10.15.2015

[log] October 14 2015

14日、ダラスのごご2時くらいまでのあれこれ。

まずは、せっかくダラスに来たのだから、と一番スタンダードなThe Sixth Floor Museumに行ってみる。ホテルから歩いて20分くらいのとこ。

別にJFKマニアでも、JFK暗殺ミステリー愛好家でもないのだが、20世紀以降の米国文化あれこれにいろんな影響を受けてきたものとして、この場所、ここで起こったあの出来事と時間がもたらしたなにがしかを無視するのは難しくて、ダラスに来ることなんてこの先あんまないだろうから、そこに行っておこうか、と。  少なくとも坂本龍馬の暗殺現場(なんてあるかどうかもしらん)に行くよりも見えてくるものは多かろう、と。

暗殺者がライフルを発射したかつてのTexas School Book Depositoryの6階がそのまま博物館になっていて、当時の文化/世相紹介に始まってケネディ家の歴史とかケネディとダラスの関わりとかその日までの軌跡とか、その日に起こったこと全部とか、その後のこととか、このフロアにぶちこまれた情報の総量(=アメリカ国民が知っておくべき、とこれを作った人が思っていること)はとんでもない。
みんなオーディオツアーでこまこま追いつつ、うんうん頷きながらゆっくり進んでいた。

狙撃が行われた一角は当然ガラスに覆われて中には入れないのだが、そこから見下ろす「現場」はとんでもなく遠くに見えるので、こりゃプロの仕業だな、とか、ここでのほんの数ミリの指の動きが合衆国の歴史とか成り立ちをまるごと変えちゃったんだな、とか間抜けなことを思うしかないの。

そこを出たのが10:30で、さてどうしよう、だったのだが、やっぱしSt.Vincentさんの親戚メキシカンに行くことにした。 べつに会えなくたってお昼はどっかで食べなきゃだし、ダラスのメキシカンてレベル高そうだし。

問題はどうやってそこに行くかで、前の晩にあれこれ考えるのに疲れて、えい! てアクティベートしてしまったUber(それまではアプリだけ入れて放置)を使うことにしたの。 結果からいうと、ありえないくらい安くてびっくら。これまでTaxiが捕まらない可能性の壁に阻まれていたいろんなののフタがぱっくりと開いてしまった気がする。(これはこれですごくこわい)

で、車で30分くらいでたどり着いたとこは拍子抜けするくらいふつーの、郊外の商店が並ぶ一角(こないだのLAのPetit Troisとおなじような)で、レストランというよか、カウンターで最初にオーダーしてテーブルが空いていたらそこで戴く、空いてなかったらテイクアウト、そんなカジュアルなやつ。 11時オープンで正午前なのにもうテーブルは半分埋まっていた。(そうよね。日本から来るくらいだもの)

タコスが各$3、サイドが各$3で、他にマルガリータとかクラフトビアとかアイスクリームとか。
豚肩のタコスとワカモレとすいかジュースたのんだ。 安いったら。
んでねー。 びっくりするくらいおいしいのよ。 ワカモレは相当いろんなとこのを食べてきた気がするが、$3でこれって信じられない。 チップはちゃんと自分とこで揚げてるし。 すいかジュースもとってもすいかだし。

Annie Clarkさんはもちろんいなかったけど、妹だか姉だかとその夫のひとは慌ただしくきびきび働いてて、ああこのお店は伸びるにちがいない、て確信したの。

そこから再びUberして、Dallas Arboretum and Botanical Garden(ダラス樹木園)ていうとこに行ってみる。 この時期、かぼちゃ村、ていうのをやっているの。

http://www.dallasarboretum.org/visit/seasonal-festivals-events/autumn-at-the-arboretum

想像以上にとんでもない物量のかぼちゃだった。 かぼちゃ村以外にも、至るところにあらゆる種類のかぼちゃをぶちまけてある。かぼちゃのどこに、なににここまで過剰ななにかを込めて求めたかったのか、ぜんぜんわかんないの。 こんなことをされてしまうかぼちゃがどう思うか考えたことがあるのか、とか。

