1.07.2021

[film] Dick Johnson Is Dead (2020)

12月30日の昼間、NetFlixで見ました。年内に見ていなかったやつのおさらい。

Dick Johnsonはドキュメンタリー映画作家/シネマトグラファーのKirsten Johnsonの父親で、シアトルに暮らす引退した精神科医で、認知症の症状が出てきている。10年程前に母親 – Dickの妻を認知症(& 階段から落ちた)で失っていることもあり、やがて間違いなく訪れるであろう彼の死を前に、Dick Johnsonが死ぬ、ということはどういうことなのかを、想像上の映像として記録してみようと思う。精神科医としてそういう相談や症例に接することもあったであろう父親は同意(ただ、どこまで理解していたのかは不明)し、彼女の撮影に協力していくことにする。

こうしてKristenは彼女のスタッフに声をかけて、Dick Johnsonが車に轢かれたり、落ちてきたエアコンに潰されたり、首からどばーって流血したり、といった”Dick Johnson is Dead”が決まるシーンをスタントマンとか血糊とか映画の仕掛けを使って丁寧に撮影していって、パパは娘のやることを面白がってついていって、それは彼が認知症の進行に伴って車と家を手放してKristenの暮らすNYに越してからも続いていく。

もちろん、娘がイメージする・見つめようと思う父の死と、父がイメージする自身の死のイメージは違って当たり前なのだが、でも共通しているのはそれがふたりにとって近い将来にやってくる避けられないものとして目の前にあること、認知症が進行中の父にとってはこういったことを自分が認知できるうちに - 過去の記憶を整理するのと同じように - やっておきたい、ということもあったのだろう。

ああこれって所謂「終活」? - ちがう。 なんでも「〇活」ってつけて消費を促進しようとする日本の糞で貧しいマーケティングには吐き気しかないのだが、これはDick Johnsonの死に向けた「活動」なんかではない。「活動」には終わりがあるけど、これはそういうものではないの。母が階段から落ちて亡くなった時から、どんなに親しい肉親もいつかは死んでしまうこと、その死の恐怖と向き合うことは避けられなくて、Kristenはその恐怖に自分の仕事である映画と愛 - 父への愛と映画への愛 - をもって立ち向かう。あるいは、愛がその恐怖を呼びこんだのかも知れない。 どちらにしてもこの愛は父と娘の間だけのものではなくて、Dickの母の死にまつわる記憶やKristenの子供達や友人たちにも及んで広がって感動的なフィナーレになだれこむ。(やられた)

このテーマはとても肌身に近いものだし、自分にももうじき起こることとしてここのところ手を見つめて考えないわけにはいかないあれでもあるので、あんま見たくないな、というのもあったのだがとてもよかった。ひとつにはDick Johnsonの飄飄とした - 昔のハリウッド俳優のような佇まいとユーモアがあって、もうひとつには淡々と自分の仕事を、自分の声と共にこなしていくKristenの強さもあると思う。家族の一員の死、を描いたそこらのお涙頂戴ドラマより、よっぽどいろんなことを考えさせてくれる。


Bloody Nose, Empty Pockets (2020)

これもドキュメンタリーで、12月28日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。
これもいつかは死ぬ、なくなる運命にあるなにかを描いている、

ラスベガスの外れにある一杯飲み屋 - Roaring 20sの最後の一日、昼頃の開店時から常連の酔っ払いがだらだら寄ってきて、だべったり歌ったりしながらそのまま夜になって、いろんな人達が夜の蛾のように提灯に寄ってきて呑んで喋って小競り合いもあったりして、というゆったり過ぎていく時間 – でももう戻ってこない - を切り取って繋いだもの。

アメリカでは批評家の評判がとてもよくて、確かに常連の酔っ払いやカウンターにいる人達のいっちゃったよい顔たちはアルトマンの群像劇に出てきそうなたまんない何かを映しだす。誰もが自分の行きつけの、今はコロナで潰れてしまったり入れなくなったりしまった思い出酒場を思い浮かべるに違いない。そして映画とはこういう時間と場所、そこに巣食う人々の表情をカメラにおさめるものだったはずだ、と。

でもお酒があんまし呑めなくて、こういう酒場であんまりいい思いをしたことがない人にとっては、そんなに来ないやつかもしれない。いっぱい呑めて笑って喋っていろんなことを忘れて(翌日にはそうやって起こったことも忘れて)楽しむことができたらどんなにかよかっただろう、ってこれまでに10000回くらい思ってきたと思うが、これを見ると間違いなくそういうことを思う、と思う。

あとこれって、自分らにとっての本屋とか映画館みたいなものだろうか? なくなったら死にそうになるくらい辛い、といういみで。いや比べるな、かしら?


英国の今日いちにちの感染者は62,322人、死者は1,041人。 そしてDCで起こったことの映像はひたすら恐ろしく、悲しい。
ここまでで、2021年が始まってまだ1週間、仕事が始まって3日目の、まだ水曜日なんだよ。今年はもうぜったいやってらんない。

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