7日の土曜日の夕方、新宿で見ました。
昨年からずううっと見たかったのがようやく。
しかしこれをR18にするかね。まあね、秘密保護法なんかできるずっと前からこういうのの検閲とかぼかしとか、ひみつで理不尽で恥をしれ、の世界だったからね。 くそったれ。
6歳の頃にかかったポリオでほぼ全身の自由がきかず(感覚はある)ずっと横になったきり、夜の間は金属の呼吸器(Iron Lung)のなかで過ごしている38歳のマーク (John Hawkes)がセックスを経験してみたい、と神父(William H. Macy)に相談して、セラピスト経由でsex surrogateのシェリル (Helen Hunt)を紹介してもらい、6回のセッションを通して性を知っていく過程を彼自身で記事にして、とそういう実話がベースなの。
こんなことを求めるのを神様はお許しになるのか、なんとなくいけないことのような気がするし、相手は嫌がるだろうし軽蔑するかもしれないし、失敗したら - よくなかったらどうする、相手を不快にさせたら、嫌われたらどうしよう - などなど、これらって気楽に求めよう/求めたいという快楽の反対側で、ちょっとでも躓いたら深淵に落ちて、自分にも相手にも二度と立ちあがれないようなダメージを与えてしまうかもしれない、そんな畏怖や恐怖を誰にも相談できないまま、本を読んだりして悶々としている。 これって、30年以上寝たきり童貞のマークだけのものではなくて、だれだってそうなんだよね、最初は。
映画はマークとシェリルが6回のセッション(実際には4回) - お仕事上の関係を通してそこに横たわるほんとうの「障害」はなんなのか、をほぐしていくような描きかたをしている - このへんを冗談にも露悪にも自虐にもせずにたんたんと真面目に向きあっているところがよいの。
詩人であるマークはもちろん、自身の家庭内ですこし陰りがあるシェリルの落ち着きも、4回目のセッションのあとで彼女との関係をさらりと解くところもよくて、他にシェリルの前にヘルパーだったアマンダとか、シェリルのあとで出会うスーザンとか、ヘルパーのヴェラとか、彼を囲んで登場する女性がみんな素敵で、マークの思いをそれぞれに受けとめようとした女性たちの映画として見ることもできる。
例えば、「さよならを待つふたりのために」がぜんぜん難病モノではなかったのとおなじように、この作品も障害者モノなんかではなく、愛と性が、言葉が、ふたつの、ふたりの体の間で響き合うさまをそうっと掬いあげる。 その眼差しの思慮深さ、注意深さこそみんなが見て心に刻むべきもので、だーかーらーR18なんかありえないんだって。
もうちょっとユーモアがあってもよかったかも、だけどそういうのは"The 40 Year Old Virgin"あたりに任せておけばいいの。 William H. Macyはほのぼのとおかしかったけど。
12.09.2013
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