7.21.2021

[film] 今年の恋 (1962)

7月15日、木曜日の晩、神保町シアターの木下恵介特集で見ました。
これは何度も見たことがあるやつなのだが、単になんとなく好きだからー。

高校生の山田光(田村正和)と相川一郎(石川竜二)は親友で不良に絡まれていつも一緒に殴られてばかりで、やり返してやるんだ、って揃ってボクシング習ったりうだうだしてばかりで、光は家に帰ると婆や(東山千栄子)とやりあっているし、一郎も姉の美加子(岡田茉莉子)と言いあったりしていて、当事者以外は、互いの家庭環境についてしょうもねえな、という印象しかなくて、たまたま美加子の両親がやっている小料理屋の客としてやってきた光の兄 - 正(吉田輝雄)- 女性を連れている - を見ても、別のときに現れた山田家の父(野々村潔)も恋人の清子(高森和子)を連れているのを見ても、やっぱりこの家は... になってしょうもない。

周囲の雑音をよそに仲良くなっていく高校生男子ふたりと、育った環境がよくないとろくでもない子に育ちますのね、とつんけんする美加子と、そんなことばかり言っているからあなた結婚できないんですよ、とかぶつかりあいながら近づいていく正と美加子だったが、山田の父と清子がランデブーする京都に光と一郎が消えて、まったくもう、って正と美加子が車で彼らを探しに向かうの。季節は年の瀬で除夜の鐘も出てきて、こんな今年の恋は来年もね、って続くの。

親たちに替わって弟を大切に育ててきたつもりの姉と兄が、成長した弟たちの挙動を掴めなくなった途端に相手の家庭について文句を言い始めて、でもそうしながらその鏡で自分の家や自分自身の今やこれからも見ることになって、それを通して仲良くなっていく、そんなものすごく真っ当で他に転びようのないrom-comで、そういうのが弟たちの電車や部屋でのやりとりとか、それぞれの家の間取りとか、テーブルやお茶の間での親やばあややお手伝いさんとのやりとりとか、まだオリンピックでぶち壊れていく前のにっぽんの家庭で丁寧に展開されて、その腑におちるかんじときたら半端ないの。

弟たちが揃って不良にいじめられるような親友同士じゃなかったら、そういう弟を思いやる姉や兄じゃなかったら出会うことがなかったかもしれないふたりが、針の穴を抜けていくように互いのことを見て出会って、でもこれ弟のためなんかじゃないから、と言ったら最後、あとは恋におちるしかないって。

とにかく、岡田茉莉子がとてつもない。やかんをぴしゃりとひっぱたいたり、廊下で軽くステップを踏んだり、父(三遊亭圓遊)の「暮れの京都はいいぞぉ」に「アホ!」って秒速で返したり、その動きの反射の的確さと正確さときたら世界最強、唯一無二のコメディエンヌだと思う。『秋日和』(1960)と並んで敵にしたらぜったいやばいかんじの。

あとは、三遊亭圓遊と浪花千栄子の夫婦もよいし、東山千栄子も揺るぎないし、でもこの時代の若者たちって、ふつうに彼らに向かって「バカ」とか「アホ」とか言っていたのかしら? そんなこと言ってはいけません、って言われてきたけど。

今リメイクするとしたら、男子ふたりを恋仲にして、いろんな偏見や嫌がらせを背にふたりが逃避行する - それを姉と兄が追っていく切ないロードムービーになるのかもしれない。そうしたらコメディじゃなくなっちゃうか…


なんだか具合がよくなくて、横になると落ちて2〜3時間経っていたりする。冬眠の逆のやつだと思うー。

7.20.2021

[film] Mortal Kombat (2021)

7月11日、日曜日の晩、新宿ピカデリーで見ました。

こういう格闘ゲームの映画化みたいのについては格闘もゲームもまったく興味ないので見てこなかったし、見てもおそらく理解できないのだが、この映画についてはキャストを見るといろんな国籍のひとがばらけて入っているし、撮影風景みたいのも楽しそうだし、なによりもいま映画館で見たい映画がちっともないので、見てみようと思った。その程度で、過去にもいっぱい映画化されてきたことは知っていたけど予習とかは一切しないで。

17世紀の日本で、侍のHanzo Hasashi (真田広之)の妻と子供がどこからか現れたBi-Han (Joe Taslim)によって氷漬けにされて殺されて、Hanzo自身も激闘の末殺されちゃって、妻子が床下に隠しておいた赤子だけ、天から降りてきたLord Raiden (浅野忠信)によって助けだされてどこかに連れ去られる。

