4.10.2022

[film] Haute couture (2021)

4月2日、土曜日の昼、ル・シネマで見ました。
前日に見た”Morbius”があまりに男一色だったのに対して、これはとても女一色なかんじ(それがどうした)。原作・脚本・監督は小説家でもあるSylvie Ohayon。

パリのDiorのアトリエのお針子のトップで現場の責任者をしているEsther (Nathalie Baye)がいて、一人暮らして朝起きると転がったままがさごそチョコをつまんで食べて、食事は外食ばかりでみるからに糖尿病っぽい。

Jade (Lyna Khoudri)が団地仲間のSouad (Soumaye Bocoum)と朝の地下鉄の駅でEstherのバッグをひったくって、中にユダヤのシンボルとかがあったので祟られるぞとか言われて怖くなって返しにいくと、一通りの文句を言われた後に、あなたは器用そうな指先をしているのでこの仕事に向いている - 明朝アトリエに来れるなら来なさい - それなら警察には言わない - どうせ仕事してないでしょ、などと指示されて、むかついたけど少し興味もあったので行ってみる。

こうしてアトリエに入って針仕事を始めて、Estherの他に親切に教えてくれるCatherine (Pascale Arbillot)、意地悪に針を刺してきたりするAndrée (Claude Perron)、やさしいモデルのGloriaなど、いろんな職人さんの間で揉まれながら少しずつオートクチュール制作の仕事と現場に馴染んでいく。

職場で意地悪されて嫌になって飛びだして行かなくなったり説得されて戻ったりの繰り返しと、結果ずっと友達だったSouadとの間にできてしまう溝とか、いつもいてくれるトランスのSéphora (Romain Brau)とか、ずっと家に籠ってTVを見ている鬱のママとか、身内・身近でのごたごたがあって、ショーを目前にEstherが倒れて手首を怪我して使えなくなって、などいろんな出来事や変化があるのだが、だんだん縫製とか制作の現場がおもしろくなっていって…

それぞれの境遇や立場の人たち全員がばりばりに我を張ってどつきあって収拾がつきそうにないのになんとなくケ・セラ・セラに転がっていって、結局みんなよい人に見えて幸せになってしまうフランス人情噺の典型みたいなやつで、この枠のなかでは移民のことも差別や格差のことも提起はされてもどこまでも解決はされない。最後の団地での喝采シーンのように寧ろこれでいいのだ、って地固めされてしまうかんじ。「適応」の物語としてこれを少しエクストリームにぶちかましたったのが今やっている”TITANE”ではないか、とか。

こういうのの反対側に、例えば”La Haine” (1995)とか”Les Misérables” (2019) - *V・ユーゴー原作のじゃないやつ - などがあって、こういうバランスのありようとか、おもしろいなー、って。(でもなんでもかんでも「生きろ! 」とか「信じろ! 」ばっかりやってる日本映画{←偏見}よりは遥かにまともで健全だと思う)

そうは言っても、この映画に関してはNathalie Bayeの、ちょっと疲れて表情もうまく作れなくて、でもきっとだいじょうぶだからね、っていう柔らかな笑顔を見ることができるだけで十分な気がする。底なしにすばらしい人。
そして、主演のLyna Khoudriさんは”Papicha” (2019) - でも服を作っていたよね - の人で、あの後パリまで行くことができたのだねえよかったなあ、って。

あと、レストランのキッチンものもおもしろいけど、こっちの舞台裏のも改めてすごいなーって。ミリの狂いやほつれや失敗が全体に遡ったり波及したりしてぶち壊してしまう可能性とか恐怖があって、それって日々のいくらでもやり直しのきく人同士のすったもんだと正反対の緊張感に溢れていて、だからドラマにも形成しやすいのだろうけど改めて。 でも、昔ほどこういうのに乗れなくなったのは、これらを供される「貴族」の側にちっとも思い入れできなくなってしまった世界のいろんな事情がある。

ほんとうはメゾンを仕切る変人でパワハラ気味のデザイナーを登場させて”Phantom Thread” (2017)よろしく、全員で力を合わせて毒キノコを盛ってあげる、っていうのがあっても面白くなったかも。そしたらまあDiorの全面協力はないか..

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