10.08.2020

[film] The Trial of the Chicago 7 (2020)

6日、火曜日の晩、CurzonのBloomsburyのでっかいスクリーンで見ました。
Netflixのだけどシアターではもうやっていて、これはもう絶対でっかい音と画面で見た方がいいやつ。

そもそもは2007年にSteven Spielbergが監督する予定で企画されていたのを、10年に渡って脚本を転がしていたAaron Sorkinが監督することになったやつ。

BLMのプロテストが警察側の組織的暴力も含めて長期に渡って注目され、香港でもベラルーシでも国の施政にプロテストするとどんなことになるのか、という角度での報道が毎日のように為される中(にっぽんだけはさっぱりだ。幸せ?)、一ヶ月後の大統領選がこういった正義のありようや今後の行方にどう影響するのか、全世界が注目している。このタイミングで、約半世紀前のアメリカで、今と同じように全世界が注目していた裁判がどんなだったか、振り返ってみましょう、と。 全世界必見。 こういうのが見たかったわ、ってみんなが言う。

68年シカゴで行われた民主党大会開催に合わせてベトナム戦争反対をアピールしようと多くのプロテスターが集まってくる。冒頭は、威勢よくそれぞれの属する団体を背にシカゴに向かう7人のキャラクターを紹介する。 Tom Hayden (Eddie Redmayne)とRennie Davis (Alex Sharp)は戦争反対の若者グループを代表し、ヒッピー寄りのAbbie Hoffman (Sacha Baron Cohen)とJerry Rubin (Jeremy Strong)はよりラディカルにシステムや理念の転覆を訴え、一家のパパであるDavid Dellinger (John Carroll Lynch)は、ぜったい暴力はいかん、と言ったり思ったりしている。

そこから(暴動が起こって)数か月後、彼らはみな収監されて、大統領はニクソンになって司法長官も変わって、その新しい彼が、7人(当初は8人)を裁判で訴追する側のRichard Schultz (Joseph Gordon-Levitt) とThomas Foran (J.C. MacKenzie)を呼びつけて、連中をなんとしても10年は牢屋にぶちこめ、とか言う – その時にRichard Schultzが見せる戸惑いがちょっと印象に残る。

裁判の争点は、被告たちは明確な意図をもって暴動を起こしたのかどうか。意図的にプロテスタ―たちを煽ったりけしかけたりしたのだったらアウト、になる。いやそれを巧妙に仕組んで黙らせようとしたのは警察とか権力者の側だ、っていうことを言うことができればー。

これに弁護側は一見頼りなくみえるWilliam Kunstler (Mark Rylance)とBen Shenkman (Leonard Weinglass)で、難しそうな裁判長はJulius Hoffman (Frank Langella)で、冒頭からBobby Seale (Yahya Abdul-Mateen II)が自分がこの場にいるのはおかしい、って文句いうしAbbie HoffmanとJerry Rubinはおちょくりにくるし誰もコントロールできずにざわざわして、裁判長は法廷侮辱罪を連発して渦を巻く荒れ場ができあがっていく。

証人による事実や証拠の表明がそれが起こった当日の動作に繋がって、それが更に実際のモノクロ映像にリンクしたりするのだが、検察側が呼んできた証人はみんなスパイとして被告たちの動きの裏にひっついていたことがわかってがーん、で、それに押されるようにひとりひとりの特性や事情に応じて勝手に頻繁に騒ぎを巻き起こしていく被告たちの挙動は陪審員には悪い印象しか与えない。 要は権力側の思う壺、彼らの想定したシナリオ通りに追い込まれていくのでみんなどんよりしていく。

流れが変わったかに見えたのはジョンソン大統領時代の司法長官Ramsey Clark (Michael Keaton)が証人として登場するところで、おおー、ってなるのだが、これもやらしい裁判長のせいで萎んでしまって…

