パリで、ベイルートで、韓国で、立て続けに悲惨で悲しいことが続いているのでとっても滅入るのだが、いまは成田で、これからちょっとだけシアトルとかに飛んで、木曜の夕方に戻ってくる。
現地の人たちの悲しみや苦しみと比べたら小さなことではあるが、今回の日本のTVを中心としたメディアの対応には改めて、しみじみ嫌になったので、いま国外に出てそれらから目を背けることができるのはよかったと思うくらい。
対応の是非、その良し悪しということよりも、これってどれだけ他者の悲しみや痛みに寄り添うことができるのか、ていう想像力や体温の問題で、今の日本(のメディア)は、ぼくらを見て!(ほらこんなに素敵なんだから)はいくらでもわーわー言うけど、他者を他者として受けとめる感受性がどうしようもなく鈍化していると思う(そしてそれを矯正しようとする力が働かない - それの何が悪いの? - になってしまう)。 これがメディアの問題に留まらず嫌だと思うのは、日本人一般の感じ方を代表しているかのように捉えられる可能性があるからなんだよ。 そういうのが例えば海外で暮らす日本の人たちにどんなふうに波及することになるのか、わかる? それでいいんだったら、勝手に幼稚なナルシストしてろ、気持ちわるい。
今回はシアトルで2泊、もう一ヶ所で1泊、びっちり打ち合わせなので動きようがないねえ。シアトルはダウンタウンの方じゃないし、しかもずっと雨みたいだしー。
日本に残してきて残念なのは、アンスティチュのフレンチタッチ・コメディの特集とメナヘム・ゴーラン映画祭、だなあ。
来るときのNEXでは12inch x 2で再発されたPeter Gabrielの3 (1980)をずっと聴いていた。(誰もが抱くであろう感想のひとつとして、こんなに軽く、薄くなかったよね..) 当時高校生だった自分の知覚野を拡げてくれた音のひとつ。 例えばこれと、Pop Groupの”For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?”と、Cabaret Voltaireの"Three Mantras”がある柱(群)をつくった、と。
とにかく、Melvinsまでにはぜったい戻ってくるし。
ではまた。
11.15.2015
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