植物園そのものはファミリー向けのプレーンなやつで、変な植物を求めていくひとには物足りなかったかも。 ほぼかぼちゃだけ、というか。

これの後は陽射しも強かったし、打合せも迫っていたので(再び)Uberで素直に帰った。
帰ってからの打合せとかディナーについては、そのうちなんか書くかもしれない。
今年に入って一番ぐったりつかれた。(うんざり、ではなく)
明日はみっちり一日塩漬けだわ。

写真はInstagramのほう(talking_unsound)に載せているので、興味ある方はどうぞー。

10.14.2015

[log] October 13 2015 - Dallas

LAX経由でDallasに着いたのが13日の夜、19:00くらいで、まだ外は明るくて、Taxiでホテルに着いた頃にようやく暗くなった。

部屋に入って20:00、テーブルの上にパン、チーズ4種類、蜂蜜の切り出された塊、蜜に漬かったナッツにクランベリー、アプリコットにリンゴ、が並べられたプレートが置いてあって、これは絶対なんかの罠だと思ったのだが、蜜がなんだか誘ってくるものだから、晩にどこかに出かける気も、スズメになる気も失せた。
おいしい。 けど体にはとってもよくない。

行きの飛行機で見た映画は2本。
JALの映画のライブラリがなぜか充実していた。 Back to The Futureぜんぶ見、とかMission Impossibleの1から4までぜんぶとか。 べつに見ないけど。

Me and Earl and the Dying Girl (2015)

ピッツバーグの高校のシニアのぼく - Greg(Thomas Mann)とEarl(RJ Cyler)は幼馴染でクラシック映画のパロディみたいのをずっと、40本くらい作ってきて、ある日近所のRachel (Olivia Cooke)が白血病になったので慰めてあげて、と母親に言われるのでお見舞いにいってみる。 ふたりは恋人になるわけでもない、ただ横に一緒にいるだけの日々と、映画を作るのと、これからの進路とか、いろいろがすっとぼけたトーンで流れていって、Rachelのために映画も作りはじめるのだが、彼女の病気は悪化していって。

主人公は自分でも言っているけどgroundhogみたいなシリアスになれない微妙な顔だちで、家族や学園の子達もまともな子はひとりも出てこないというのに、ここに難病ものをぶつけてくるか、と。Rachelはかわいいけど無愛想で、運命を受け容れていてじたばたしない。この右から左まで救いようのない、波風のない状態で、彼らは高校生活最後の年とかプロムとかを乗りきったり、自分たちの、Rachelのための映画を作ったりしなければいけないの。
でもそれってなんのため?  少なくともRachelに将来なんてないのに。

苦手な難病ものなのだが、まったくきついかんじがしなくてするするいくねえ、と思ったら最後にやっぱりきたので、こまった。 飛行機のなかではぼろぼろ泣けないし。

音楽はなんでか初期も含めたEnoがいっぱい流れてきて、”I’ll Come Running”とか、イントロだけできちゃうひとはぜったい泣くから覚悟しよう。 なんかねえ、映画としてぜんぜんうまいと思わないのだけど、ずるいってば。

主人公達が作っている映画の一覧が最後にでるのだが、ほんとにばからしいの。
“Anatomy of A Burger”とか”Brew Vervet”とか “Death in Tennis”とか“My Dinner with Andre the Giant”とか”La Gelee”とか。 映画好きのひとが見たらもっといろんな発見があるのかもしれない。GregがFilm ForumのTシャツ着てた、とかそれくらい。

In Your Eyes (2014)