時は現代のシカゴに移り、ストリートファイトをやったりして妻子を養うCole Young (Lewis Tan)はそんなに強くなくて、そこにBi-Han/Sub-Zeroが氷を散らしながら突然襲ってきたところを米軍関係者のJax (Mehcad Brooks)が現れて両腕をやられながらも助けてくれて、彼がやられる前に言っていたSonya Blade (Jessica McNamee)を訪ねていったら、彼らがずっと追っていたMortal Kombatのことを教えてくれて、要は魔界と人間界はえんえん喧嘩している仲で、Coleは人間界を代表して戦うひとりなのだそのドラゴンの痣が証拠だ、とか言われて、でも自分はそんなに強くないのになんで? ってなる。

でもとにかく人間側のメンバーとしてColeのほかにJaxとかKano (Josh Lawson)とかLiu Kang (Ludi Lin)とかKung Lao (Max Huang)とかが出てきて、でも人間界元締めのLord Raidenに言わせるとこれでは弱すぎて勝てん、ってみんなで特訓とかやっていると、Shang Tsung (Chin Han)とかBi-Han/Sub-Zeroとか魔界のモンスターたちが容赦なく襲いかかってきて大変なことになるの。

太古から続く伝奇ロマンに現代の発展途上の若者を絡ませて、その成長と覚醒 - 眠っていたHanzo Hasashi/Scorpionの血が - を促して、これからも戦いは続くのじゃがんばれ、とかいわれる。スクリューボールもいいとこ。

ゲームだったら魔界と人間界それぞれのキャラクターを自分で選んで対戦したりするのか、とか思うのだが、映画なので、弱かった主人公が成長するお話と仲間を集めていく話と、化け物たちと人間たちがどう戦うか、という話が中心で、ゲームに親しんだひとも初めてのひともそれなりに楽しめる内容にはなっている - 昔からのファンの人たちも楽しんでいるみたいだし - 気がした。とにかく戦えばいい、戦うしかないんだ、って開き直るところまで行ったので、あとはやっちまえ。って巻き込まれに向かう説得力と主人公たちの真剣さはとてもよいと思った。

伝説に導かれて痣をもった者たちが集い戦う、というと八犬伝からアストロ球団までなじみ深いし、にっぽん代表として真田くんや浅野くんが飛び道具なんかじゃなく出ていて安定感たっぷりだし、血や肉が飛び散りまくるところ以外はスムーズにさくさく運んでよいと思ったしおもしろかったかも。 モンスター側も人間側もある種の類型化 - 軍関係、荒くれやくざ、熱血功夫など - を免れていないところもあるが、それらは徒らに戯画化される一歩手前で、現代の物語のなかでじゅうぶん機能している気がした。ただ、映画だったら”Big Trouble in Little China” (1986) - 『ゴースト・ハンターズ』みたいに具体的な土地を舞台にしたほうがおもしろくなったのではないか。(その辺はハリウッドに向かう続編で?)

なにより、真田広之がきちんとしたアクションを見せてくれるのがよかった。”Endgame”でのあれなんて屈辱的だったし。浅野くんはアスガルドからの応援バイトみたいだったけど。魔界と人間界だけじゃなくて神界でも中つ国でもウィンターフェルでも、思いっきり豪勢に広げまくった大戦争絵巻物に持っていってほしい。  んでも今の東京で繰り広げられている善悪のバトル(うんざり)には到底及ばないかも。


強すぎる日射しのなかにいると簡単に頭痛がやってくることがわかった。ここの気候はほんとに向いてない。

7.19.2021

[film] 馬喰一代 (1951)

7月11日、日曜日の昼、シネマヴェーラの成澤昌茂特集で見ました。監督と共同脚本は木村恵吾。
英語題は”The Life of a Horsetrader”なので、馬喰というのは馬を喰う人でも馬のように喰う人でもないことがわかる。

昭和初期の北海道の北見に馬喰の米太郎(三船敏郎)がいて、馬喰としての腕は確からしく仲間にも一目置かれているのだが、大酒飲み、博打好き、喧嘩好きの三拍子で、稼いだお金を博打でスッたり、おだてられて全部下駄に変えてしまったり、家に帰ると病弱で寝たきりの妻はるの(市川春代)と一人息子の大平(伊庭輝夫)がいて、いつもすってんてんなので自分の家族にだけは頭があがらない。

