1月9日、成人の日?の午前、菊川のStrangerの特集『もう一度観たい! 2022年邦画セレクション』で見ました。これも地名(と国名)が入ったドキュメンタリーだわ。
冒頭は牛の出産シーンで、同じく冒頭に牛の出産がでてきたAndrea Arnoldのドキュメンタリー”Cow” (2021)を思い出した。世界のドキュメンタリーを見るようになると人、牛、馬、羊あたりの出産シーンのいろんなのがほんとに沢山でてくるので、道端で見かけても横で手助けくらいはできる気がする。
その牛の出産は逆子で難しいかも、と獣医が呼ばれて、でもなんとかなってかわいい子牛が生まれる。ここでの危なっかしくて、でもなんとかなるか? … なってよかった... という綱渡りだけどどうにか、という感覚が最後まで続いていく。
その牧場は岡山県北部の奈義町というところにあって、その牧場を50年くらいやっているのが映画の中心にいる内藤秀之さんとその一家で、この土地の近くには陸上自衛隊の「日本原演習場」がある。日露戦争の頃に(… あきれる)旧陸軍が買収し、敗戦後に占領軍が接収し、そのまま自衛隊が引き継いで、最近の軍国主義まっしぐらの中で無反省に強引に軍用地にされつつある中、内藤さんは医学生だった50年前、医学生から婿入りしてここにある牧場を継いで、たったひとりで戦う、というより地域のなかでいろいろやってきた。そのいろいろが原っぱのように広がっている – そんな日本原。
こうして牧場の活動 – 乳牛がいて、そこのおいしいと評判の「山の牛乳」のこと、牛乳を作る小さな町の工場、牛乳を一軒一軒配達していく人たち、耕作が認められている演習場内 - 昔は稲作地帯だった - での農業 – サツマイモ掘りとか農業を志してやってくる若者とか、内藤さんの一家とその周りにいる人々の姿を描く。地域のなか、日本原に駐留する自衛隊とその家族もいて、彼らとも敵対したり排除したりすることなく、一緒にやっていく。
もうひとつの軸として内藤さんの個人史も描かれる。学生運動に参加して警察の暴行により友人を失ったこと、その死を無駄にしないための活動、そもそもの基地問題に対する息の長い - 50年に渡る抵抗、不服従のありようが。
朴訥な、冷たくも温かくもない淡々としたナレーションは、虫を踏んでから外に出れなくなったという内藤さんの息子によるもので、字幕でもこんなこと/あんなことがあった、という説明が入る。そういう中で発せられる内藤さんの言葉や表情はすとんと嵌ってどこまでもわかりやすい。意外性を狙わず、主人公をきちんと中心に置いてこちら側と向き合えるようにしている。
そんな主人公の日々の暮らしと個人の歴史、その交点に家族があり取り巻くコミュニティがあり、それを生かして続けさせてきた牛や農業があって、というベースの地図をきちんと描こうという試みは成功していると思う。
なので、故に、ここの基地の問題の異様さが、素朴に、なんなのこれ? というかんじで浮きあがってくる。日米合同演習を理由に立ち入り禁止となってしまう農地を前に内藤さんの息子と自衛隊員の間で、全く成り立たない会話 - 「命令だから」しか応えることのできない自衛隊の人たち。国会前のデモでも、おそらく辺野古でも、前の戦争でも、同様の、権力側が差し向けてくる自分の頭で考えることのできない案山子のひとたち。
何万回以上の繰り返しの、なんで? なんのためにあれだけの軍事費増強とか基地とか、軍国ごっこが必要なの? いまの世界情勢とか地政とか脅威がどう、という議論以前に、なんでそこで暮らしている人たちとの間でちゃんとした対話や議論が為されないまま、多数派とか利権の陣地取りした政党がなし崩しで決めて実行できちゃうの? 江戸時代かよ、っていう60年代安保の頃から続いているあれらがひたすら気持ち悪い。ふつうに見渡したって、いまこの国に必要なのは戦地じゃなくて農地じゃないか、ばっかじゃないのか。
監督が岡山に来るきっかけとなった311対応にしても辺野古にしてもコロナにしてもぜんぶそう、これら圧倒的な不信に対抗する牛と畑と人は、昔からずっとここにこうしているんだよなめんな、っていう映画だった。
山の牛乳、飲んでみたかったな。日本の牛乳って、アメリカや英国のと比べるとほんとに薄いのよね。食中毒懸念があるのだろうが、もっとおいしいのがあるはず、とは思う。
エンディングはAndrea Arnoldの”Cow”とは違っていてほっとした。
1.20.2023
[film] 日本原 牛と人の大地 (2022)
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