1.11.2023

[film] Yoyo (1965)

もう2023年になって10日を過ぎたし、そろそろ年明け後に見たやつのも書かねば、と思って。
1月1日の夕方、イメージフォーラムの特集『ピエール・エテックス レトロスペクティブ』で見ました。今年の映画はじめ。

2015年のフィルメックスで上映された時にも狂喜して見たものだったが、こんなの何回見たってよいので。 それにしても今現在、シネマヴェーラの『ヌーヴェル・ヴァーグ前夜』特集に加えてイメージフォーラムのこれがあって、恵比寿ではジャン・コクトーをやっている。ここにジャック・タチがあったらパーフェクトではないか(でもパーフェクトってなに?)と師走からずっとフランス映画ばかり見ている。(あとは大西洋の向こう側 - 米国から寄せてきた波、についても特集できるよね)

65年のカンヌに出品されていて、でも他のどんな映画にも似ていないようなところがある。脚本はPierre ÉtaixとJean-Claude Carrièreの共同。

1925年、お城のようなお屋敷に暮らす大富豪(Pierre Étaix)がいて、大勢の召使に囲まれてほぼぜんぶ自動だったり音(変なぶー音ばかり)が知らせてくれたりするピタゴラスイッチの世界なので日常のいろんなことにおいて喋って指示したりする必要も全くなくて、横にいる犬と一緒に悠然と暮らしていてなんの過不足もないの(いいなー)。この辺のサイレントの鮮やかな動きとトーキーのびっくり箱! のよいとこをミックスしたようないろんなモーション - Action speaks faster - が見ていてひたすら気持ちよい。

なのに富豪は、なにひとつ満たされているようにも見えなくて、特にかつて恋をしていたらしい女性の写真を見るときだけ悲しそうな顔になり、でもある日、邸宅の前にやってきたサーカスの一団に彼女を見つけたら、彼女の傍には男の子がいて、その子がYoyoで、どうも富豪と彼女との間にできた子らしいのだが、男の子はピエロの恰好をして既にピエロとしてできあがっていて(種としてのピエロ?)、しばらく屋敷で過ごした後に大きな象の牙に乗っかって母と一緒に遠ざかっていく – この辺、夢のようにすごい。

やがて大恐慌がきて、富豪のお屋敷からも人が消えてぼろぼろ綻んで荒れていき、富豪もひとり車に乗って旅に出るのだが、途中でサーカスの一団と合流すると、再会した彼女とYoyoと元富豪の3人で一緒に旅芸人をしていくことになる。

更に時は流れて戦後になって、大きくなったYoyo (Pierre Étaix)は独り立ちした芸人としてふつうにやっていて、もともとサバイブ能力はあるし、なんでもこなしてしまうサーカスの人なので実業家としてもばりばりのし上がっていって、元のお屋敷を買い取って再現しようとして..

既に失われて取り戻すことのできない過去を、取り戻すことができないが故にその愛と夢の跡に引き摺られて溺れて、実生活なんて仕事なんてどうでもよくなってしまうそんなありようをサーカスの、あるいはヨーヨーの弧を描いて戻ってくる軌跡と運動 - 空中ブランコも同様のそれだと思う - のなかに描く。前半は振られた先のヨーヨーのコマのゆらーんとした動きを追って、後半はコマを振り出す側の動きをコレオグラフして、どちらにしても生産的なあれではない、催眠術にかけたりかけられたりするようなやつで危険極まりないのだが、映画を見るのってヒトの繰り出すヨーヨーに幻惑されてぽーっとなる、そんなもんだとも思うし。

そしてこのYoyoのすばらしいのは、王の時代 ~ 大恐慌 ~ 戦争といった大きな時代の流れを俯瞰しながら、それでも大きく揺れて揺られて戻ってくる、手のひらに残る幼年期の夢のような儚い記憶、そのシルエットのなかに断固留まろうとする(でもシリアスにはならない)ところではないか。毎日ちまちま真面目に会社行ったりするのなんてばかばかしくてやってられなくなる、という点ではとっても危険なやつだと思うけど。

とにかくYoyo - Pierre Étaixの動きの、シルエットの見事さを追っていけばよいの。”A.I. Artificial Intelligence” (2001)に出てきたジゴロ - Jude Lawみたいにずっと停止しないで不滅で楽しませてくれるから。

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