1.19.2021

[film] I basilischi (1963)

1月5日の晩、MUBIで見ました。

ここでやっている”First Films First”という – いろんな作家のデビュー作を紹介するシリーズからの1本。これはイタリアのLina Wertmüllerさんのデビュー作を4Kリストアしたもの。英語題は”The Basilisks”。すごくおもしろかった。

バジリスクっていうのは、ヨーロッパの想像上の動物でヘビとかトカゲとかの王様で、トサカもあったりして、とにかく強くておっかないのだが、見たらすぐ殺られるくらい禍々しく危険なやつなので誰も姿を見たことがない、そんなやつだって。

音楽はEnnio Morriconeで、撮影はフェリーニの“8½” (1963)を撮ったGianni Di Venanzoで、監督のLina Wertmüllerは“8½”の助監督をしていた、と。どちらも1963年で。フェリーニを言うならこれは彼の”I vitelloni” (1953) - 『青春群像』に似ていないこともない。けどこれは雄牛たちのお話しではなくてバジリスクのー。

イタリア南部のなにもなさそうな、死んだような町で食卓を囲んでスープを飲んでランチをとっている家族があって食べ終わってテーブルを離れるとそのままみんなベッドに横になってフィエスタをする(いいなー)。この様子がおもしろくて、教師は机で寝ているし、床屋は椅子でそのまま寝ているし、老人は数名で固まってしんでるし、お医者とか眠らない人達もいるけど、町全体ががらーんと死んでるかんじ。

戦後ようやく再オープンになった文化センターの落成式の日だって来ているのは昔を懐かしむ老人ばかりで、そこにはカルチャーなんてない。こんなふうに身体も文化も死んだような町の - 絵葉書に押されたまま100年くらい変わっていない様子がなんの装飾もなく - なんたって死んでるから – ドキュメンタリーのように描かれる。

お話しはここで特に定職も持たずに日々をだらだら過ごす若者3人 - Antonio (Antonio Petruzzi),   Francesco (Stefano Satta Flores), Sergio (Sergio Ferranino)の女の子をめぐる内輪揉めでも、お金とか仕事を求める修行のお話でも、都会(ローマ)に出ていく旅でもない、内部で暴発して崩れ落ちるような苦い青春のそれとも違う、ただひたすらうだうだしてどこにも行けない行かない姿を描く。この町は彼らをどこにも導かないしなんの学びも成長ももたらさない、いつも誰かが誰かのことを噂したりぶつくさ言ったり追ったり追われたりを繰り返して、でもなんの判決が下るわけでもない、それを十分にわかっていて覚悟 – というほどでもない、なんとなくそこにいるだけを繰り返している連中の彷徨いがたまんないの。

町には長い一本道が何本かと広場と坂と外れには遺跡みたいのもあるのだが、誰も観光になんか来なくて、二人組の女の子を二人組が追っかけたり毎日退屈なので夜にバルコニーに寝間着で出てくる「バレリーナ」を眺めたり、アメリカから来たレコード盤をかけたりとか、そんなことばかりしている(いいなー)。誰もいない広場で男の子が石畳に落書きかなんかしてて、そこにひとり歩いてきたAntonioが小銭を渡すと、その子が立ちあがって機械みたいにひょこひょこ踊りだす、そのシーンがたまんなくキュートで悶絶した。

ある日Antonioの叔母さん夫婦が来て彼をローマに連れていくと言いだして、そのまま車に乗せて連れ去ってしまう。Antonioを乗せた車から遠ざかっていく町の姿をとらえて、さよならAntonio、とか思っても彼はろくでなしなのであっさりそのまま戻ってきて、結局なんも変わらずに瞬時にいつものお喋りに戻るの。

繁栄を目指すわけでも滅亡が待っているわけでもない、数千年前からずっとそのままで子供は若者になり若者は老人になっていく、そんなふうにぐるぐる回っていく彼らの町とか彼らの日々って悲惨だろうか?  そういうのとは違うって、そういう世界があるっていうだけのことだって、例えばフェリーニの映画は、彼の映画の世界はそういうふうにあって、そういうのがなんでいつもイタリアだったりするのか、はわかんない。 これもいつも。 で、それはバジリスクなのか。


Phillip Spectorが亡くなった。 彼のWall of Soundは中学の頃からビートルズやストーンズよりもいっぱい浸かって聴いてきた。これからも聴くと思うけど、Rest in Peaceは言わない。さよなら。地獄におちやがれ。いじょう。

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