14日、土曜日の昼間に渋谷で見ました。土日それぞれ1本くらいしか見れなくなっちゃったのはなんで?
10月のThe New Yorker Festivalで見たNoah BaumbachとGreta Gerwigのトークでは、ふたりが訪れたベルイマンの島のことをハネムーンの思い出のようにきゃあきゃあ楽しそうに語っていて、こいつらこのふたりみたいになりたいのかしら、と思ったものだったが、それを検証するのに丁度よさそうなドキュメンタリーがリリースされた。『リヴ&イングマール ある愛の風景』。 そうかこれが彼らが語っていた島か、と。
ベルイマンの映画で監督と女優として出会ったとき、彼女は25、彼は46で、ふたりにはそれぞれ家族がいたのに燃えあがる愛を止めることはできなくて、でもあまりに激しすぎてやばくなったので離れて、でもふたりの友情 - 監督と女優という関係もは彼が亡くなるまで42年間続いたんだって。
ふたりの関係の変遷は時系列で"Love" - "Loneliness" - "Rage" - "Pain" - "Longing" - "Friendship"といった章立てで表されて、ところどころでそのときどきの彼らのありようを象徴的に示すクリップがベルイマンの映画からの抜粋(当然リヴ・ウルマンが出ているやつ)で流される。 ベルイマン本人のメモや手紙にあった言葉は、本人ではない声優の声で聞こえてくる。
そこにあるのは彼女のベルイマンに対する熱くて厚い愛でありリスペクトであり、或いはふたりの関係、過ごした時間に対する感謝でもある。
でも、それがものすごくよくわかって見えてしまうが故に、こわい、かも。
そんなふたりの「ある愛の風景」を(再)構成したのはリヴ・ウルマンで、もちろんそれをできるのは当事者である彼女だけなのだから文句ねえだろ、なのだが、ベルイマンはお墓のなかでなにも言わないし言えない。 でも自分の作った映画が自身の過去(の恋愛じたばた修羅場)をサンプル投影するようなかたちで使われる、て聞いたらあたまきて墓から出てきたりしないだろうか。 そういえば亡霊がでてくる映画もあったな、とかあまりに失礼すぎ。
それくらいに彼女の彼に対する思いは強く揺るがないのだ、ということもできるし、彼の映画はそんな紙一重の向こう側で燃え広がる情念を追い続けてどこまでも深く広いものなのだからこのくらいの利用は許容範囲なの、ということもできるだろう、けどなー。なんかなー。
ぜんぜんどろどろじゃない、狂気の愛とかじゃない、彼女が最後にさらりと「これは復讐なの」と一言でも言ってくれたらかっこいいー て痺れたかもしれない、しかし実際には輝かしいキャリアとその遺産のなかでやさしく微笑んでいるおばあさんがいるだけなの。
メモや手紙は燃やしとくべきだねえ、と思ったが電子メールだと残るからやばい - でもだーれもリヴ&イングマールにはなれないからね。
これ、ベルイマンの特集と合わせてちょうど今Lincoln CenterのFilm Societyでも公開している。
でも同じとこでやってる、George Cukorのレトロスペクティブ - "The Discreet Charm of George Cukor" のほうだよねえ。
それにそれにFilm ForumのほうではBarbara Stanwyckのレトロスペクティブ - "STANWYCK"までやってるの。 あーあ。
12.17.2013
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。