4月16日の土曜日、シネマヴェーラの女性監督特集で”Outrage”の前に見ました。サイレントで、邦題は『血と砂』。
監督のクレジットはFred Nibloだが、Dorothy Arznerが編集と初監督作 - クレジットなし - で関わっている。今からちょうど100年前の映画。
原作は『黙示録の四騎士』を書いたVicente Blasco Ibáñezで、脚本はJune Mathis。これと同じタイトルの小説(同じものかどうかは不明)を元に英国のミステリー作家Dorothy Leigh Sayerがサイレントの脚本を書いていたそう。
スペインの小さな村で、近所の仲間たちと闘牛ごっこをやるのが大好きだった子供時代のJuanはちょっかいを出した牛に突かれた友達を闘牛士っぽい動きで救ったことで - その子は亡くなってしまうのだが - 有名になって、そこから闘牛士を志す若いマタドールJuan Gallardo (Rodolph Valentino)としてのしあがって、マネージャーやスタッフも付いて、村のお嬢さんであるCarmen (Lila Lee)を妻に貰って幸せの絶頂にあって、でも同時に縁起担ぎとか勝ってなんぼじゃ、のぴりぴりした傲慢セレブに少しづつ変わっていく。
そんなところに現れたお金持ちの未亡人Doña Sol (Nita Naldi)がJuanを気に入って無理を言って呼びつけるようになり、強引な彼女のされるがままになって、その状態に疲れて自棄になり闘牛さばきも雑になっていく。彼はその反対側でCarmenへの罪悪感にも引き裂かれて、そのうちみんなの前でCarmenが辱められたりして..
この流れとは別に哲学者の - 浮世のあれこれを冷静に眺めているおじさんがいて、村に現れたならず者でお尋ね者の悪漢Puntillero (Harry Lamont)と、Juanを見比べた彼は、PuntilleroとJuanは同じような最期を迎えることになるかも、とか不吉なことをいう。
人気の絶頂にありながら(あるが故に)不安定で落ち着きがなくなってしまったJuanは闘牛の本番でミスをして牛にやられて哀れ.. になるのだがJuanを殺したのは獣と化した牛の野性ではなく - 本当の獣はここでわーわー騒いでいるわれわれ大衆なのだ、っていう字幕が最後に出る。
驕れるものは久しからず、であり、破滅にまっしぐらの若さや蒼さの話であり、ファム・ファタール - 悪女の話しであり、それらをなぎ倒して熱狂をもたらす大きなドラマとしての闘牛があり、でもこのお話しが異様なのはこのドラマの中心にあるスターの闘牛士とやはり名をあげた世紀の悪党 - 彼も最後には撃たれて死ぬ - とを並列に並べて(もうひとつ、愛欲にまみれたDoña Solと貞淑なCarmenを同じ軌道上に置いて)、それらの根源としてある大衆(文化)の興隆とそれがもたらす野蛮と残酷さ – 牛の血もヒトの血も砂に吸い込まれて少し経てば後にはなにも残らず忘れられ – そんな1920年代を冷徹に描いていることではないか。 そしてそんな視点を入れたのは“Dance, Girl, Dance” (1940) - 『恋に踊る』で対照的なふたりの女性ダンサーの攻防を通して社会構造のようなところまで踏みこむことのできたDorothy Arznerだったにちがいないわ、って思う。
で、1922年の闘牛(スポーツ)のことも1940年のショウビズのことも、どちらもちっとも古くない、今だに生きたテーマ(根底に現れる衆愚とかそこからの差別に虐待)として続いているし、そんなでも生きづらさを保ったままずっと止まずに続いているのってなんかすごい(ほめてない)。“Dance, Girl, Dance”とでも言うしかないのか…
あとはナイーブで見栄っ張りな闘牛士のRodolph Valentino、寡黙ですぐに壊れそうなLila Lee、どこから見てもヴァンプとしか言いようがないNita Naldiなど、見事にぜんぶはまっているキャストのすばらしさ。
土日月と京都〜奈良に行って藤の花を見てきて、ついでに仏教芸術とか神仏とかが少しだけおもしろくなってきたかも。まだぜんぜんわかんなくて奥に入ってひえーとか言っているだけなのだが。藤の花もロンドンからだったし、お寺も欧州でいろんな教会を見た延長にあるのだが、いろんなのがあるねえー
4.27.2022
[film] Blood and Sand (1922)
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