戻りのヒースローまで来ました。
自分の中で世界が終わる日、として置いていたこの日がついに来てしまったあーあー、しかない。
24日の荷物出しは前のスロットのが押して3時間遅れで始まって、本の箱はSサイズが23個になって、人が詰めたり運び出しを始めるとすべての計画がなし崩しにどうでもよくなっていくのはいつも通りで、全ての運び出しが終わってからDonmar Warehouseに行って演劇を見て、夜に演劇を見るのはこの後27日まで、Harold Pinter Theatre → National Theatre → Young Vicと続いた。28日の土曜日は日帰りでアントワープに”Antwerp Six”の展示を見に行って、日曜日、月曜日(今日)は美術館へのお別れとお買い物で走り回った。
前回の駐在 - やはり英国から帰国した時はコロナ禍の真っただ中で、空港はがらんがら、飛行機も数名しか乗っていない非現実的な世界で、しかもその後に隔離される先がすごく嫌なホテル、というより収容所であることがほぼわかっていたので、なにもかもまっくらで沈んでいた。
今回、すべては元に戻り、街は活気に溢れていて楽しいことばかりらしいのだが、帰る先はコロナ禍の時以上に酷く壊れて腐った独裁国家で、これこれこんなだから嫌だと書くことすらうんざりのあんなところに首に縄をされて引かれていく気分で、でもすべてはこれまでの行状の報いなのだし、殺すならとっとと殺しやがれ、とかたいへん殺伐としている。
1年を過ぎたあたり、手術で帰国したりしていた頃もあったが2年と3ヶ月の間ロンドンにいて、いろんな映画をみて、演劇をみて、音楽のライブにいって、バレエやダンスを見て、新旧のアートに触れ、古書店とか遺跡とか聖堂を回って、その活動は英国の外にも広がって日帰りなどするようになり、そういうのを見たり触れたりそれらに向かって動いている間だけ自分は生かされているのだと思うようになった。 人によってはそれがスポーツだったり仕事だったりするのかもしれない没入できる何かが、これなのかも、って。
休みの日は何をしていますか? とか趣味は? と聞かれた時に、映画でも演劇でも絵画でも、それらの「鑑賞」でも小旅行でもない、いろんなアートを渡りながら自分がこれまで見たり読んだりしてきたあれこれと結んだりどこかで繋がっていたことに気づいたりするのがおもしろく、そのおもしろさに目覚めて没頭している。いちばん近い例えでいえば料理 - 自分で作って自分で食べるを繰り返す - あたりなのかも。うまくいかないこともあるが、うまく纏まったり収まったりしたときの気持ちよさとおいしいかんじったらない。
そしてあの国に帰るのがとっても嫌な理由のひとつは、食材を集めたり新鮮なのに触れる機会がものすごく限定されたり難しかったりできなかったり、輸入する人に勝手に前処理されてしまったりするからなのかも、って。なにこのわけわかんないのは? ってリアルタイムでどきどきしながら毛が逆立っていく感覚はなくて、チケットを手に入れる時点でおおよそわかっていたり、これはぜったい! みたいなのはとうに売り切れてて手に入らなかったり。
そしてロンドンというのは、アメリカからやってくる下品なやつに鼻をつまんだり、ヨーロッパからやってくるものに距離を取りつつも食べようとしたり、そういう放流放牧みたいなことをずっと鷹揚にやってきた場所である、というのが大きかったかも。 そういうところにいられた、というのは幸運だったかも。
幸運といえば、これだけいろんなところ - 最後の方なんてほぼやけくそだったが - を行ったり来たり周ったりして、大きな怪我も病気もなく、階段から落ちたり転んだり倒れたりもなく、パスポートやスマホをなくしたり盗られたりもなく、体が常にぼろぼろである以外はどうにか飛行機に乗れそう、というところまではこれた。ぜったいなにかあると思ったのに。 まだわかんないけど。
今日は晴れて強い日差しのあとに曇って通り雨がきて、寒かったり寒くなかったりの全部盛りで、でもお花はいろんなところで既に、緑たちはこうしたら輝くってうっすらわかりはじめたところ。こんな素敵な季節なのになー。
4月からの新たな年度の新たな仕事、についてはまったくわかんないしどうでもいいし、つまんなかったらこれまでと同様にうろうろするし、忙しくて大変だったら、やっぱり逃げて外に出ていくと思うし。ただどっちにしても数は減ることでしょう。
あーあー
ではまた。
3.30.2026
[log] March 30 2026
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