1.05.2023

[film] Le carrosse d'or (1952)

12月26日、もう年末休みだったので曜日なんてどうでもよかった午後、シネマヴェーラの特集 - 『ヌーヴェル・ヴァーグ前夜』で見ました。

この特集については、いつ何を何回見たってぜんぜんよくて飽きのこないやつらで、配信でタダでいつでも見れるのもいっぱいあるのだろうけど、やはり映画館で見たい。いつ行ってもすごく混雑しているのでそれだけが嫌だけど。行き場のない老人たちの受け皿(掃除とかも自分たちにやらせる)としてのこういう名画座とか定期上映館って、商売になるんじゃないの?

邦題は『黄金の馬車』 - 英語題は”The Golden Coach”。 Jean Renoirのこの作品をトリュフォーは大好きで、自分の制作会社をこのタイトルから取った - ”Les Films du Carrosse”というのは有名。英語版、フランス語版、イタリア語版があるらしいのだが、上映されたのは英語版。最初に見たのは日本初公開時 - 1991年(おいおい)の日比谷シャンテ・シネで、その後に米国でも見て、何回見ても御利益ありそうだし、でも見るたびにそんな御利益はないやつかもしれんがやっぱりたまんなく好きだなー になる。

原作はメリメの1829年の戯曲 – “Le Carrosse du Saint-Sacrement” (The Coach of the Blessed Sacrament) - 『サン・サクルマンの4輪馬車』というタイトルで昔に翻訳が出ているらしい。

18世紀のペルーの僻地に町の総督(Duncan Lamont)が購入した黄金の馬車と、イタリアからきた旅回り劇団の一行が同じ船で到着して、そこにあった古い劇場を手直しして興行を始めると、一座のCamilla (Anna Magnani)に人気闘牛士のRamon (Riccardo Rioli)が惚れて自ら客を呼び込んで、評判を聞いた総督は宮殿で芝居をやらせると彼もやはり彼女にやられて、彼女が黄金の馬車をほしい(そこで寝泊まりしていたし)というので彼女にあげる(公金で買うつもりだったけど自腹で買うから文句いうな)と言って、それらを横で見ていた求婚者のFelipe (Paul Campbell)は呆れて軍隊に志願して出ていってしまう。スター(Ramon)、政治家(総督)、昔馴染み(Felipe)のそれぞれにCamillaの求めるものは違っていて、でも彼女はふつうに全部ほしいわと望み、でもそのために殺し合いとか見栄の張り合いをするのはバカみたい、って最後は宗教家である司教(Jean Debucourt) - 当時は最高権力者である、と冒頭に説明がある – に登場してもらって万事丸くおさめる。

ずっと役者として旅をしながら役と自分の両方を生きてきたCamillaにとって、世界は常に自分のものである必要があったし自分のほしいものは世界が与えてくれて当然なのだし、そんな底抜けにおおらかな彼女に世界が惚れちゃって大騒ぎ、っていうどたばたコメディで、これはそこらのrom-comとかよりもスケールがでっかく、ヴィヴァルディのお囃子に乗ってあらゆる欲望と恋とキャラクターが日蝕とか月蝕のように幸福な一致を見ようと連なっていく、夢のようなお話。 それ自体が劇中劇のようなシェイプをもって、Anna Magnaniは太陽とか月のようにすばらしい! ということで異議なしなの。


The River (1951)

1月3日、お正月のうちに見たほうがよいな、って。 これもJean Renoirによるカラー作品で、↑のと同じく撮影はClaude Renoir。『黄金の馬車』とこれの色使いとか構図ときたら、パパRenoirのそれを軽く凌いでいてすごいったらない。原作は女性作家Rumer Goddenによる同名小説 (1946)で、Renoirのアメリカ時代最後の作品となった。

インドのベンガル地方、ガンジス河流域に暮らす裕福めの英国人一家 - 父母娘たちに息子と、隣家にやってきた戦争帰りで片脚を引きずっているCaptain John (Thomas E. Breen)との間の淡い恋 - 恋に憧れた恋の駆け引きと後景に広がる誕生とか死とか。 この後に造られる『黄金の馬車』が人のあらゆる欲望の絵巻を天幕いっぱいに描いてみせたのと同じように(その前段として)、生と死のでっかく揺るがないありようを白い粉の曼陀羅として描いてみせて、それは単なるcoming-of-ageの物語を越えてびくともしないスケールを保つ。信じらんない(by 語り手の女の子)。

なんでこんなに軽い子供たちの遊戯のようなやり取りが宇宙的な広がりを見せる生とか労働とか歴史とか神とか死のドラマに - それらに直に言及することなく絵柄としてパッチワークできてしまうのか、笛の音にやられたコブラの気分になってどうしようもない。お手あげ。

『ヌーヴェル・ヴァーグ前夜』 - 新しい波がやってくる前、例えばこれだけの世界像だのでっかい物語だのが、ペルーだのインドだのを舞台に、すでにどーんとあった、と。それは印象派がそれまでの絵画に対してやったようなことと同じなのか違うのか?  - もちろん違う、どんなふうに? というのがいっぱい並べられていて、ゴダール追悼どころじゃない騒ぎだよこの特集は。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。