とても寒いNew Hampshireの女の子が橇で木に激突して気絶したら、とても暑いNew Mexicoの男の子も同時に、なんもしていないのに気絶して、というのが冒頭で、やがて大きくなった女の子 - Rebecca (Zoe Kazan)は裕福な医者と結婚していて、男の子 - Dylan (Michael Stahl-David) は刑務所勤めを終えて、保護観察付きで洗車場とかで働いている。 どっちも頭の奥でなんか変な声がするので頭の奥に声を掛けてみたらどういうわけか繋がって会話ができることに気づいて、テレパシーは想念だけだけど彼らは視野や感覚も全部共有できて、実は子供の頃からずっとそうだったそういえば、ていうのがわかって、それってなんか嫌じゃないか、と凡人は思うのだが彼らはその無料通話状態に夢中になって、周囲から見ると四六時中独り言を呟いている危ないひとになっちゃって、案の定、彼は職場を解雇されて、彼女は精神病院に送られて監禁されて、さあどうする? なの。

なんでこの二人が、この二人だけが、という謎は一切明かされないし、そこに独特のロマンチックな意味づけ風味づけがされるわけでもない。 ただそういう状態になっちゃったふたりが仲良くなって、ちょっと困ったお互いの境遇になくてはならない存在だということに気づく、なんか出来のわるい中学生向け恋愛小説だよねえ、とか思ったのだが、原作は”Buffy the Vampire Slayer”を書いて、後に”The Avengers”を書いたりするJoss Whedonだったりするのがおもしろいねえ。

まあとにかく、これは日頃うわの空で夢ばっかり見てふわふわしている(思い込みです偏見です)Zoe Kazanさんがいたから成立した映画で、”Ruby Sparks” (2012) - “What If” (2013) - これ、と並べてみるとなんかすごいとしか言いようがない。 ほんとにそういうひとなのかもしれない、とか。


明日(14日)の夕方まで何をして過ごすべきか。
St.Vincentの妹だか姉だかのレストランは軽く1時間かかることがわかって悩みちゅう。

でも、まずはねなきゃ。

10.13.2015

[log] October 13 2015

と、いうわけで。 会社からばたばたと成田にやってきて、再び渡りの世界が始まって、これからLA経由でDallasに飛んで、そこの会議のあとでNYに渡って、日曜に戻ってくるの。
Dallas行きの直行便は11月末にできるんだって。 そうですか。

NYで全てを捨てて鳥になる可能性について考えている。

ラテンピート映画祭の直後でもあるので、ほんとうは南米に行きたい。

Dallasの気温は36℃とか言ってて、NYはハロウィン前のいちばんちりちりしている季節(ちりちりが凍みてくる季節)で、でも、たった1日だって行けるのであればうれしいんだ。 2月に行って以来だしねえ。

NYFFも終わっちゃって、BAMのNext Wave Festivalもだいたい終わっちゃったけど、CMJが始まる。これっぽっちも行けるかんじはしないが、それでもいいの。秋がぐいぐい深くなって抜けられないまま見回してみると冬、ていう時期なの。

Dallasはまったく初めてなのでどうしたものか。
なんか微妙に時間が空いたりしているのよね。

St.VincentことAnnie Clarkさんが、彼女のSisterがオープンしたメキシカンレストランで週末にウェイトレスをしているというニュースが流れてきたので行ってみようかしら、くらい。 平日はいないだろうけどなー。

http://www.stereogum.com/1836708/st-vincent-is-waitressing-at-a-dallas-taqueria-this-weekend/news/

風邪ひかない程度にがんばります。

ではまた。

[film] Bird People (2014)

3日の土曜日の昼、渋谷で見ました。

ぜんぜん他人事とは思えないような映画。 ああ、スズメになりたいよう。

パリのシャルル・ド・ゴール空港に向かう地下鉄とか車とか、いろんな人たちのいろんな思いがざーざー流れていく、そういう吹き溜まりぽい空港の傍のホテル(HIltonね)、そこにシリコンバレーから出張で滞在しているIT企業の重役 - Gary Newman (!) (Josh Charles)がいて、そこでメイドのバイトをしているAudrey (Anaïs Demoustier)がいる。