法廷を離れて連中が作戦会議をするConspiracy Houseでのやりとりも含め、法廷の会話劇、法廷ドラマとしての密度濃度迫力は相当なもので、Aaron Sorkinとしか言いようがないし、ひとりひとりの演技 - Mark RylanceもEddie RedmayneもJoseph Gordon-LevittもSacha Baron Cohenも、みんな当たり前のように巧いし発話の間合いなんて殺陣みたいにかっこいいし、最後のJoseph Gordon-LevittとSacha Baron Cohenが向かい合うとこなんてとんでもないの(Sacha Baron Cohenすごいわ)。

ただその分、全世界が注目していた当時のニクソン政権も含めたその世界 - 「アメリカ」に対して人々が向けていたある種狂ったような熱にまみれた目線がこの法廷の場の狂騒や茶番を経てどんな意味や空気や臭気に変わっていったのか、あのラストがどこに向けてどんなふうに広がったり染みたりしていったのか - このドラマにそこまで求めるのは酷だろうか。 でも法廷は隔離された実験室や企業の会議室とは違うんだよ、正義と悪がせめぎ合って世界が集約されたり世界をひっくり返そうとしたり、そういう可能性がぶら下がっているところで、だからー。

でもそれでも、やはり今見られるべき映画であることに変わりはない。

にっぽんだったらここに行く手前で共謀罪でひったてられて、勝手に罪状も裁判の記録もでっちあげられていくらでも都合よく改竄されて、メディアはそれをそのまま垂れ流して、一巻のおわり。そういうのにだーれも反対しないの。ぜんぶが思考停止した悪で染め抜かれているからわかんないの。

Streamingの方でリリースされたらまた見よう。

10.07.2020

[film] Lured (1947)

9月27日、日曜日の晩、Criterion Channelで見ました。30日でここからいなくなっちゃうリストからの1本。

Douglas Sirkがハリウッドに来て最初に撮った2本 – “A Scandal in Paris” (1946)とこれ、はセットで語られることも多いのだが、今回“A Scandal in Paris”の方は逃してしまった。邦題は『誘拐魔』。Robert Siodmakのフランス映画 –“Pièges” (1939) - "Personal Column”のリメイクだそう。

舞台はロンドンで、女性が新聞の尋ね人欄で呼び出されて行方不明となり、その後で警察に詩が送られてくるという怪事件が起こっていて、アメリカからロンドンにやってきたダンサー - 本当は舞台で踊りたいのだが食えないのでTaxiダンサーをしている - Sandra Carpenter (Lucille Ball)は友人のLucyと怖いねえ、って話していたらその翌日にLucyが消えてしまったので戦慄していると聞きこみにきた警察から観察力とか把握力とかをテストされてこの事件の囮捜査 - Sandra自身が釣りのルアーになる - に協力することになる。

捜査はスコットランドヤードのHarley Temple (Charles Coburn)が指揮していて、送られてくる詩がボードレールのものであることもわかっているのだが、それがどうした? で、彼女が捜査を始めたら尋ね人欄経由で、元ファッションデザイナーの変態Boris Karloffとか、募った女性を南米に送っていた悪人とかいろいろ引っかかるのだが、肝心のやつにはなかなかぶつからない。

そのうちSandraは舞台のプロデューサーでお金持ちのRobert (George Sanders)と出会って仲良くなって婚約するところまでいくのだが、婚約パーティの晩、Robertの部屋の机の引き出しから失踪事件の証拠品とかタイプライターがばらばら出てきて、Robertは逮捕されて、Sandraの正体を知った彼はがっかりして縁を切る、というのだが、実はこのあともう一回転あって…

Sandraからすると自分の立場も他人からみた自分も外面がころころ変わり続けるので、その対応がローラーコースター状態なのだが、他の人達ひとりひとりだってみんなそうで、みんなが誰かの”Lured”状態になって回り続けている舞踏会、というあたりがなんとなくSirkかも。

画面のトーンはノワール/ゴスぽいし、ボードレールだし(でも実際に読まれるのはLord Alfred Douglasだと。真犯人の名前に繋げるとちょっとおもしろい)、Boris Karloffなのだが、これはやっぱり犯罪推理コメディというべきで、Lucille BallとGeorge SandersとCharles Coburnの3人がじたばたしているだけで楽しいったらない。

劇中で流れる”All for Love”っていう歌が素敵。歌っているのはAnnette Warrenという人。


Devil's Doorway (1950)

