1日、日曜日の夕方、BFI Southbank – 映画館で見ました。153分の。
”Women Make Film: A New Road Movie Through Cinema” (2018)で紹介された映画特集からの1本。この中では5回、結構多く参照されていたので見てみたかった。ウクライナのKira Muratovaの作品で、ソヴィエト映画として制作されて、90年のベルリン国際映画祭では銀熊 - 審査員特別賞を受賞している。英語題は”The Asthenic Syndrome”。日本では公開されていない?
ものすごく独特で変なテイストの映画なのだが、目が離すことができない。これはなんだろ?って。
2部作からなる、と字幕で出て16mmのようなモノクロで、3人のおばさんが「みんなでトルストイを読めば幸せになれるー」って唱えていたり、男たちが猫の尻尾に缶からを付けようとして逃げられていたり、墓場のような場所で沢山の埋葬が行われようとしていて – たぶんどれも本当の葬儀の場なのでは - お棺から頭だけ出ていて、Natasha (Olga Antonova)も夫の葬儀をしようとしているのだが途中で耐えられなくなったのかそこを抜け出して、誰も乗っていない市電に乗って終点に来ると入れ違いで乗り込んでくる客達と大わらわになって、自分のアパートに戻ると亡夫の写真とか眺めてワイングラスを猫みたいにテーブルから落としたりクローゼットのものをぶちまけたり、病院(彼女は医者らしい)に行って医師や患者たちとごたごたして、そこらの酔っ払いを拾って部屋に呼びこんで寝て - 追いだして、そういう支離滅裂なNatashaを追って、でも最後にそれが上映されている映画の一部であることがわかる。
第二部は先の映画でNatashaを演じた女優さんと司会者がステージ上に立っていて、画面はカラーに変わっていて、壇上からこれから上映後のQ&Aをするので残っていってねー、と声をかけるのだがみんな目を合わせずにぞろぞろ出ていってしまう。そこで最後まで客席でぐうぐう寝ていたのが第二部の主人公のNikolai (Sergei Popov - 彼は脚本にも参加している)で、学校の教師をしているのだが The Asthenic Syndrome - 無気力症候群と診断されていて、人が行き来する地下鉄の通路だろうがなんだろうがどこでもすぐにぐうぐう寝てしまう性癖があって、そんな彼が日々を過ごしていくなかで遭遇したり通過したりする変な人達とかかわいそうな動物たちとか、彼の末路とか。
全体としてものすごく狂って腐った世界をドキュメンタリーのように描いている – この作品はペレストロイカ時代のソヴィエトで唯一公開禁止となったのだそう – のだが、主人公が現実にアタッチできない無気力症候群であることによって全てが悪夢とか白昼夢のなかに浮かんでいるようで、それがよくもわるくも絶妙な軽妙さをもたらしていて、でも夢は、どんな夢でも存在するものだからたちが悪いし、夢と呼ぶにはあまりにも微細に具体的に目のまえにあるので、きついかんじもするし。
第一部の方は約40分くらいで全体からすると第二部の方が圧倒的に長いのだが、描かれている世界 - 映画と現実 – にそんなにギャップはない。第一部は何があっても見ても出会っても嘆き悲しんで壁に頭ぶちつけて手をつけられなくて、第二部は同様に何があっても眠りに落ちて視界を閉じてしまう – 彼らはどこまでも圧倒的に無力で無害で隙があれば眠りにおちたり移動したり。Natashaは肉親の死を嘆き悲しむことで社会から切り離され、Nikolaiは熊に会ったときのようにどこでも眠りこけるのでやはり社会からみればいなくてよい存在 – なにしろ無気力症候群という病気なんだから – とされてしまう。
そういうかたちで投影される社会の病理、という言い方もまた、無気力の名の元に無効化されてしまうので、ここには無限ループのようなしょうもない状況があって、それこそが今の(当時の)我々の状況なんだよ、って。最近はやりのディストピア、とも違って、社会がどこかに向かって循環しているかんじが全くしない。ソヴィエト/ロシアという国への直接の言及もない。でもこういう場所があることは想像できる。 ブリューゲルの絵の実写版のような。
80年代初くらいには日本の若者にも無気力症候群とかしらけ世代と呼ばれた頃もあった。(あと、若者の右傾化はこの頃から言われていて、朝日ジャーナルとかで特集されたり) もちろん背景は全く異なるので簡単にそうそう、なんて言えないのだが、映画がこのタイトルの元に叩きつけようとした風景 - 風景のありようはなんとなくわかる - 例えば第一部の市電の描写のところとか、ものすごく。
これが約30年前って..
アメリカの選挙報道(CNNとCNBC)がおもしろくてずーっと見ている。
基本は入ってくるデータと過去のデータを中心にずっと数字の話をしているだけなの。今こういう数字が入ってきたがこれをこれまでの数字統計に掛け合わせるとこうなるはず、って手元で計算して、その確度は、とか全体で見ると、とかを州や郡のレベルで掘って積んでを延々繰り返しやっているだけなのに、おもしろくてもう通算40時間くらい見ている。 くだんない学者や「識者」のコメントなんて本当にいらないんだよ。数字が全部語ってくれるし、そうすることで自分の一票はこういう形で活きて使われるんだ、っていうがよくわかるし(投票していなくてもね)。
そこいくと日本の選挙報道(っていうよりショー)は政治への興味を失わせるためにやっているとしか思えないわ。
それにしても、ずーっと「253」だな。
11.07.2020
[film] Astenicheskiy sindrom (1989)
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