4.03.2022

[film] 太陽を抱く女 (1964)

ラピュタ阿佐ヶ谷の番匠義彰特集もここまでで、結局たったの6本しか見れなかった。やはり阿佐ヶ谷はちょっと遠くてしんどかった。またどこかで出会うことができますように。

明日の夢があふれてる (1964)

3月23日、水曜日の晩に見ました。撮影は厚田雄春。きれいなニュープリントだった。

浅草の老舗天ぷら屋の「天勝」では娘の鮎子(鰐淵晴子)と板前の明(三田明)たちががんばって店を切り盛りしている反対側で父の金助(益田喜頓)はふらふら明の母伊沙子(月丘夢路)のいる小料理屋に通いつめていたり、兄の宏(松山英太郎)は落語家になろうといつでもどこでも落語をはじめたり - そんなに上手くもない - で、割としょうもないけど、幸せに暮らしているっぽい。

鮎子はお参りにいった観音様で、背後から賽銭をぶつけられたり泥をかけられたりした青年実業家の一郎(勝呂誉)と頻繁にぶつかってなによあんた、になるのだが、彼の父 - 道平(佐野周二)も伊沙子目当てで小料理屋に通って金助と競り合っていたり、他に鮎子の恩人の玩具屋のおじいさんの必要とする特許 - オタクの大泉滉の開発したやつ - が一郎の会社にいじわるく横取り専有されてしまい倒産するところまで追い詰められているとか、明の恋人のチコ(柏木由紀子)が家庭の事情で田舎に帰って売られてしまうとかいろいろあって、でもなんといってもおそろしいのは、一郎のどこがいいんだかいちミリも見えてこない - せめてライバルくらい出してこないと - ことだとか、今日の泥まみればかりで明日の夢なんてちっともあふれてくるかんじがしないのだが、でももちろんさいごには一応なんとかなる。たぶん。

それにしても厚田雄春のカメラ(というよりもっとでっかいなにか)の普遍性というのか安定感というのか、がとてつもなくて、例えば三田明が歌うミュージカルのようなシーンでも河を背景にこちらに向かって歌いだす瞬間の広がりようとかびっくりだった。


太陽を抱く女 (1964)

3月26日、土曜日の午後に見ました。オープニングタイトルが真鍋博でいつものようにかわいくて素敵。ここにも天ぷら屋がでてくる。

代々木上原の南家にお手伝いさんとして現れた結城光子(真理明美)がいて、そこの主人は定年退職してどこかの嘱託をしている元成(佐野周二)で、同居しているのは繊維会社に勤める長男(柳沢真一)とその妻(久保菜穂子)と、長女(三ツ矢歌子)はまだ独身で、町工場の慎吾(杉浦直樹)を紹介されてよいかんじになろうとしていて、次男(小坂一也)は絵描きの修行をしていて、あとは大学生の三男(山本豊三)の大所帯で、次女(清水まゆみ)は天ぷら屋の菅原文太のところに嫁いでいる。

光子は料理からなにからなんでも給わりなんでもそつなくこなしてしまうスーパーお手伝いさんで、気だても器量もよいので長男の会社の宣伝のモデルを軽く手伝ってみればTVに映って評判になり、次男の絵のモデルをやれば絵が入選し、ひっぱりだこになった彼女をなんか家族にとってよくないかも、って次女の天ぷら屋に手伝いに行かせてみれば思わぬところから菅原文太の浮気が発覚し、彼女はなんも悪いことしていないのだが吹いてくる波風がひどすぎてもう辞めます、って静かに姿を消したところで、彼女の母たみ(沢村貞子)が北海道から出てきて..

たぶん誰もなにも期待していないお手伝いさん、という家庭に入りこんで働く職業に突然なんでもできてしまうすばらしい美貌の「女性」が現れたら、というコメディで、それがなんで「コメディ」として機能してしまうのか - 彼女が魔法使いだったり、受け入れ先の家族にきりきり舞いさせられるのならまだわかるが - というのは、日本の家族のありようなどを踏まえてきちんと考える必要があると思うが、彼女が「太陽を抱く女」なのかしら? というあたりがちょっと謎で、それはどちらかというと彼女をあんなふうに育ててかつての恋人佐野周二の家庭に(まるで復讐のように)送り込んだ沢村貞子の方なのではないか、とか。

最後に沢村貞子が割烹着で登場したところでうわーほんものの「365日の献立日記」やってくれないかしら、とときめいたのだが、あの番組、もう日曜の朝にはやってくれないのだろうか? そしてこの後の「日曜美術館」は「美の巨人たち」と同様にくそつまんない、美とはかけ離れたものになっていってしまうのだろうか(って、今朝のを横目でみて思った)。

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