9月28日、月曜日の晩、Criterion Channelで見ました。これも30日でいなくなるリストから。
Anthony Mannの監督による西部劇。邦題は『流血の谷』。

南北戦争の後、Lance Poole (Robert Taylor)は勲章を貰ったヒーローとしてワイオミングの故郷に帰ってくるのだが、酒場で幼馴染とかと再会してもなんか様子が違う。町民はLanceが代々所有してきた肥沃な土地の使用権がある - インディアンであるLanceにはそれがない – ことを悪い法律家の指導で洗脳されて信じていて、Lanceは女性の法律家Orrie(Paula Raymond)に相談して知事あてに請願書を出そうとするのだがそれも失敗して、いくつかの衝突を経て武装した地元民が彼の牧場になだれこんでくる。

インディアンが代々所有して引き継がれてきた土地が国によって強引に接収される、というのはこういうことなのだ、というのを具体的な悲劇 - 戦争で貢献した英雄が彼の属性 - 人種だけでそのまま国に逆らう人物に反転してしまう – として描く。もういっこ、Lanceの側に付くのが女性法律家で、誰もまともに取りあおうとしない、という別の差別も。

ものすごく痛ましくて暗くて救われない話で、興行的にも散々だったこともわかるのだが、この時代でもここまで掘り下げようとした人々がいた、というのと、ここから70年経っているのに.. ということを知ることもできるので、古い本と同じく古い映画を見ることも大切だよね。なによりおもしろいし、って改めて。
 

明日からLondon Film Festivalが始まる。 オンラインのみの上映の方が多くて、BFIのシアターでやるのもあって、そこで見るのは4本くらいかしら。 シアターでやるのは間違いなくしばらくしたら公開されそうなやつだからそんなに無理しない。 New Yorkのがラインアップはよかったなー。 でもまけない。
 

10.05.2020

[film] On the Rocks (2020)

2日、金曜日の晩、Curzon SOHO - 映画館で見ました。
公開初日の金曜日、繁華街の真ん中の映画館でも客は1/4も入っていないくらいだった。

映画館がreopenされてから週1~2回は新作を見に映画館に通うようにしているのだが、いつもどこもだいたいこんなかんじ。007新作の公開延期はこういう状況を踏まえたものなのだろうが、これが来年4月になったら戻るのかどうか、とても疑わしい。それに応えるかのようにCineworld(大規模シネコン)とPicturehouse(大泣)のクローズが発表されてしまったので、供給側も含めて更に冷え込んでいくだろう。

我々は花火みたいな新作を見たいの。007はいつものだろうからいいけど、とっくに出来あがっている”Wonder Woman 1984”を、”Black Widow”を、”The King's Man”を、”A Quiet Place Part II”を、見たいの。映画会社側が目先の損得勘定ばっかりであれもこれも後ろ倒ししているうちに全体がドミノ倒しになって死ぬぞ。

それはともかく、予告で”The French Dispatch”がかかったのが嬉しかった。Wes Anderson、いつまでああいう細密画みたいのやっていくのだろう。おもしろいからいいけど。あと007の予告もかかって、そこでは既に4月公開、って入っていた。

そういう状況下での”On the Rock”。 冒頭でどう聞いてもBill Murrayの声が”You’re mine until you get married”という。結婚式のシーンを過ぎて暫くしても”Then you’re still mine”、と。呪いのように、Bill Murrayのあの顔と一緒に降りてくるこの声を振り払うべくLaura (Rashida Jones)の奮闘が始まる。

ダウンタウンのアパートに暮らすライターのLauraにはベンチャーでばりばり働く夫のDean (Marlon Wayans)とふたりの女の子がいて、夫を送りだしてから娘たちの面倒を見て自分の仕事もして慌しいのだが、張りきって仕事に向かう夫の後ろでなんかどんよりしている。

