4月16日、土曜日の昼にシネマカリテで見ました。『湖のランスロ』。
監督はRobert Bressonで、今回は『たぶん悪魔が』(1977)と一緒に、どちらもデジタルリマスター版での公開。74年のカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞している。
これは大昔(00年代?)、たしかNYのAnthology Film Archivesでみた。登場する騎士たちのようにぼろぼろの16mmフィルムで、冒頭の字幕も血の色も茶色に近いオレンジで、今回ああこんなに赤かったんだわ、ってなかなか新鮮。甲冑のがちゃがちゃした音やバグパイプの音も気持ちよいったらない。
冒頭、甲冑鎧の首が飛んだりぐっさり刺さったとこから血がぴゅーぴゅー飛んだり見たくない死体が木にぶらぶらぶらさがっていたり、これぞ中世! みたいな陰惨な絵が広がってて、「足音が先に聞こえてくると1年以内に死ぬ」って。『たぶん悪魔が』と同様にその始めに死が置いてある物語。
みんな大好きアーサー王伝説に出てくる聖杯探しの旅が終わって帰ってきたのだが、うまく見つからずに死者も沢山でてがっかり.. に終わった後のことを12世紀フランスのChrétien de Troyesのいくつかの本に基づいて、ランスロ(Luc Simon)とグニエーブル妃(Laura Duke Condominas)の諦めたり拗ねたりくっついたりの不義の恋のこと、グニエーブルを慕ってランスロを嫉妬していじめっこ騎士団を作る騎士モルドレッド(Patrick Bernhard)のこと、ランスロを兄貴のように慕うゴーヴァン(Humbert Balsan)のこと、王妃を幽閉しても効果ないしぜんたいを見渡してどうしたものか、になっているアルテュス王(Vladimir Antolek-Oresek)のこと、最後にはランスロがゴーヴァンを殺し、反乱を起こしたモルドレッドも殺し、自分も死んで… などなど騎士道ものとは思えないローなテンションで全体がずり下がっていくさまを描いていく。
それぞれの台詞は詩歌のように短く独り言のように詠われて響いて、その言葉が相手に届く手前でとにかく鎧を纏って槍を手にしてがちゃがちゃ向こうに行ったり馬に乗って飛んでいったり。思いを遂げるか決闘するか(生きるか死ぬか)しかないかんじで、でもランスロはめちゃくちゃ強いのでみんな直接対決はびびって腰がひけてて。でも、全体としては『たぶん悪魔が』と同じように既に世の中は腐りきってどうしようもなくて(聖杯なんてないし)、こんなところで戦ったり愛しあったりする意味も価値もあろうか、それが見えてしまったランスロは..
決闘 - 馬上の一騎打ち - に匿名の騎士として参加したランスロが、相手を次々に倒していくので途中であれはランスロだ、ってみんなにわかって、それを(少し嬉しそうに)何度も繰り返すところがおもしろい。木の槍と走っていく馬の脚 ~ 転がる騎士しか映さないのに圧倒的な決闘のかんじは伝わってくる。こないだの『最後の決闘裁判』(2021)のようにお金かけて盛らなくても。
王への忠誠なのか王妃への愛なのか同志との誓いなのか騎士道とか神への信仰なのか、あるいは自分の前に立つ「敵」全般への憎しみなのか、いつものブレッソンの主人公たちのようにあまり苦悩せずに映ったときにやることは決まっている潔さと速さ、そこにおいては死すらもー という形でようやく見えてくる中世の「ロマンス」とか騎士たちのありよう。そこらの獣と同じ死。
騎士だの王だの偉そうに言っても鎧はがちゃがちゃと重いし顔もわかんなくて滑稽だし、鎧を脱げばタイツで脆いし肉から血はどばどば出るし、こんなもんなのだけど、って騎士道伝説を嗤う、というよりも聖も俗も善も悪もこの程度の団子になって転がってきたのだ、って。
ロメールの『聖杯伝説』- ”Perceval le gallois” (1978)にあったぺったんこの書割の背景と歌うような台詞まわしと、ここの世界とはぜんぜん違っていると思っていたけど、実は同じもの/騎士たちを解像度の異なるレンズで撮っただけなのではないか、って。
あとはもういっこ、ここに“Monty Python and the Holy Grail” (1975)をぶつけてみたら見えてくるものはあるのかないのか。
David Loweryの“The Green Knight” (2021)って公開しないの? ゴーヴァンも出てくるしおもしろいのに。
4.21.2022
[film] Lancelot du Lac (1974)
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