詰まり感ときたら胃と頭がいっぺんに痛くなる。 ここまで激しくてきつくて、それでも彼女たちは立ちあがらないわけにはいかなかった。

今や誰もがしごくあったりまえと思っている女性の選挙権、参政権ですら自らの手にするまでにこれほどまでの血と涙が流されて犠牲が払われたのだ、ということを改めて認識して周囲を見回してみること。 SEALDsのデモを見て、民主主義なんてあたりまえじゃん、きまっているじゃん、とかネットで(高みから)冷笑しているような人たちにこそ見てほしい。 おかしいことはおかしくて、それは声をあげなければ、あげ続けなければ変わらないようなことが殆どなのだ、と。 女性蔑視にしても人種問題にしても最近の難民問題にしても、まだぜんぜん途上の、継続しているテーマ(問題)なんだ、てエンドロールのところでわかると思う。 

(エンドロールで女性に選挙権が与えられた年と国の名前がリストで列挙されていくのだが、そこになぜか日本の名前はない -  まだないと思われていたりして)

最後に残るのは希望というより祈りに近くて、それを受けとめる我々はその祈りは叶えられなければいけないものだ、と強く思う。
それだけでいいの。 あとは日本でちゃんと公開してほしい。 頼むからくだんない邦題なしで。

あと、権力者側 - この映画だと警察とか - は、なにが正しいとかではなくて、国の方針に逆らうのは基本全自動で相手を敵、脅威とみなして、それをバネにして行動=弾圧するのだ、というのは改めて思った。 彼らにはどんな希望も期待も抱いたところでしょうがないのだ、と。 リマインダーとして。

女優陣は誰もみんな真剣で命懸けで演じているようですばらしい。 叩きのめされてしおしおになって、でもぜったいめげないCarey Mulliganさんも、びっくりするほど繊細な演技をみせるHelena Bonham Carterさんも。 Meryl Streepだけ、いつもどおりの威風堂々なにか文句ある? だったけど。

音楽はAlexandre Desplatさん。 相変わらず見事な繊細さ。


こういうの見ると「一億総活躍」なんてほんとおめでたいバカの戯言でしかないとおもうわ。

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