こうして高利貸の六太郎(志村喬)にはやられてばかりで、そのやられっぷりを見ながら彼のことを想う酌婦ゆき(京マチ子)もいたりして、家族だけが心の支えだったのに、ずっと伏せっていたはるのがあっさり亡くなって、これを機に酒も博打もやめて太平を育てるのだ、って、三輪車を欲しがる太平のために村祭りの相撲大会に出て得意の右腕を痛めながらも三人抜きをして賞品貰ったり。 そのうち、成績優秀な太平をよい学校にやるにはお金が必要問題がでてきて、そのためにははるのが遺した貯金で買って育てたお馬ミノルを競馬に出して勝たせるしかないってがんばって、直前まで病で出られるか微妙だったミノルはなんとか出走することができて、感動的な逆転優勝をするのだが、ゴール直後に死んでしまうの…

このあとに米太郎も体を壊して寝てばかりの日々になり、太平は札幌の方に進学するのを諦めようとするのだが、ゆきも傍にいるからだいじょうぶだから、と旅立ちの日がやってきて..

感動的な父子もの & 動物もので、まず三船敏郎がとてつもなく安定したダメ親父をやって、そこに絡む志村喬も京マチ子も年を経るごとによい関係になっていくし、近所の馬喰衆との人間模様も素敵だし、お馬のミノルも目でちゃんとなにかを語ろうとするし、馬を走らせるシーンはダイナミックで迫力満点だし、見どころたっぷりの素敵な映画だとは思うのだが、やはり父親の米太郎のひとりどうしようもないバカさとガサツさが突出していて、すべての混乱と困窮を引き起こしたのはてめー(ひとり)だろいい加減にしろや、とは思った。 いやおれは馬のことしか頭にない馬鹿野郎なんで…  なんて言い訳も許したらあかんやろ、とか思ったらいけないのかしら。

ゆきも米太郎父子を助けるために六太郎のところに身を売ったり、そこまでする? - あんなバカ野郎に惚れちまったあたしだからさ - もいい加減にすれば、とか。 なのだが、京マチ子ってそういう無理をそんなのぜんぶ身に染みてわかってんだよどうしろってんだ、って全身で返してくる。 すごいよねえ。

ラスト、機関車で旅立った太平にどうしてもひと言言っておかねばならぬ、ってよれよれの米太郎は馬を走らせて、全力疾走した彼の馬は機関車にとうとう追いつくのだが、なにを叫ぶのかと思ったら「しっかりやるんだぞー」って。自分が太平だったらぜったい知らんぷりしたくなると思った。

終映後、「あのまま後続の列車に轢かれちゃえばいいのに」という声が聞こえてきて、それそれ、って。

画面が斜めになっているシーンが数回出てきたのだが、あれって馬目線なのか?

ほんとうはシリーズ化されて『帰ってきた馬喰』~『馬喰最後の勝負』~『さらば馬喰』とかえんえん続いてほしかったかも。


馬喰の気持ちいいくらいの豪快さに比べれば、大会関係者のとてつもないせこさが本当に恥ずかしいし情けないったら。

7.18.2021

[film] 裸体 (1962)

7月10日、土曜日の晩、シネマヴェーラの『追悼特集 成澤昌茂 映画渡世』で見ました。
原作は永井荷風(未読)、脚本・監督は成澤昌茂、撮影は川又昂、音楽は武満徹と湯浅譲二(なにこれ)。

冒頭、銀座で働く事務員の左喜子(瑳峨三智子)が所長(千秋実)に放課後ひとり残されて、最近事務所でお金がなくなったりしているんだけど心当たりないか、と疑いをかけられて、あたしはそんなの知るもんかなんなら調べてみろやって服を脱ぎはじめる。これをきっかけに左喜子は所長に囲われていくらでも好きなものを買って貰える関係になる。

彼女が船橋の実家に帰ると、船橋ボーリングセンター(映画のなかでは「船橋ヘルスセンター」と言っている)が近くに見える海辺の村で、父(菅井一郎)と母(浦辺粂子)と祖母(飯田蝶子)は銭湯を経営しているのだが生活は貧しく苦しく、銭湯をのぞいてばかり近所の男とか佃煮屋の次男(川津祐介)とか、寄ってくる村男たちはいるものの彼女は相手にするつもりもなくて、所長におねだりして高円寺のあたりにアパートを借りてもらう。

