1.28.2021

[film] King of the Hill (1993)

1月20日、水曜日の晩、Criterion Channelで見ました。1月末でいなくなるリストにあったから。邦題は『わが街セントルイス』。

Steven Soderberghの“Sex, Lies, and Videotape” (1989), “Kafka” (1991)に続く長編3作目。彼自身の脚本作品としては2作目。A. E. Hotchnerの同名の自伝的小説を基にしたもの。どうでもいいけど、A. E. HotchnerってNewman's Ownの共同創業者なのね。ここのパスタソースは輸入食品を試したり食べたり始めた時分に随分お世話になったし、アメリカに行った最初の頃、Paul Newmanのポップコーンはライフセーバーだった。

大恐慌時代のセントルイスで、居住用のぼろいEmpire Hotelに家族で暮らしているAaron (Jesse Bradford)がいて、学校では成績優秀のようなのだが、家族は仕事でいろいろ抱えて大変そうなパパ (Jeroen Krabbé)とママと弟と暮らしていて、そのうち弟はおじさんの家に送られて、ママは病気の治療でサナトリウムに送られて、Aaronとパパはケチャップをお湯で溶いたものでやり過ごしたりしているのだが、パパは仕事でしばらくの間行商に出るから/これがうまくいったらまたみんなで暮らせるから/お前は賢いからひとりでなんとかやっていけるだろ、くらいのノリでホテルに置き去りにされてしまう。ひどい。

ホテルの周辺で通行人をどつきまくる悪警官とか、通りにたむろするやな奴らにやばい取り立て屋に、ちょっと不良だけどいろいろ助けてくれるLester (Adrien Brody)とか、ホテルの中ではずるをしているポーターとか、黒人のエレベーターガールとか、住人だと癲癇を抱えて母とふたりで部屋にいる少女とかお金持に囲われている少女Lydia (Elizabeth McGovern)とか、いろんな人達が世界にはいて(そういうふうに世界はできていて)、日々のエピソードには事欠かなくて、滞納されている家賃をごまかしてロックアウトされずに生き延びていくために敵と味方がきれいに分かれて彼の前途に立ちふさがったり傍らにいてくれたり。やがて学校は卒業する時がくるし、ホテルはずっといられるわけではないし、大恐慌の闇は廊下のすぐ向こう、ドア板一枚向こうを覆いつつあって、どこまでも落ち着くことを知らない。

ものすごく陰惨でベタなお話しにしようと思えばいくらでもできそうなところを、知恵と勇気とちょっとしたヘルプと嘘八百で乗り切っていく下町の少年の痛快で爽やかな冒険譚に仕上げている。Aaronの頬っぺたがいつもぴかぴかでもうちょっと不健康ぽさを出してもよかったのでは、とか、悪意たっぷりの性悪大人たちに囲まれた地獄感を出しても、とか思ったけどバランスとしては絶妙で、この辺はヘミングウェイやドリス・ディの伝記作家でもあるA. E. Hotchnerの巧さなのだろうか。

Steven Soderberghの作品、として見ると(そんなにきちんと見ているわけではないけど)、彼はいつも生き残るということ、そこにおいて絶対に必要となる「お金」(≧ 愛)のことをテーマのひとつとして追っている気がする。”Magic Mike” (2012)なんかも、これもChanning Tatumの実体験がベースだし、こないだの”The Laundromat” (2019)とかも。あと、それを個人単独の問題や試練とかに寄せないで雑多で多面でユニークなアンサンブルのなかで描く、なぜならそれが(今の)世界なのだから、というドラマの見せかた。

Soderberghのアンサンブルを見るときにいつも思うのはRobert Altmanのアンサンブルとの違いで、Altmanの集団は「ヒステリー」がついてもおかしくないくらい全員が風邪をひいたり狂ったりの郎党感満載で突っ走って砕け散る、どいつもこいつものおもしろさがあるのだが、Soderberghの集団は機能分化していてドライで、個が集団に殉ずることはない気がして – そこにお金が絡むから? 彼らのありようが映画のトーンを決めているような。 でもどっちもおもしろいしどっちも好きだし、いかにもアメリカの集団の原型のように - 残念ながら野郎ばっかしだけど - 彼らっているよね。

あと、あたりまえのことだけど、主役のJesse Bradfordを筆頭にみんな若い。Adrien BrodyもElizabeth McGovernもKatherine Heiglも。 みんなよいかんじで歳を重ねてていいなー。


いろいろつまんないので、SkyのTVで“A Discovery of Witches”っていうのを見始めて、Series 2の真ん中くらいまで来た。
OxfordとVeneziaとFranceとMadison (US)を繋いだ魔女と吸血鬼の目覚めとか恋のお話で、”Twilight”サーガよりもスケールでっかくておもしろい(はず)と思うのだが、もうちょっとなんとかできないのかなあ、って。 Series 2に入ったら、16世紀のロンドンにスリップして、そしたらChristopher MarloweとかWalter RaleighとかHenry PercyとかJohn DeeとかElizabeth Iとかが出てきて、わーわー、ってなったのに、なーんであんな使い方しかしないのー。

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