ある日、ロンドン出張から戻ったDeanのカバンからでっかいボディオイルの瓶が入った化粧ポーチが出てきたので聞くと、あー彼女の持っていたのが機内持ち込みできない大きさのだったから自分のカバンに入れてチェックインしたのを忘れてたありがと、とか言う。その彼女というのが夫のアシスタントのFiona (Jessica Henwick)で、会社のパーティで出会ってどんな娘かわかっていたので疑念はさらに深まり仕事も手につかなくなってきたので、こういうのに詳しそうな遊び人の父Felix (Bill Murray)を呼んで話を聞いてみる。感情的にどん詰まってしまったところに別のどん詰まらせ野郎をぶつけてイチかバチかで風穴を開けてみようとする。

父は顔には出さないものの内心ノリノリで現れて、Deanがロンドンで泊まったホテルは? - Blakesか、そいつは怪しいな(.. うんたしかに)とか、探偵気取りでアドバイスしてきて、とにかくこの不安を取り払いたい娘は眉をひそめつつも父に乗せられ誘われるままに一緒に行動するようになって…

Lauraがこれまで余り知らなかったし知る必要もなかったメンズワールドに引き摺りこまれていくスクリューボール・コメディであると同時に、その巻き込まれが父との関係をよりよくしてくれる ...  かと思ったらぜんぜん甘かった。

よく引き合いに出されるSofia Coppola - Bill Murrayの”Lost in Translation” (2003)との比較でいうと、異国のホテルで空虚さを抱えてどんよりしたScarlett Johanssonにとって頼りないけど確実にそこに立ってる電柱のような存在だったBill Murrayは、今回の父娘ドラマでは当然深く避けようがないやつ(親子だから)になっている。 父にとっての娘は冒頭の彼の言葉 - 「自分のもの」 - に集約されていて、娘にとっての父はある部分許せないところもあって意識的に関わらないよう追い払って過ごしてきたのに。

それが今回のことで女性観みたいなところも含めて父が見て踏んできた男の世界に立ち入らざるを得なくなってきりきり舞いもさせられて、結果的にそれはよいことだったのかしら?  最後の方、”Lost in Translation”的なところを経由しつつも、おかげで口笛が吹けるようになったよ、くらいにしている、その軽さがとっても好き。 特にLauraとFelixが最後に大ゲンカするところで、きょとんと無表情になったFelixの放つ「だっておまえはいつも笑わせてくれてたじゃないか」はすごい。小津のドラマみたい。

あとこれはもちろんNew Yorkのドラマでもあって、アップタウンのモネが飾ってある個人宅にBemelmans Bar、そこからダウンタウン – Lauraの暮らすアパート、あの並びはSOHOじゃない?と思ったらやっぱりWooster st.だった – の縦線を車で(地下鉄じゃない)行ったり来たりする。その中間に21 Clubや52nd & 5thのあれを挟む、という超お金持ちの世界ではあるものの、物語の舞台として地理的な配置もうまく考えられている。

ただ、Deanのあの程度の言い訳と説明でみんな納得しちゃったのは甘いと思う。彼は”TENET”の主人公並みの確信犯で、実は裏でFionaとの関係は続いていて、あの後Lauraは改めてFelixに助けを求めざるを得なくなり、父はかつて仕事で使っていた3人 - Cameron Diaz & Drew Barrymore & Lucy Liuを呼び寄せ、これに対抗すべくDeanも仕事のコネを使って雇い入れたのが東京から戻った後に仕事と名前を替え、いまは”Black Widow”と呼ばれているScarlett Johanssonだった…  というのが第二弾 – “Still On the Rocks” で、まもなく発表される予定だって。   これはフェリーニの『魂のジュリエッタ』 (1965) のNY版のような豪勢なものになるはず。

あと、これのヴァリエーションとして、Lauraの方の浮気疑惑が持ちあがって、DeanがママのViola Davisに相談したらそれは許せないね、って”Widows” (2018)のチームが動きだして大変なことになる、しかもViolaのところにはThe Equalizerがいて… そういうのも見たい。

21 Clubの‘21’ Burgerが食べたいなー。P.J. Clarke'sのでもいい。

10.04.2020

[film] L'Île aux oiseaux (2019)

9月26日、土曜日の昼にMUBIで見ました。 英語題は”Bird Island”。
62分のフィクション/ドキュメンタリー映画。 とても静かな、鳥が好きなひとにはたまんない映画(だと思う)。

