1.17.2021

[film] 東京暮色 (1957)

1月6日の夕方にBFI Playerで見ました。小津を見ていくシリーズ。 英語題は”Tokyo Twilight”。
『エデンの東』(1955)を翻案したものだそうだが、そうかしらん?

冒頭は、浦辺粂子がやっている飲み屋でカウンターには田中春男がいて、そこに銀行員の杉山周吉(笠智衆)が来て、このわたとか的矢の牡蠣を頼んで、雪が350キロも積もっているスキー場とか志摩の賢島(かしこじま)とか、あんなところじゃないと育たない真珠の話とか、距離感がちょっと狂っているどこかの土地の話をする。

周吉は妻を亡くしてからずっと一人で、そこに乳呑み子を抱えた娘の孝子(原節子)が夫を見切って身を寄せていて、妹の明子(有馬稲子)は暗い顔であまり家に寄ってこなくて、ある日叔母の重子(杉村春子)が周吉のところに現れて明子がお金を貸してほしいと言ってきたのよ、という。

明子は遊び仲間で学生のけんぼう(田浦正巳)の行方を探していて、彼のアパートに行ったり同じ遊び仲間ののんちゃん(高橋貞二)に聞いたりしていると、五反田の雀荘のおかみ喜久子(山田五十鈴)が明子のことを探していたと聞いて訪ねていったりする。彼女はけんぼうの子を妊娠していて中絶するためのお金を工面しようとしていたのと、喜久子については自分の実の母なのではないか、という疑念をもっているのだが、周吉には疑われたり怒られたり、刑事にも怪しまれるし、どこにも居場所がなくなっていく。

こんなふうに映画はいろんなことに絶望して頰っ被りをして男たちや喜久子を追って身を崩していく明子とその明子を心配してマスクをして通りに出ていく孝子の、彼女たちの追跡劇 - なにを追っているのか? - を中心に、その反対側でほぼなにもしないろくでなしの男共を描く。 ほんと、ここに出てくる男共ときたらけんぼうも周吉も麻雀ばかりしているのんちゃんも、脇にいる山村聡も中村伸郎も突っ立っているだけでなにもしない役立たずばかりだし、元気に笑ったりしているのは重子くらい、バカをやるのはのんちゃんくらいで、全員揃って不景気な顔をしている。

中心にあるのが明子の絶望的な - 実際に絶望している表情と身振りなので小津の映画にしては暗いのかもしれないが、なにもしない無反省な男たちが引き起こした過去と現在のあれこれに振り回されて自由や将来を縛られてしまう女性、という空模様についてはいつものあれ、でそんなに変わっていない気がした。 それが終わりの方、珍々軒での明子の強烈なビンタと線路への飛びこみという形で唐突に終わるのにはややびっくりしたけど。

最後、「死にたくない、出直したい」と何度もいった明子の件を乗り越えて、親がふたり揃っていることは子供にとって必要なことだから、と夫の元に戻ることを決意する孝子、夫の仕事について過酷な北海道に旅立つ喜久子、孤独な一人暮らしの老人に戻る周吉、と人生いろいろで、彼らにとっては出直しになるのかそのまま暮れるばかりなのか、だし、これからもまったく変わらないであろう重子みたいのもいる、ていうのが東京の暮色なの。正直いって希望はあまり見えないかんじ。

この暮色を底として晩年の作品に顕著となる「結婚しない女性に幸せはこない」とか「ひとりで暮らす老後なんて可哀想」の思想に繋がっていくことはわかるのだが、そこに向かったとしても辛さしんどさ全体の総量はあまり変わらない気がする。(あくまで個人の感想です)

明子は除いて、そこまでの人生を通して圧倒的に可哀想だと思ったのはやはり喜久子のことで、最後に明子と対面する時の山田五十鈴の重く、でも繊細な演技はすごいったらない。中村伸郎が使いっ走りになるのも当然の貫禄というか。

全体はこんなふうに暗いのだが、全編でほのぼのしたマーチみたいな音楽(by 斎藤高順)がてけてけと静かに流れていて、あれはなんなのかしら? とか。

あと、周吉のオフィスを訪ねてきた重子はなんであんなふうに走ってトイレに行ったのか、とか。

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