1.14.2021

[film] 浮草 (1959)

10日、日曜日の昼、Criterion Channelで見ました。英語題は”Floating Weeds”。
小津自身による『浮草物語』(1934)のリメイクだそうだが、元のは未見。
バックステージもので、劇中で上演されるお芝居の数百倍おもしろいお芝居みたいなお芝居が転がっていく。

西の方の寂れた港町に旅回りの駒十郎一座が船でやってきて、チンドン屋がチラシを撒いてガキ共がぞろぞろついてきて夏の公演が始まろうとしているのだが、一座の男衆は暑いしやる気があるんだかないんだかで、遊郭のようなところ(ここのモンドリアンのような格子ガラスはなに?)に行ってみたり野添ひとみが顔を剃ってくれる床屋(でも実際には..)に行ってみたり、だらだら適当にやっているご様子。

一座の頭の嵐駒十郎(中村鴈治郎)はいそいそと飯屋のお芳(杉村春子)のところに行って、かつて彼女との間にできた息子 - 清(川口浩)のことを聞いて、大きくなって郵便局勤めをしている彼との再会も喜ぶ。清に対して駒十郎は伯父さんということになっていて、伯父さんにしてはややべたべた過ぎる入り浸りようを見ておもしろくなくないのが駒十郎の傍にいる看板女優のすみ子(京マチ子)で、そこにいた加代(若尾文子)を呼んで、あの清ってのを誘惑してみなよ、っていう。

全員がこんな具合なので芝居の入りはよくなくて、それでもしょうがないか、って誰もなんとかしようとしない。で、すみ子に言われてあいよ、ってふたつ返事で受けて清のとこに向かっていった加代の方はそれまで色恋なんて知らなかったに違いない清と見事にはまって、べったりになる。なにしろ若尾文子と川口浩のふたりなので、いけるところまで行ったれ! って誰も文句をつけない。

で、すみ子がいい加減あたまきて大雨のなかお芳のところに出かけていって駒十郎と大ゲンカするところがすごい。 「だれのお蔭やだれの?」とか「ちくしょう、ぬかしやがったな」とか、通りに降り注ぐ大雨がシールドのようになってそこを挟んで睨み合う様ときたらSW EP1のDarth Maulのちゃんばらのシーンみたい。この喧嘩は駒十郎と加代の間にも転移して、「おまえらとは人種がちがうんじゃ人種が」とかビンタに足蹴もたっぷりで、漫画みたいにすっとんだりしない分、リアルに生々しい。 そして、修羅場の舞台となる稽古場には夏なのに雪みたいのがちらちら舞うし。

そんなに大暴れしたのに一座は金を持ち逃げされて解散せざるを得なくなって、みんなしょんぼりしんみりするのだが、その翌朝、旅館でふたりで(あーあやっちゃった.. って)ぼーっとしている加代と清がいて、このふたりを巡ってはお芳と駒十郎の間でもう一悶着ある。 あの子は帰ってくるわよってお芳が強く言ったらほんまに帰ってきて、清は駒十郎と喧嘩して、今度は清が駒十郎に「出てけ!」っていったら、駒十郎はまた旅に出ちゃうの。 で、駅の待合室にはすみ子が..

自分は旅役者として生きるしかないんだ、って周囲を散々罵倒して傷つけてきて、もう年も重ねたし少し更生する機会も出てきたかと思ったら結局血管ぶち切れの大暴れをして元の鞘、でも旅役者なんだから許して.. って今だったら許されないアウトローのように旅の日々に戻る。 ラストは『彼岸花』と同じように電車(馬車じゃない)が遠ざかっていくシーンだけど、向かう先は随分ちがう。

とにかく『小早川家の秋』と同じように(ほぼ同じキャラの)中村鴈治郎が入り組んだ路地の間をすたすた歩いていくだけで、西部劇みたいになにかが巻きおこる予感たっぷりなの。

あとは寂れた海辺の町の夏の風景がたまんない。ほぼ溶けたかき氷(イチゴ)、アイスキャンデーのきれいな赤、ガキがかじるスイカ、ラムネの水色の瓶に、月のように浮かぶ縁側の青い提灯とか。ああいう夏はいったいどこにー。

英語字幕だといろんな罵倒表現を学ぶこともできる。「あほ、どあほ!」は“You Prize Fool” とか。


2016年11月のシアトルで、あれが大統領に決まった時に背筋を走った不吉な予感が、ことあるごとに感じていた吐気が、あんなふうな終わりを迎えようとは誰が予想できただろうか。でもあそこまで放置してきた共和党もひどい。まだなにが起こるかわかんないけど。 一ヶ月後には少しは穏やかに笑顔になれていますようにー。

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