スイスにある鳥のリハビリ・診療センターに若者Antonin (Antonin Ivanidze)が新入りとして入ってくる。
彼はセンターで鳥の餌になるネズミを育てる係のPaulがリタイアするので、その後任として紹介されてやってきたのだが、これまで働いた経験がなく具合が悪くて病院にいたとかで、とても神経質で不安そうで、これ何の匂いでしょう? (糞だよ)とか聞いたりしている。 だいじょうぶかしら。

PaulがAntoninになんも考えていなそうなネズミをカゴから出して鳥の餌にする方法を引き継ぐ。やりかたはふたつある、とかいうのだが、Paulは手でばしゃん、て一瞬で叩き潰してしまう(手元は映さないからだいじょうぶ)。これを見ただけでAntoninは死にそうになってて、リハビリが必要なのは鳥よかこの子の方かも、って。 それに続いて、サーモグラフィに移されたネズミのシルエットの赤黄色がゆっくりと青に変わっていく映像。

Antoninのパートはフィクションで、センターにいる常駐の獣医のEmileとその下のSandrineのふたりの女性の仕事はドキュメンタリーとしてきちんと紹介される。彼女たちは殆ど喋らず表情も変えずクールで、どこかしら「動物のお医者さん」ぽい。そんな彼女たちがふんわりした鳥の羽の奥の皮肌をまさぐったり剥いたりして手術したり治療したりするその手元も描かれる(鳥なのでほぼ流血しないからだいじょうぶ)。あと、餌のラズベリーの実を木のでっぱりに刺していったり、そういう手元もよいの。

ドキュメンタリーなので、もちろんそこに収容されている鳥たちも沢山出てきて、飛べなくなってしまったフクロウとか、大きな鳥も小さな鳥も。鳥たちはもちろん喋らないし、具合が悪いって鳴くこと騒ぐこともないし、ただ黙って首を傾げたり羽を膨らませて木の間に挟まっていたりする。その様子だけでなんかたまんなくて、治療を終えた鳥が外に放たれるところもたまんなくて。 ごめんね、って。

センターは空港の近くにあるのか滑走路で空砲を撃って鳥を追い払うところとか、そういえばすぐ横になったり倒れたりしていたAntoninはだいじょうぶなのか、も描かれる。 最後にでてくるPaulのFarewellパーティではみんな少しだけ打ち解けてよい雰囲気にもなるのだが、それはヒトの世界のことで、別の半分には鳥の世界もあって、これらは繋がっているのでいつも通りにぱたぱた...   という空気とか風のかんじ - Bird Island - がよいの。 鳥が治るのならAntoninも、くらいでそれはシリアスでも不真面目でもない、そんなもんだからさ、くらい。


今日もまだStormが上空に居座ってぐるぐるまわっていて、ずううーっと雨だった。ありえない。
しかたがないので、オンラインで始まっていたPordenone Silent Film Festivalにサインアップして、日曜日はサイレントを見よう、をやってあとは寝てた。しんでた。

€9.90で一週間のプログラム見放題ってすごい。 これで1911年のNYとか19世紀末のロンドンとかアムステルダムの街とか人たちとか出来事の様子をびっくりするくらい鮮明な映像で見せてくれる。こういうのを見ると、過去のことを知る/知っているってどういうことなんだろう? なにがこれらを「過去」にしているのだろう? って改めて思うし、今はこんなでさっぱりの未来なんてどうでもいいから、丸くなってこういうのばかり見ていたいわ、って。


[film] Merrily We Go to Hell (1932)

ほぼ一ヶ月前、9月2日、水曜日の晩にCriterion Channelで見ました。

ここで“Two by Dorothy Arzner” っていうのがかかっていて、そのうちの1本。 Dorothy Arznerは1927年から43年まで、ハリウッドのスタジオシステムのなかで活躍していた唯一の女性監督で、これは彼女のお気に入りだったという。 邦題は『我等は楽しく地獄へ行く』。その通りかもだけど、「地獄へ道連れ」とかでもいいかも。 あと、UKではタイトルに”Hell”を使えなかったので”Merrily We Go to ____”だったそうな。