第一章は、Garyのはなしで、パリの取引先とドバイのプロジェクトの打合せをして、翌朝にはドバイに飛ぶというその晩、眠れなくなっていろいろ考えて、翌日自分が乗る予定だった飛行機がドバイに向けて飛びたつのをホテルから見送り、そいつがドバイに着くころを見計らって会社の上に電話して、もう会社やめる、ぜんぶちゃらにする、て伝えるの。 それから妻にも電話して同じことを伝えて、当然会社も妻も呆れてなに言ってるんだ頭冷やせ、になるのだが、本人の決意は変わらなくて、あーめんどくさい鳥になりてえ、て思うの。

第二章は、Audreyのはなしで、部屋のメイクアップで部屋から部屋を渡っていく日々に疲れて、ふう、って思ったら突然スズメになっちゃうの。 で、飛ぶ練習したり、滞在客にエサ(でもなー、Pringlesかあ..)もらったり、疲れて休んだりするの。

お話しとしてはその程度なのだが、空港のそばのアメリカ資本のホテルチェーン、ていう場所の設定が絶妙で、それはすぐにどこかに飛んでいけるところの隣、翼を一瞬休めてちょっとだけなんかを考える、そういう場所、しかもそれはアメリカの考え方で徹底した「標準化」がなされているので、余計なお世話雑念なしで「滞在」できる。 では「滞在」ってなんなのか、とか。

ほんとにプロの出張屋(としか言いようがないくらい出張ばっかしのひと)にはとても及ばないのだが、それでも空港とかホテルとかを渡る日々が続いたりすると、なにやってんだろ、くらいのかんじにはなる。 この状態、とかいうときの「状態」ってなんなのか。この「状態」はふだんの通勤してオフィスに座っての「状態」とどこがどうちがうのか。 どっちにしたってライブも映画も行きにくいしさ。 などなどが積み重なっていくと、もうなんでもいいや、になりがち。

映画のなかで、Garyはひと晩考えてやめた、とか言っていたが彼があれを外に言う時点ではもう100%決めていると思うんだよね。(← 既に2回やってる)

人であることの倦怠感、鳥であることの緊張感、どっちもおんなじふうに空港の傍で佇んでいる。
その風景と時間の切り取りかたがとても素敵に落ち着いていて、よかった。

あと、Anaïs Demoustierさんをスズメにした、というだけでほんとにあたり。
(Vincent Macaigneの哺乳類のかんじに近い)
でもあのスズメ、絶対訓練してるとしか思えないんだけどー。

あと、ほんとどうでもよいことなのだが、アメリカ人て、なんであんなにミニバーのものを普通にじゃんじゃん消費して平気なんだろうか。 高くつくよね…

10.12.2015

[film] Hannah Takes the Stairs (2007)

30日の水曜日の晩、渋谷でみました。『ハンナだけど、生きていく!』

“Drinking Buddies” (2013) のJoe Swanberg -  “Happy Christmas” (2014) も見たいようう - が、ブレークする前のGreta GerwigやMark Duplassらと一緒に(writing creditsには10人並んでいる)撮った 2007年の映画。 なんでこんなのが今頃?  なのだが見れるのだったらこんなに嬉しいことはない。

マンブルコア、についてはそんなに多く見ていないのであまり言えないのだが、ドラマ性や熱を排して低予算でさくさく作った自主製作(ぽい - 十分プロだと思うけど)映画群、くらいの括りで、映画史というより00年代以降のネット文化の流れのなかで捉えるべきものと思っていて、だとするとまだ変化の途上の一亜種くらい、にしておいたほうがよいのかも、て思っている。

たとえばGreta Gerwig主演の映画をこの時期の作品から”Greenberg” (2010) - “Frances Ha” (2012) - “Mistress America” (2015) と約3年単位で追っていっても、それをマンブルコアと呼ぶのであればぜんぶそうと呼べてしまうくらいに作品のなかの彼女の挙動振る舞いはある角度でみれば一貫しているように見えないだろうか。 彼女は彼女自身の女王として常に超然としていて揺るがなくて、受け容れられることをぜんぜん求めていない、という点で。

