旅に出てしまうと(旅じゃない。出張。 し・ご・と・だ)、その記憶はあっというまにどっかに消えてしまう(仕事のも、ね)気がして、だから早めに書かなきゃと思って書くのだが、そういうのが続くと普段の週末とかに見てキューに溜まっていたやつが膨れあがってどうしようもない。 書かなきゃいけないルールなんてもちろんないのだが、せっかく見たのだから感想を少しでも書いておいたほうが、と思うので、ちょっとずつでも書いていきま。
もうひと月以上昔、10月11日の11時、新宿のラテンビート映画祭で見ました。
『アジェンデ』 英語題は、”Beyond My Grandfather Allende”。
73年、ピノチェトによるクーデターで崩壊したアジェンダ政権、それと共に亡くなったサルバドール・アジェンダ大統領の孫娘がクーデター後にばらばらになった家族の軌跡を追ってファミリーアルバム(映画)を作ろうとする。 彼女(監督)には祖父の記憶が殆どなくて、でも家族ひとりひとりになんらかの記憶は残っているはずで、でも誰も当時のことを語りたがらないようだった。
撮影開始時、祖母のテンチャは90歳を超えてまだ存命していて、監督はなんとか彼女からの証言を引き出そうと突っこんでいくが、肝心なところにいくと「疲れた」とかわされてしまう。
他方で母や伯母からは写真を含めて当時のいろんなことが箪笥の奥から出てきて、クーデター後、離散した家族 - キューバに亡命した後で自死した伯母のこととか、あたりまえのことではあるが、政変は国だけでなくひとつの家族をぶっ壊してしまったのだなあ、と思うし、それでもこんな形で繋ぎあわされることもあるのだなあ、とも思った。
あと、(特に祖母からは)言葉として殆ど表に出てこなかったが故にその重さ辛さは条理を超えたものだったのだろうな、と。 誰もが偉大だった大統領のことを知っている、アジェンデは偉大だったという、でも彼は夫で、父で、祖父で、チチョと呼ばれて家族の中心にいたひとでもあったのだ、それがあんな形で突然引き離され、自殺か他殺かの確認も遺体の確認も出来なくなってしまう。それは家族ひとりひとりにとって、彼らの40年という時間のなかで、どういう位置を占めていたのか、フィルムはそれを丹念に拾いあげていく。 わたしにはそれしかできないんだ、という無念さも。
これが上映された週、山形のほうでは丁度『チリの戦い』三部作をやっていて、合わせて見ればもっといろいろなことが見えてきた、のかもしれない。 見たかった。
90年代、サンチャゴに仕事で何回か行ったことがあって、そのとき通っていたオフィスはクーデターのあった宮殿を見下ろせる場所にあって、あれがクーデターのときの、とか聞いたのだったが当時はあんま知らなくて関心もなくて、もったいなかったなあ。
パリの事件、本当に残念で悲しい。
金曜日、アンスティチュ・フランセのフレンチタッチ・コメディで楽しんだばかりだったのに。
11.14.2015
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