シカゴのお金持ちのお嬢様ぽいJoan (Sylvia Sydney)がパーティで楽しく酔っ払っているJerry (Fredric March)と出会って、話したらなんか楽しいので付きあうようになり、Jerryはライターで劇の脚本も書いたりしているようなのだが基本は遊び人でアル中で酒ばっかり飲んでて幸せそうで、Joanの父は反対するのだが、彼女は彼のプロポーズを受け入れる。のだが婚約パーティの時にもJerryはへべれけで姿を現さなくてしょうもなくて、でもJoanはめげないの。

そのうちJerryの書いた芝居が売れたというのでふたりでNYに行って初演に立ち会うのだが、主演女優のClaire (Adrianne Allen)はJerryの元カノで、劇の成功もあってJerryは盛大に酔っ払ってClaireにくっついてて戻ってこなくなり、あまりにひどいので、Joanはそれならあたしも好きにやるからね、って突き放してしまう。

こうしてJoanも夜遊びの生活に浸って、人気役者のCharlie Baxter (まだ端役のCary Grant)と遊んだり、Jerryと間近ですれ違ったりもするのだが、互いにつーんとしたままで、そのうち妊娠していることがわかったJoanは父親のところに戻り、アル中が酷くなって劇作ができなくなってしまったJerryも自分はやっぱりJoanを愛していたんだ、って酒を断ってシカゴに戻るのだが、Joanの父親が再会することを許さなくて..  

最後の方はメロドラマみたいになっていくのではらはらするのだが、”Merrily We Go to Hell”っていうタイトルからしてRom-comのスタイルできちんと作ってあって、とにかくSylvia SydneyとFredric Marchのふたりの相性が素敵によいのでずっと見ていたくなるかんじ。Fredric MarchがJoanに何度も“I think you're swell.“っていうのもなんかシャレてていいなー。この言い方って今もするのだろうか?

タイトルも夫婦で浮気合戦をするという内容も典型的なPre-Code時代のそれなのだが、でもふたりの関係の据え方とかラストとかは、やっぱり女性監督のそれかなあ、って。


Three on a Match (1932)


9月11日、金曜日の晩、これもCriterion Channelで見ました。 9月にここで始まった特集 - “Pre-Code Joan Blondell”からの1本。
軽いコメディかと思ったら怖いくらいにシリアスだったのでびっくり。 邦題は『歩道の三人女』?

同じ小学校に通っていた3人、Mary (Joan Blondell), Ruth (Bette Davis), Vivian (Ann Dvorak)が大きくなってから再会し、テーブルでひとつのマッチからタバコにみんなで火をつけて、軍の言い伝えって本当かしら? とか言っている。

不良で更生学校に入れられていたMaryはショーガールになっていて、真面目だったRuthは速記士になっていて、弁護士のRobert (Warren William)と結婚したVivianが一番裕福で幸せそうで、豪華客船のパーティで再会したMaryはVivianにギャンブラーのMichael (Lyle Talbot)を紹介したら、MichaelがVivianをたぶらかして2人は子供を捨てて駆け落ちしてしまう。 少し後ろめたさもあって遺されたVivianの子の面倒を見ていたMaryはRobertと仲がよくなって、他方でMichaelは博打の借金で首がまわらなくなって、Vivianはヤク漬けのぼろぼろに転落して、Robertを脅迫して金を作ろうとするが失敗して、とうとうVivianの子を誘拐して..  

3人のうちのひとり - Vivianに過酷な運命がとぐろを巻いて襲ってくるホラーみたいなやつで、結末も暗いし、でもとっても見応えはあった。

ヤクザの若頭でHumphrey Bogartが出ていて、まだ若いけど歳とった頃よか凄みとかあってすごいの。


まだ気圧がひどいったら。ほんとしょうもない週末。

10.02.2020

[film] Matador Records - Revisionist History (2020)

 9月30日、水曜日の晩、MetrographのVirtualで見て聴いた。
ドキュメンタリー映画、というよりはストリーミングのイベントで、創設30年を迎えたMatador Recordsの歴史(改竄ありあれこれでっちあげ込み)を振り返るガイド付き視聴覚ツアー。これをなんでMetrographがやっているのかは知らん。