でも所長が脱税の容疑でしょっぴかれたので、今度は不動産屋のあんちゃん(長門裕之)経由で金物屋の浪花千栄子の家に住まわせて貰って、仕事の方はバレエ教室の先生(田中春男)経由で紹介してもらった怪しげなクラブで大物政治家(進藤英太郎)と一晩寝て - そのときの料亭の女将が山田五十鈴 - 大金貰って、やっぱりあたしの体は芸術品だすごいんだ、って得意になって、ストリップ小屋でマリー・エンジェル(宝みつ子)の力強いダンスを見て感銘うけて確信して - あたしの方が胸大きいし - 勢いつけて夜の街に出ていくのだが…

こういうことになってしまった左喜子の境遇とか振る舞いについて、当時はこういう話はそこらにいくらでもあったんだろうな、という点も含めてその描写のリアリズムや彼女の強がりみたいなところの説得力は十分で無理ないかんじで力強いのだが、その向こう側に出てくる男たちが見事にろくでもないのばっかしで、そういう男たちも含めてあの時代をまるごと肯定しているように見えてしまうところはしょうがないのか。これは永井荷風だけじゃなくて、あの時代の昭和戦前戦後のおやじ作家みんなそうなのかもだけど、あの時代の女性のありようとか風俗とか、愛と郷愁をこめて語る、その独りよがりの(よっぱらいの)語り口がなんか昔から嫌でー。彼らって、女性には優しかったのだろうし暴力的なこともやらなかったのだろうけど、結局異性をあんなふうに書いて散らして、それが積まれて積もってのいま、について考えてしまう。彼らみたいな男共(の残党)が緊急避妊薬の認可を先延ばししてバイアグラを大急ぎで認可させたのだと思う。

もちろんそんなの海外でも同様なので、だーかーらー女性作家を! となるのだが、日本では未だに本屋にいくと「女性作家」という棚別(!)の括られ方をしてしまうくらいなので、ほんとどうしようもねえわ、っていつも思うことがいちいちいっぱい出てくる。オールスター総進撃ですごい人たちがぞろぞろ出てきて、浦辺粂子も浪花千栄子も山田五十鈴も宝みつ子も、みんな印象に残るのにどれもあの時代のスチールでしかない、というー。

62年の船橋の風景がカラーで見れる。船橋ヘルスセンターではドリフが全員集合したりしてて、あのあとららぽーとなんかになったのだが、この頃はほんとただの漁村だったのねえ。


いよいよTVが気持ち悪くて見ていられない段階に入ってきた。もうそんなのとっくに見ていない人たちばかりなのかも知れないけど、日本のスポーツ番組(ジャーナリズム?)って昔からほんとに異様な気持ち悪さだらけで - 週末の深夜とかなんであんなスポーツニュースだらけになるの? - それがそのまままるごと五輪の方にシフトして、その横並びで、平気な顔してコロナの惨状を伝えている。災害が起こっているその横で、惨状を広げる可能性がある要因を焚き付けてがんばれー、とか旗を振っている。 正気じゃない。正気だったらこんなことにはなっていないわけだが。

7.15.2021

[theatre] Medea (2014) - National Theatre Live

7月10日、土曜日の午後、NationalTheatreLiveを上映したTOHOシネマズ日本橋で見ました。3000円払うならしょうもないCM freeにしてほしいわ。

うまく言えないのだが、洋画を見に行ってもしょうもない広告や予告ばかり見せられてうんざりだし名画座で邦画のクラシックを見るのはお茶の間の当たり前すぎるし、NationalTheatreLive的なやつに飢えている。演劇なのか? そうかもしれない。上演前のシアターのざわざわした雰囲気とか照明が消えた瞬間に押し寄せてくる緊張感とか。

エウリピデスのギリシャ悲劇をBen Powerが翻案し、Carrie Cracknellが演出して、ついこの間の4月、Medeaを演じたHelen McCroryさんが亡くなった際も、この作品のことはHarry Potterと並んで多く参照されていた。

コスチュームは男性がスーツを着ていたり現代のそれだが、丸ごと何がなんでも現代、というかんじでもない。舞台の奥の上方はベールをかけられた宮殿になっていて、下の手前が彼女たちが暮らす家、その奥の方には森が広がっている。音楽はGoldfrappのふたり - Alison GoldfrappとWill Gregory – がクラシカルとモダンの間を絶妙に渡っていく。

