まだ10月の12日、月曜日の午前にラテンビート映画祭でみました。
最初に29分のドキュメンタリー。
La parka (2013)
メキシコの食肉処理工場の描写 - 狭い視角のなかに牛が送りこまれて、それががたんと崩れ落ちる映像が続いて、彼らが死に、彼らが仕事をする工場の映像、そこで若い頃から働いている男の独白 - 仕事に対する思いや罪の意識 - が被さる。例えば、”Meat is Murder”が流れる隙間なんてこれっぽっちもない、どうしようもない冷たさが支配する。
たぶんもうじき自分は菜食になってしまうんだろうな、という最近の予感を後押ししてくれるかんじがした。
映画とは関係ないけど、なんでみんなあんなにTVでも雑誌でも肉肉言ってるのか、ぜんぜんわかんないの。
そのあとで、「パウリーナ」。英語題も”Paulina”。
1960年の同名作品(未見)のリメイクだという。
28歳のパウリーナ (Dolores Fonzi)は、冒頭、アルゼンチンの法曹界の重鎮であるらしい父親と議論していて、どうやら都会で弁護士として精進する安易な道を捨て、ソーシャルワーカーとして田舎の村に赴き、若者たちに民主的権利を教えるプログラムの教師になろうとしているらしい。
結局父親を振りきってその村に赴任するのだが、村の若者は勉強へのやる気ゼロでかんじ悪くて(例えば “Dangerous Minds” (1995)なんかの数倍不気味で手がつけられないふう)、でも同僚の教師とは仲良くなって彼女の家に呼ばれてお酒を飲んだりして、そこからバイクで帰る途中、村の若者たちに襲われてレイプされてしまう。 でもそれは間違い - 自分の彼女に浮気をされた若者が仕返ししようと待ち伏せしてて、そこにパウリーナがたまたま通りかかった - で、更に悪いことにパウリーナは妊娠してしまうの。
気丈な彼女はへこたれないのだが、父親はだから言ったろうが、と強制捜査に入って容疑者たちをしょっぴいて、殴る蹴るで自白をさせて、パウリーナにも確認を求めてきて ー。
この後、お腹の子供は当然堕ろすべきだ、という父親と、それはしない、というパウリーナとの議論がなかなかすさまじくて、考えさせられる。
父親が一般論として語る社会的正義とか使命とかはわかる、けどこのまま単なるレイプの被害者として、暴力に満ちた世界の結果のような形で収束させて消してしまいたくないし、このお腹にいる子はいまのままでは全く意味のない何かでしかなくなってしまう、けどいまここに、このなかにいるのだと。
(向こうはそう思っていない)暴力や野蛮とどう向き合うべきなのか、ということを極めて具体的な問いと共に突きつけてくる、よい映画だった。 きちんと公開されるべき。
ラストはカメラに向かって歩いてくるパウリーナのショット。その強い目。
Giovanna Mezzogiornoさんの強靭さを思い起こしたり。
11.15.2015
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