最初に司会者の人がスタジオにいる子供達に向かってバンドとは、レコードとは、レコード会社とは、などについて子供にもわかる説明をして、創業者のChris LombardiとGerard Cosloyをオンラインで繋いで当時のことを回顧していって、その合間にレーベルのアーティストのPVとか短編映画とかを流していく。なかなかだらけた内容 – とてもMatadorらしい – でトータルの時間は2時間、と書いてあったのに実際には2時間20分くらいになっていた。

PVの最初がフェイクに繋いだリリース当時のインタビュー映像に導かれたLiz Phairの“Never Said” (1994)で、わーなつかし。 続いて祝25周年のChavez – “Break Up Your Band” (1995)で、これもなつかしくて、Bailter SpaceにPavement – “Father to a Sister of Thought” (1995)と続いて、現在のYo La Tengoが出てきて少し思い出話をしてから“Tom Courtenay” (1995)のPV – あのライブハウスはMercury Loungeだったのかー、と。

なつかしいだなんだは置いておいて、90年代中頃にこんなふうに出てきたMatadorがなーんか胡散臭くてインディペンデントのにおいがしなかったのはこういうPVとかマーケティングに力を入れているように見えたからなんだよな、って。でも当時はPVを作っても流す媒体がない - MTVの(Matt Pinfieldの)”120 Minutes”とか同じくMTVの(Kennedyの)”Alternative Nation”くらいしかなくて苦労した、と。たぶんこちらの頭がインディはこうあるべし、みたいになっていたのだと思うが、そういう力の入れ具合とかでMatadorというレーベルそのものに(他のと比べれば)そんなに思い入れはないの。(ミュージシャンからすればとてもよいところだったのかもしれない、とは思う。Pizzicato FiveやCorneliusを紹介したのもここだったし)

ただこういうPV映像が当時のAlternativeの広がりに大きな意味を持ったことは確かだった気がする。日曜の深夜って(月曜会社行きたくないよう病、だったので)起きて見ているのはすごくしんどかったのだが、Butthole SurfersもMeat PuppetsもJawboxもThe Muffsもここで知ったのだったし、BeckもGreen DayもWeezerも最初に見たのはこの番組だった気がする。MTVの隆盛と同じくらいメディアと音楽 – 特にグランジ~オルタナ周辺を考えるネタとして重要なソースのひとつではないかと思っている。

その後PVは00年代のJay Reatard – “It’s So Easy” (2008) - 当時のMatadorのオフィスで撮ったそう、Sonic Youth – “Sacred Trickster” (2009)、Kurt Vile – “Freak Train” (2009)と続いて、93年にニュージーランドのTVで流されたPavementのプロモ映像とか、SpoonのPVを撮っていたBrett Vapnekさんの短編 - “Dream Machine” (2000)とかを経て、最後にPavementのマンチェスターのライブ映像がきて、Guided by Voicesの30分以上に及ぶドキュメンタリ―“Watch Me Jumpstart” (1995)で締まる。

こうして最後に出てくるGBVが実に見事にすばらしいったらない。演奏風景はあんまなくて、メンバーたちが思いついたことを喋って佇んでうだうだしているだけで、編集もてきとーなのだが、ああアメリカにはGBVがいたんだわ、って。ナリはすれっからしの普段着で、いつも酒とタバコまみれのよれよれで、テクもぐだぐだで曲の形をなしているだけで奇跡のようなかんじなのに、単調なリズムでじゃかじゃかやっているようなのが殆どなのに、ライブになるとよくわかんないパワーでなぎ倒しにきて、実際になぎ倒されてしまう謎。 彼らと比べたらPavement のなんとおしゃれで高尚なことか。Matadorという名前にいちばん相応しいのは彼らなのかも、って。 牛には勝てるわけないことがわかっているのに虚勢はって大見得きって、ライブの後は立てないくらいしんでしまう連中。