大学を出てなにかの制作会社でインターンをしているHannah (Greta Gerwig)にはルームシェアをしている女友達がいて、彼女が冒頭で付きあっているのはMike (Mark Duplass)で、彼とはなんとなく続かなくなって、それから同じ会社の同じ部屋で働くPaul (Andrew Bujalski)とつきあって、それもなんとなく続かなくなって、こんどはMatt (Kent Osborne)とつきあって、そんな遍歴が綴られる、というかテーマは男を取り替えまくるHannahのお話し、というよりはそんなようなものすごく薄くて儚い関係のなかでそんなのどうでもよいふうに生きる彼女を描いている、ただそれだけだよ(きょとん)、みたいなお話し、というか世界というか。

彼女は仲良くなるとふたりで小学生みたいにバスタブで潜水ごっこをしたりラッパを吹いたりとかして楽しく遊んで、それはバーで酒を飲んだり映画に行ったりするのと同じようなある種の儀式みたいなかんじで、だからといってそれを通過したふたりになにか特別な関係とか絆が築かれるのかというとそんなことはなく、なーんかちがうかも、程度でさようならして、もちろんベソくらいはかくのだが、次に行くの。 別に王子様とか赤い糸を求めているわけではなくて、ほんとに、(タイトルそのままに)ただ階段を昇っていくだけ。

それがどうしたのよ、と問われれば、それだけだよ、ていう。 そんなもんじゃないの?
で、「そんなもの」を描くその手法として、Joe Swanbergの文体はすでにこの頃からできあがっているように思えたの。

で、こういうかたちでざーざー右から左に流れていくだけの小さな世界を描く、こういう映画があってもよいのかなーと。

Mark Duplassの世界も、”The One I Love” (2014)とかおもしろいのになー。

[film] Belle et Sébastien (2013)

ここから、こないだの出張から戻った翌日、27日の昼間にみました。 リハビリ系。

スコットランドのベルセバよかこっちの方が先なんだって。「名犬ジョリイ」のアニメはしらないです。

1943年、フレンチアルプスの麓の村でおじいさん(Tchéky Karyo)と暮らすみなしごのSébastien (Félix Bossuet)は山で「野獣」と呼ばれて皆に怖れられているでっかい野犬と出会って、きみはわるくないしこわくないよね、てだんだん仲良くなっていっていく。 灰色に薄汚れたその犬は川で洗ってあげたら真っ白になって、Sébastienは彼女(♀)をBelleと名付けるの。 野獣を危険視する村人たちがいて、他方で村にはナチスがやってきて、レジスタンスとして山を抜けて逃げるユダヤ人のガイドをやっている医者とかパン屋の娘とかは狙われて危なくなるのだが、冬のアルプスを抜けようとするユダヤ人一家を助けるべくBelleとSébastien たちは決死の峠越えにのぞんでいく。

村人のなかにも嫌な奴はいるし、ナチスのなかにも良い奴はいるし、ママは山の向こうの「アメリカ」ていうとこで暮らしているらしい。 Sébastienはそんなようなことを学んでいくのだが、虐められて弾きだされたBelleと天涯孤独のSébastienの結びつきは誰が見たってほんもんでかけがえなくて、がんばれわんわん、負けるなよ坊主、てなる。

でっかい犬と子供、てそもそも絵になるもんだし、それが白いふかふかのデカ犬だったりすると余計にきゅーんとなるもんだし、映画は特にそういう組み合わせが絵になるようなあかぎれ擦りきれガキを選んでいるもんだから、山野をそんな子供と白犬が駆け回ってじゃれあっているだけでもうそれでいいや、になってしまったのはなんかずるい。

