11.14.2020

[film] City Hall (2020)

7日、土曜日の昼、Film ForumのVirtualで見ました。Frederick Wisemanの新作。4時間32分。

これを見始めた時点で米国の大統領選の勝者はまだ決まっていなくて(英国で決定の報道が出たのは これを見終わって暫くしたあと)、うううアメリカ..  っていう状態のなかで見た、と。

City Hallといったら市役所。前作の”Monrovia, Indiana” (2018)、その前の“Ex Libris – The New York Public Library” (2017)、更にその前の”In Jackson Heights” (2015)にはアメリカの具体的な地名が入っていたが、今回はそれがない。ボストン市の市長Marty Walshと市の職員やその周りの人達と市民との間の活動を追っているので、”Boston City Hall”としてよいのかもしれないが、そうしていない。そしていつものWisemanドキュメンタリーのように字幕もキャプションも一切ない。インタビューのように被撮影者が撮影者の方に向かって語りかける映像も一切ない。なので最初はここに映っているのがどこの街なのか、ここで喋っているおじさん(その他みんな)が誰なのか、これが何を目的とした集まりなのか、などなど全くわからなくて、それがだんだん、これはボストンなのか、このおじさんが市長なのね、とか見えてくる。Wisemanがそうしているのには全て理由があるのだが、そんなことよかおもしろいんだからまずは見てみ、になるのがいつもの。

市役所がやっていること、で誰もが想像できそうな仕事がほとんど網羅されているかんじなので、4時間を超えるのは当然かも。市のコールセンター (311)でのやりとり、市長と警察のミーティング、予算の説明、市庁舎での簡易結婚式(同性!)、Red Socksのパレード(優勝してたのか↓)の準備、いろんなタスクフォースでのいろんなやりとり、NPOのSenior Actionの活動、Housing Developerの法律家との会議(ボストンの災害の歴史が振り返られる)、建築現場、ホームレス対策、ゴミ収集(マットレスとか家具も食べちゃう清掃車がすごい)、ラティーノコミュニティとの対話、いろんな窓口での対応、ナースの集会、いろんな人々へのケア全般、戦争経験を語る会、大学のセミナー、Food Bankの開所式、考古学のArchival Centerのこと、植物プラント、幹線道路の監視、アニマルケアのシェルター、感謝祭、ホロコーストメモリアル、スーパーマーケットの誘致を巡るコミュニティミーティング、チャイニーズ新年にSt. Patrick Day などなど。2018年から2019年までに起こったことの一部。

例えば、自分がぜんぜん知らない会議やイベントをやっている会議室とか会場に入っていったら、ふつうになんだこれ?になるよね。この映画がやっているのはそういうことで、そういう場面がえんえん続いてもひとつとして「失礼しましたー」にならずに、すうっと議論に入れてテニスや卓球のゲームのようにそのラリーを食い入るように見てしまうのは、全体で数十時間分もそこで撮影したものの中から的確に選んで編集しているからで、個々の現場のおもしろさは勿論、それを切り取って繋ぐ不思議の魔法があるのだと思う。

こういう入り口の入りやすさはあるとして、もういっこはそこで議論されている中味ややりとりそのものが誰もがどこかで覚えのあることだから – どこかの土地(ただし民主主義)で市民とかやったことがあるのであれば – というのもある。これはWisemanのドキュメンタリーに共通していることでもあって、図書館とか美術館とかについてもそうだし、あるコミュニティのいろんなことについてもそうだし。これって我々ひとりひとりが社会とどう関わって暮らしているのか、っていうことの土台とか血管とか骨組みみたいなところ - 役所のパンフレットとかがイラスト図解で「わかりやすく」説明していることをこういうふうなんだよ、って生々しく – もちろん芝居じゃないし - 見せてくれる。これってドキュメンタリーに期待されがちな驚愕の真実!なんかとは全く異なる次元のものなのだが、気が付けばうんうんって1分に3回くらいは頷いている。

今回の映画を見ながら改めて思ったのは、市役所だと、市民に対するサービスを提供する機関です – それはそうなんだけど、ほんとに幅広くいろんなことをやっていて、それってサービスとかそういう枠を軽く超えていて、税金払っているかどうかとか受益者とか、そういうのに関係なくそこに暮らす人達ぜんぶの話を聞けるだけ聞いて彼らに向かってできることをぜんぶやろうとしているみたいで、えらいなー、って。でも社会ってそういうもの、そうあるべきものじゃないのか。

もちろんそういうことをやって予算超過したり赤字にならないかとか働きすぎにならないかとか裏ではあるのかもしれない。けど、やっぱりお役所ってそうやって社会を維持する – そこで生きるひとりひとりを守ったり救ったりするためにある組織であり機構なのだと、ふつうに思って納得して、こんなことでこんなにも腑に落ちて感動してしまうのはやっぱりあれよね… って。

例えばこないだの大阪の件について、自分は大阪に3回のべ10日くらいしか行ったことないのであんま言う資格ないかも、って黙っていたのだが、やっぱしあれってやり方そのものが異常で異様だよね。お役所の仕事って税金の対価としてのサービス提供、みたいな企業の営利追求の考え方でやっちゃいけないことだと思う。ごくふつうに人の道として。でもいまやあの国はそもそもの国がそこの(彼らがいらないと思っている)民を殺しにかかっているから。無知に偏見・無視・遺棄・隠蔽、などなどのオンパレードで。やだやだ。

そしておそらく、(彼はあの笑みを浮かべるだけだろうけど)Wiseman氏がこのタイミングでこういう作品をリリースした理由もこの辺にあったのではないかしら。彼には次にCovid-19対応に奔走する病院組織の奮闘か、今回の選挙の選管とか投票所の様子を撮ってほしい。やらないだろうけど。

自治体の長とか役職ある連中全員に見てほしいけど、たぶん連中はBoston市長の頭の中とかまったく理解できないだろうから、どちらかというと住民と上の板挟みでぐったり苦しんでいるお役所のスタッフの人たちに見てほしい。自分たちの仕事は本来こういうものだったはずだ、って思い出してもらえる気がする。(“Ex Libris”が図書館の人たちに希望を与えた - と信じている - のと同じように)
そして我々が見ると、ある地域に生きる、暮らすっていうのはこういうことか - 選挙でちゃんとした人を選ぶのはだいじなことね、って改めて。


ドキュメンタリー映画のお祭りDOC NYCがバーチャルで始まった。
ロンドンでやる予定だった音楽ドキュメンタリーのお祭り - Doc'n Roll Film Festivalはロックダウンで萎んでしまったので、この週末は(IFC Centerに思いを馳せつつ)DOC NYCをぼーっと見ていくことにした。
 

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