この調子で次はMergeとSaddle Creekをお願い。


英国の上空にはStorm Alexっていうのがいて、朝からずーっと雨と風が止まなくて、こいつが停滞して上空をぐるぐる回っている。
ほんと勘弁してほしい。

10.01.2020

[film] Nomad: In the Footsteps of Bruce Chatwin (2019)

 9月13日、日曜日の晩、Film ForumのVirtualで見ました。

Werner Herzogによる英国人作家Bruce Chatwin (1940–1989)のドキュメンタリー。
2019年のTribeca Film Festivalでプレミア上映され、同年9月にはBBC2で放映されていたのね(制作がBBCだった..)。

全部で8章、Bruce Chatwinの最初の本 - ”In Patagonia” (1977)から入って彼の著作と生涯を追って最終章で” The Book Is Closed”となる。でも単なる評伝というよりは、Chatwinと親交のあったWerner Herzog自身が語り部となって、彼や彼の著作との関わりも含めて語り、パタゴニアやオーストラリアやウェールズに赴いてガイドしていく。Chatwinを手掛かりに、彼の見て触れて通過したものを踏査しつつ、Herzog自身も自分の映画 – “Signs of Life” (1968)、 “Where the Green Ants Dream” (1984)、Chatwinの原作による“Cobra Verde” (1987)など -  について語り、それは結果的にふたりが背中合わせで志向してきた - 憑りつかれたように原野に彷徨いでてしまう習性というかなんというかの - Nomad - 放浪の思考・精神をわかりやすく(かな?)説明した映画になっている。

最初が『パタゴニア』の冒頭に出てきたChatwinの家にあったブロントザウルスの皮の欠片から始まって19世紀にパタゴニアの洞窟で発見されたGiant Sloth – 巨大ナマケモノ – ひと目会いたかったなあ - の毛皮の話、第二章では英国でのChatwinの生い立ちに触れたあとで”The Songlines” (1987)に出てくるアボリジニの人類学的な考察に向かい、更には未完の著作”The Nomadic Alternative”を通して彼が向かおうとしていた考古学の方にも足を向ける。最後のChatwinのリュックサックの辺りまでくるとHerzogによるChatwin、のような語り口になって、ここに君がいてくれたら、のようなところに行ってしまうのだが、べたべたしたかんじは全くない。

遺されたものをじっと見たりフィールドワークしたりして追って掘って、かつてこれらが動いたり生きたりしていた様やそれが滅びていく様をイメージして紙とかフィルムに落として、それらもまたなにかの染みとか痕としてどこかに吹かれて転がって散っていく。それを遠くから突っ立って眺めているふたりは兄弟のようななにかで結ばれていた、というお話。

結局放浪って、壮大な夢と空白だらけの地図を手に地の果て目指して踏み出して、蒸発しても破滅しちゃったとしてもさようなら、みたいなやつで、でも本当に塵になって消えちゃうのはあれなので、せめてブロントザウルスの皮とかGiant Slothの毛皮とかリュックサックとか彼の本とか彼の映画のような - 夢の欠片でも遺して消えたいもんだぜ、ってかっこよくつぶやいてみる。

たぶんこれって、ゴミみたいな皮片とかぼろいリュック遺されてもそれってなんなの? とかコタツで丸まっていてなにがいけないの? みたいな議論になりがちで、でもそうやってえんえん放浪を続けてきた、続けざるを得なかった動物や民族がかつてはいたし、今もいるし、その殆どは塵になって消えてしまったのだろうけど、そういうのがいた/あったことを知ったり彼らのことを思ったりすることは絶対必要だと思う。なんのために博物館や美術館やアーカイブがあるのか、「知る」というのはどういうことをいうのか、の議論にも繋がるやつ。 あとこれってカフェでネットに繋げばなんでもできるしどこでも行けるし知ることができるから、とかいう勘違いノマドたちの思想とはまったく正反対のあれだからね。

あと、こういう試みというか営みが、好んで「男のロマン」みたいなので括られたり語られたり読まれたりしてしまいがちな気がするのは、ただの気のせいだろうか。女に語ってほしくない(or ただ傍で見ていてほしい)勢力のようなのが確実に存在する気がする。

どっか行きたいなー。