Jason (Danny Sapani)と恋におちたMedea (Helen McCrory)は彼のために家族を捨て、弟を殺してコリントに渡って彼との間に二人の息子を生んで育てているのだが、Jasonが彼女たちを捨ててコリントの王の娘と結婚するという、その婚礼の晩、子供たちが寝静まった後にひとり残されたMedeaの悲嘆から始まる。

全てを失った絶望の底で復讐に燃えるMedeaがJasonの妻と王をドレスに仕込んだ毒で殺し、更に息子ふたりもナイフで殺してしまう、ストーリーはそれだけのシンプルなものなのだが、Medeaの内面に入り込んでその謎とか闇を掘る、というより、こういう悲惨な母親の子殺しがどうして現代になっても繰り返されているのか、この悲惨が我々にもわかってしまうのか、そちらの方にフォーカスしているような。

Jasonは恰幅のよい、明らかにビジネスの成功者 or 政治家 and よき父として描かれるし、彼女と子供たちに救いの手を差しだすAegeus (Dominic Rowan)も人当たりのよいビジネスマン - 外交官の物腰のよさがあって、でも彼らはその物腰でもって、優しく肩を抱いたりしながらMedeaを地獄の底に叩き落すし、自分のスーツが血で汚されてはじめておろおろ騒ぎだす – こういう絵は誰もがどこかで見たことがあるはず。

冒頭、Medeaのこれまでの事情を語るのはナース (Michaela Coel)だし、宮廷の場面や終盤にはコーラスの女性たちが彼女の近くに現れて近くに立つ。Medeaはひとりではない、泣いているのはあなたはひとりではない、というメッセージは何度も語られてきたし、実際に周りには多くの女性たちがいた – けれどもそれは起こった、台所の壁の向こう側で起こってきたのだ、わかるか? という。 Medeaが最後、子供たちの死体の入った袋ふたつを抱えてひとりでよろよろ去っていくところの救いようのなさ凄まじさ、恐ろしさ。

慟哭にまみれたMedea - Helen McCroryのとてつもない声と嘆き。彼女は正気を失っている、狂っていると言わせるぎりぎりその手前まで、彼女の言葉に嘘はなく、明晰ですらある。だからこそ彼女の突然の、一瞬で起こってしまう殺しは衝撃で、でもその時にはもう手遅れで、この手垢にまみれた手遅れ感、正気と狂気の間の引き裂かれる感覚のなかで何千年も引き摺られてきた「悲劇」とは。 彼女は決して狂女ではないし被害者でもない – 矯正も謝罪も必要ないのだ、なぜなら – という描きかた。


それにしても、”United by Emotion”ときたもんだよ。いちばんだいっ嫌いで気持ち悪いところを突いてくるねえ。これって、海外のひとに理解できるとおもう? “Moving Forward”はプロジェクトがうまくいかないときに、プロマネ側が呪文のように繰りだす - 周りはしらける - だれも聞かない動かない言葉だし。 音楽はどうでもいいけど、渋谷系の中心だった場所が激安スーパーになっているのに正しく呼応しているんだね。

7.14.2021

[film] Black Widow (2021)

7月9日(金)の夕方、二子玉川の109シネマズで見ました。この気圧だと3Dは目をまわしてしんでしまうので、2Dにする。

とってもずっと待っていたMCUの最新作 - Disney+ でのTVミニシリーズはこれの前座でしかないくらい、というか、”Avengers: Endgame” (2019)で、なぜ(Iron Manは別として)彼女だけが死ななければならなかったのか、その答えが明らかになるのではないかと思っていて、でも同時にいろいろ暗くなることもわかっていた。だって彼女は既に亡くなっていることを知っているのと、予告では白を着ているのがその後に黒になっているというのはつまりー、とか。

1995年の夏、オハイオで、髪の一部を青く染めた女の子とその妹と思われる女の子が遊んでいて、母親がいて、どこかから帰ってきた父親が慌しく母親に合図をすると一家で車で家を出て、追手が来て銃撃が始まり、小型飛行機に乗り換えても銃撃は続いて、父親は飛行機の羽根にしがみついて振り切って、彼らはキューバにたどり着く。 キューバで父親は旧知らしき男と肩を抱き合うものの、その反対側で娘たちは別々に連れ去られてしまう。

