9.11.2014

[music] The Philip Glass Ensemble & Steve Reich and Musicians - Sep.9

9日の晩、BAMのNext Wave Festivalの初日、ようやく、まちがいなく、見れた。
仕事から解放されたのが6時過ぎ、地下鉄でBAMに着いたのがだいたい7時、チケットをピックアップして、7:30の開演までまだ少し時間があったのでGreenlight Bookstoreに走って何冊か。 ほんとに時間なさすぎ。

いっこだけ空いてて3日前に突然取れてしまった席はオーケストラのG列のまんなかで、かみさまほんとにありがとう、だった。 自分にとってBAM(Brooklyn Academy of Music)ていうのはほんとうに特別な場所 - アカデミー - なの。

アメリカの現代ミニマルを代表するふたりの作家が約40年ぶりに同じステージに立つ、ということでメディアのほうも浮かれまくりのお祭りだったが、音楽とおなじようにふたりは醒めてて(握手もハグも笑顔もなし)、歯車としてふつうに作動しているだけ、みたいな。

3日間のうち、演目は毎日違っていて(9/11はライヒの"WTC 9/11"をやる)、休憩挟んでこの日は5ピース。 ふたりが同じステージに立ったのは1曲だけ。

Four Organs (1970)

ライヒとグラス、このふたりを含む奏者5名(オルガンのひとりはNico Muhlyさん - Rufusとかbjörkとかに関わっていた - )が現れただけで、ロックのライブのようなすさまじい歓声と喝采。
ステージ向かって右側にライヒ、ふたり置いてグラス、のオルガン(デジタルだった)4名が中央のパーカッション(マラカス)奏者をぐるりと囲んですわり、ぶおーっ、ぶぁーっ、と単調なオルガンのノートを鳴らしていく。オルガンの出だしは同じようなトーンなのだが音の終わりめが各自少しづつずれたり異なったりしていって、その重なったり重ならなかったりが微妙な亀裂を呼んでその亀裂がリズムに交わって別のなにかを生む。その間、マラカスはなにが起こってもどんな変な音が鳴ったり縒れたりしてもえんえん同じリズムを刻んでいなければならなくて、その虐められっぷりを見て思うだけでたのしい。 あと、演奏しながら各奏者はなんかひとりごとのようにぶつぶつ言っていて、なに喋っていたのかしら。 でエンディングのぴしっとした切れのかっこよいこと申し分なし。 全体を仕切っていたのはNico Muhlyさんでした。

- the CIVIL warS: “Cologne” excerpt  (1983)
- Music in Twelve Parts: Parts 1 & 2  (1971-74)
- Akhnaten: Act 1, Scene 1, “Funeral of Amenhotep III”  (1982-83)

そこから次の3つはPhilip Glass Ansembleによるグラス作品で、1名の女性コーラスを含むオルガン4と管が3の7名編成、”Akhnaten”ではこの編成にパーカッション2名が加わった9名編成になる。

グラスの曲の根っこで渦をまき嵐を呼ぶぶっとさ、どす黒さ、強さを改めて思い知らされる演奏だった。
ほとんどがオルガン中心のアンサンブルなのにその裏でバスドラがどこどこ唸りをあげているかのように聴こえてしまう。

Music for 18 Musicians (1974-76)

休憩を挟んで後半はライヒの"Musics for 18 musicians"、これ一曲のみ。
今回の演奏はライヒ作品の演奏を中心を支えたパーカッション奏者James Preissさんに捧げられていて、彼の担当していたパートはその弟子のDavid Cossin(Four Organsで囲まれていた彼)が引き継ぎます、と最初にライヒ自身によるアナウンスがあった。

ステージ前方に女性コーラスが2名づつ、中心に向かいあうかたちで座り、その内側に弦2名と管2名がやはり向かいあって座り、後方にはマリンバが3台だか4台だか、鍵盤が2台だか3台だか(遠くてよく見えない)。
前方の8名は固定で動かず、後方に座るライヒを含む11名の奏者は他のライヒ作品と同じように演奏パートによってポジションを変えていく。

グラスの音が渦を生成するうねり、うねりの中心へに向かう(或いは中心から逃れる)ダイナミズムとか力・圧力を感じさせるのに対し、ライヒのそれは音の重なりと連なり、そもそもなんの意味も必然もないかのように聴こえてくるその重なりや連なりが時間と共に異相を変えて「音楽」に変容していくさまと、そこで露わになってくる音楽と非音楽の境目を執拗にこちらに示してくる。 一聴すると軽いようでいて、実はものすごくねちっこく収斂と拡散の間を行ったり来たり。

両者の違いを改めて思い知ることができて、それはよかったのだが、いま「共演」する意味はどこにあるの? ていうのはたしかにあったかも。 お祭り、てことでよいの。

NY timesのレビュー;

http://www.nytimes.com/2014/09/11/arts/music/philip-glass-and-steve-reich-reunite-at-bam.html?ref=arts&_r=0

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