だから一番胃が痛くなったのは村人がSébastienをだましてBelleを追いつめてみんなで仕留めようとしたところで、ここでひどく悲しいことになったら席をたって帰るんだから、くらいに思ったのだが、ここを乗り越えたのでクライマックスのアルプス越えだってなんとかなるじゃろ、になってしまった。

キーメッセージはアルプスでは子供も犬も棄てちゃいかん、ていうことね。
(→ 「フレンチアルプスで起きたこと」も参照)

10.11.2015

[film] Ant-Man (2015)

19日の晩、あの野卑下劣極まりない採決の場にAnt-Manがいてくれたら、とか思いつつ六本木で見ました。
(いや、あそこにいてほしかったのはHulkだな)

元々気立て善良なエンジニアだったのに、仲間と一緒にやった空き巣でミスして牢屋に送られて、当然妻とも娘とも引き離されて、釈放されても戻るべき家はないから昔の仲間のところに居候して、職に就いても解雇されて、そうしているうちに仲間が新たな空き巣物件を拾ってきて、という典型的な負のスパイラルから抜け出したいのに抜けられなくなっている主人公(Paul Rudd)と、かつて自分が開発した技術を私企業の危険な成長戦略にのって悪用されることをは阻みたいお金持ち博士(Michael Douglas)が出会って、いつのまにか進行していたハイドラとかの悪巧みに立ち向かうの。

主人公が空き巣に入ったとこがその博士のおうちで、苦労して金庫のなかまで掘り進んだのにそこにあったのはなんか古そうで着古したスーツみたいなやつで、でもPaul Ruddは人がよいからそれを着てあげて(そんなの着ないだろ、てみんなつっこむ)、そこに付いてたボタンを押してみたら(押すなよ、てみんな - ) 体がぎゅーんて縮んでAnt-Manになっちゃって、なったらこんどは博士に乗せられてこき使われることになるの。

ふつうの人からは見えない/見えにくい、という点では透明人間に近いけど、透明人間だと物理的に抜けられる/抜けられないの壁があるのに対して、こっちはそういう制約がなくなる、ていうのと、大 → 小、小 → 大の切り替え(びっくり)をそのまま戦法として使える、てあたりが新しいのかも。 でっかくなるほうだとHulkとか既にいるし。

弱々しくて周囲から蔑まれていた男が、科学の力で超人みたいな動きをする、というのは”Captain America”なんかもそうだけど、こっちは肉体改造ではなくて装着系、ていうのと単独で強いというより、そこらの蟻(いろんな蟻の特性を活かす)の力も借りる、という点ではエコでダイバーシティでより新しいのかもしれない。 でも突然でっかくなるとき、仲間の蟻を潰しちゃったりしないのか、ちょっとは配慮してあげたほうがいいんじゃないか、とかおもったり。

などなど、笑いも含めてだいじょうぶかよ、みたいなところがいっぱいで、そのへん、Edgar Wrightだったらどう料理したのかしら、とか思わないでもないが、それなりにおもしろいからいいかー。

なんで蟻男なのか? 蠅はすでにいる(別用途だけど)から次は蜂あたりか。 空飛んで、刺すの。 でも蜂蜜の誘惑には負けるの。

みんなが当然のように思っていることとおもうが、これ、Paul Ruddだからできた役だよね。
このひとの平熱感はほんとただもんではなくて、”This Is 40” (2012) の主人公がそのまま横滑りだと言われても違和感ないし、最初にすてきだなーとおもった”The Object of My Affection” (1998) の頃からみても印象は変わらない。 (自分にとっては)同系のBen Stillerが時たま素頓狂な猿に変わってしまうも無理ないと思うので、偉いなあって。

音楽、”Antmusic”くらいは流れるじゃろ、とか思っていたら本当に流れたので笑った。 でも別の場面でなんでThe Cureの”Plainsong”があんな荘厳に流れたのか、はよくわかんなかった。 たんに聴きたかったから、くらい?