そこから時は流れて”Captain America: Civil War” (2016)の後、US国務長官のRoss (William Hurt)に追われる身となっているNatasha Romanoff (Scarlett Johansson)は潜伏先のノルウェーでオハイオの頃に妹だったはずのYelena Belova (Florence Pugh)からの荷物 - 彼女が組織から逃げる際に受けった赤い液体 - を受け取り、そこからブダペストに渡ってYelenaと挨拶がわりのバトル(いつも思うけどあれで相手を殺しちゃったらどうするんだろ?)を交わして再会し、追手から逃れてサンクトペテルブルクにいるらしい母親Melina (Rachel Weisz)に会いに行く。

タブレットでコントロールできる豚さん(ほしい)と暮らしているMelinaは、彼女たちの計画 - 洗脳されている少女たちの戦闘組織 - Black Widowを解放して(赤い液体が洗脳を解く)、自分たちをこんなにした悪の首謀者Dreykov (Ray Winstone)の在り処 - Red Room を突きとめてぶっころしたい - について相談されて、それを実行するにはもうひとり - 父親 Alexei (David Harbour)がいたほうがよい、とロシアの刑務所に飛んで、ぶくぶくになっている彼を拾いあげる。 ここまでで、彼ら4人は当時の作戦実行のために編成された疑似家族であったことが明らかになる。

最後は、空の上の要塞 - Red Roomでの悪の首領との対決と少女たちの救出劇のどんぱちが「一家」総出で派手に行われるの。おもしろかったのは「フェロモン・ロック」で、特定のフェロモンを持っている相手には攻撃できない、ってやつ。Natashaがそれをアンロックするやり方もすごい - でも鼻の穴にティッシュ詰めればいいだけなんじゃないか、とか。また、それをやるなら特定のフェロモンで相手をマタタビの猫にしてしまう方が楽(だし下衆)ではないのか、とか。

MCUのスピンオフのような形にしなくても、引き離されたり幼年期を壊された家族がそれを引き起こした組織に復讐するドラマとしての普遍性はあるかも。でもタランティーノ映画のような恨み辛みのねちっこさは無くて、女性が自分の力で立ち上がる(ユニフォームを捨てて自分のベストを選ぶ)物語として爽快に描いている。それを散漫とかうざいっていう男はいるのかも。

“Civil War”で中心のテーマのようにあった家族を殺された者たちの復讐の連鎖と、それを横で見ていて最後にSteve Rogersを逃す方に加担したNatashaにもかつてあった家族の記憶。しかしそれに触れた途端に、やんちゃな暴れん坊Yelenaや豪放な父Alexeiとの終わらない闘いに巻き込まれて、ちっとも心休まるものにはならないし、今回の闘いでもかつてのS.H.I.E.L.D. のオペレーションで傷を負わせてしまった少女Antonia (Olga Kurylenko) のことがずっと引っかかっていたり。でも、たとえそんなでこぼこであっても、彼女にとっては家族だったのかも、って。

で、あるとしたらやはり、”Endgame”のあれはなんだったのだ? が残る。 ひどすぎないかRusso兄弟。Tony Starkの葬儀はあんなに荘厳にやったくせに、Natashaのお墓はなんであんな粗末にひっそりと…

というのは置いといて、ここでの最大の魅力は期待通りに全力で飛んで走って暴れまくってくれるFlorence Pughにあると言わねばなるまい。ほんとうはDreykovは彼女にぼこぼこにしてほしかったのに、とか。
彼女がNatashaの着地のポーズをおちょくるところ(しかも何度も)もよくて、次はWandaの魔女仕草をおちょくってほしい。  彼女、”Fighting with My Family” (2019)もすばらしいけど、”Lady Macbeth” (2016)の頃からできあがっているから。

父Alexeiは元ソ連のsuper-soldier “Red Guardian”だったことが明らかになって、これで”The Falcon and the Winter Soldier”に出てきた連中(& ブローカーみたいなJulia Louis-Dreyfus)とか、Hydraがやっていたのも含めると戦前から相当な数のsuper-soldierが善悪双方の側に存在していたことになる。組織”Black Widow”やAntoniaもその流れだし、Wakandaの女性たちだってそうなのかもだし、これからはsuper-soldierと人間の相克というテーマが、X-MENのシリーズにおけるミュータントと人間のそれと同じような形で反復されるのだろうか? そして、その流れのなかで悪の類型のように描かれる「ロシア」とか特定の国や民族のイメージも少し気になる。

