9.27.2014

[film] La Grande Bellezza (2013)

7日の日曜日、「暖春」のあとにそのまま横ずれしてみました。「グレート・ビューティー/追憶のローマ」

冒頭で日本人観光客のおじさんがローマ観光中にぽっくり死んじゃって、以降、いろんな死が。

主人公のジェップは65歳で、若い頃に書いた小説が評価されただけ、それ以降小説は書けなくなってジャーナリストをしながらセレブ相手にパーティ三昧の無為な日々を過ごしていて、死からもそんなに遠くなくなった彼に去来するいろんな想いがローマの町並み、昼と夜の光、自身の過去と現在のなか、だんだらに描かれる。 それだけなの。 冒頭にセリーヌの引用が出て、フローベールも出てくる。

そんなら書けよ、おっさん、とか。

Paolo Sorrentinoの前作 “This Must Be the Place” (2011)も、人生のピークを既に過ぎてアイルランドでぼんやり暮らしている男(Sean Penn)がアメリカに渡って父と「ホーム」を探しあてる、そんなようなお話だった。 こんどのは父も「ホーム」も既に手元・地元ローマにあって、そんな彼が見い出すなにかは、かつての恋人が遺した日記とか、親友の娘の踊り子との出会いとか、よぼよぼのシスターといった、既に亡くなったり朽ちかけているもの、そしてそれらを包みこむ巨大な廃墟であるローマを流れる時間のなかにあって、それをLa Grande Bellezza - The Great Beauty - とよぶ。

まあそうなんでしょうね、としか言いようがなくて、ローマはそういう場所なんだろうな、というのもわかるのだが、それがなんであのおやじなのか、というあたりがあんまよくわからない。あのシスターであってもよいのではないか、とか。 いや主人公はローマという都市そのもので彼らはそこに暮らす鳥なのです、というのならわかるし、エンドロールの河のショットは本当にすばらしくて、あれだけあればいい、というかんじにもなったので、よいか。

監督の若さもあるのか、なんか甘くて野暮なのよね。 ヴィスコンティやアントニオーニだったら”Great Beauty”なんてこと絶対言わなかったと思うし。

あとこれは映画とは関係ないけど、見にきた文化村おばさんの横でぐーぐー寝ているおっさん衆とか、HPの「著名人」編集者のクソみたいなコメントを見ていると、こういうのを宣伝に使えると思っている時点で、日本て腐敗を通り越して終ってるとおもう。

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