あとはRachel Weiszの佇まいの変な、まったく別の空気感を作り出してしまう不思議なかんじ、あれってなんなのだろう。「女優」とか、あまり言いたくないところだけど。 あと、彼女の農場に残された豚さんたちはあのあとどうなったのか。

監督のCate Shortlandさんの作品だと、デビュー作の”Somersault” (2004)はとってもよいの。娘が家族を捨ててひとり旅にでる話で、ここの最初の方で姉妹が蛍を見たりするシーンあたりと少し繋がっている気がして。


Cafe OTOから、昨年チケットをとって延期になっていたSwell Maps Sessions の日程が決まったよ、ってメールが(泣)。

7.12.2021

[film] 春の夢 (1960)

7月4日、土曜日の午後、ひっさびさの神保町シアターに行って、木下恵介特集で見ました。

製薬会社の社長(小沢栄太郎)の邸宅を舞台に祖母(東山千栄子)を頂点とした女性やや強めの家族、社長秘書、メイドたちと御用聞きたち、ストを起こそうとしている会社の社員たち、等々がいろいろ渦巻くところに足を踏みいれた石焼き芋屋(笠智衆)のおじさんが突然昏倒して、動かしてはいけないと医師がいうので、そのまま応接間で数日間療養生活を送ることになる。

仕事でいらいらへとへとの社長はとっとと追い出せ!っていうのだが、父を脳溢血で失い、社会正義に目覚めてしまった秘書(久我美子)は医師(佐野周二)にぽーっとなりつつ、動かしてはなりません絶対安静、と言い、そこに芋屋のおじさんの財布(ぜったい貯めこんでる)を狙ってアパートの住民たちが押しかけ、隣に暮らす青年だけ献身的に看病するが信じてもらえず、次女(岡田茉莉子)は貧乏画家(森美樹)とパリに駆け落ちするのだとがんばるものの相手からも家族からも推してもらえず、長女(丹阿弥谷津子)は博愛主義だから、と若い学生をとっかえひっかえ連れ込み、世間知らずの大学生の長男(川津祐介)は煩悩を抱えて半ズボンで家のなかを歩き回り、その家にはデモ対応でヤクザが張り込み、メイドたち(中村メイコ、十朱幸代)は出入りの男たちと押したり引いたり、やがてデモ隊は家の外にも押しかけてくる。

愛に恋、奉仕に労働、貧乏人と金持ち、支配層と被支配層、善人に悪人、男たちと女たち、いろんな社会の縮図、というかあらゆる階層の雑多な種類の人たちが次々と家のなかに現れては出ていって - というか家の周囲をぐるぐる回り続けてばかりいて - 決着しそうなことはなにひとつなくて、あんたたちいい加減にしなさい! とケツを引っ叩き続けていた祖母まで、あの芋屋は初恋の人かも、と思い始めた途端にくたくたと崩れていく。

善いことをした人は救われる、でも、一途な思いは報われる、でも、下手な鉄砲数撃ちゃ、でも、労働者階級ばんざい、でもなく、すべては花吹雪が舞う喧しさと視界不良のなかで家の外からほぼ出ないまま、各自が言いたいことを言ったりやったりしたのち、結果的には自分の妄想みたいなところの半径数メートルで半落着して終わる。奇跡は起こらないし糸や絆があるとも思えない。これがまだ光化学スモッグも花粉症もない、高度成長期突入手前のにっぽんのブルジョアの姿。あるいは、全ては祖母の夢のなかの出来事なのか…

ブニュエルほど毒々しくなく、アルトマンほど図々しくもてきとーでもなく、書割の邸宅での悪夢でもなくきらきらでもない集団の欲と夢のありようを「春の夢」としてふんわか包んでみせる。夢のどこかで時間を遡って笠智衆と結ばれた東山千栄子はやがて『東京物語』を世界に向けて語ることになるの。

わたしは東山千栄子のおばちゃん/おばあちゃんがなにかぶつぶつ言っているのを見るだけで幸せなので、そこに岡田茉莉子さまが絡んでくるだけでたまんなかった。ここに登場する女性たちはみんな正しいことしか言っていないよね。

帰りに近江屋洋菓子店に行った。何度も夢見たにっぽんの洋菓子、だった。


とにかく湿気が、ほんとにだめで …