11.27.2020

[film] Wojnarowicz (2020)

16日、月曜日の晩、DOC NYCで見ました。

オリジナルタイトルは”Wojnarowicz: F--k You F-ggot F—ker” (2020)で、4月のTribeca Film Festivalで上映される予定だったが延期されて、ここでの上映がワールドプレミアとなった。

1992年に37歳で亡くなったアーティスト、アクティビスト、思索家 - David Wojnarowiczの評伝ドキュメンタリー。活動が多岐に渡って、同時代のKeith HaringやJean-Michel BasquiatやRobert Mapplethorpeのような解り易い軸がなかったせいか余り知られてこなかったが、この映画の最後にも出てくる2018年のWhitneyでの回顧展 – “David Wojnarowicz: History Keeps Me Awake at Night”で彼がやってきたことが現代とのリンクも含めて再発見された。彼が遺した絵画、日記、メモ、フィルム、オブジェ、留守電のメッセージまで収集できる限りの「作品」を彼の作品さながらにMixしてコラージュして、彼の痛みと怒り、彼はそれらを抱えてどう戦っていったのかを描く。

NJのDVまみれの壊れた家庭で育ち、母は子供達を連れてNYのヘルズキッチンに移って、でも家には寄り付かずにストリートで(おそらく)男娼のようなことをしながら落書きや絵を描き始めて、ストリートアートやアンダーグラウンドの盛りあがりと共に立ちあがりつつあったNYダウンタウンのギャラリー界隈で注目されるようになって、それをうまく使ったり使われたりしながら、注目されるようになっていく。

他方で当時の画壇の投機的な先物買いのやらしい動きも察知していて、打ち棄てられていた西の埠頭で大規模な展示を組織したり、ホモフォビアな落書き(この映画の副題)をそのまま作品にしたり、どこまでもマイナーでアングラで卑猥で猥雑であろうと – それを理知的かつ詩的に展開して周囲を驚かせたり、留まることを知らない変幻自在・神出鬼没のクィアであろうとした。

当時のアーティスト - Kiki SmithやNan GoldinやRichard Kernとの交流の他、特に写真家のPeter Hujarとの出会いは大きかった。 彼については2018年にThe Morgan Library & Museumで“Peter Hujar: Speed of Life“という回顧展があって、自分はその翌年、パリのJeu de Paumeに来た同展示を見た。Susan SontagやFran Lebowitzのポートレート写真は彼のがベストだと思う。 尚、Fran Lebowitzさんはこの映画でもコメンテイターとして出てきてPeterとDavidの関係について語っている。Morganのサイトには展示の際に行われたイベント“An Evening with Fran Lebowitz: On Peter Hujar“のトークの動画があるので見てほしい。Peterの運転手をしていたというFran Lebowitzさんが語る70年代のNY、Peterと一緒にTennessee WilliamsやDolly Partonと会った話、NYの名画座のこと、この映画にも出てくるPeterのお葬式のこと、等々おもしろいの。

やがて87年、父のように慕っていたPeterがAIDSで闘病の末亡くなると、彼は矛先を明確にAIDS治療や対策に乗りださなかった当時のレーガン政権やFDAの方に向け、自身のアートやメッセージ、行動をそちらの方に振り向けていく。のだが、そのうち彼自身がAIDSであることが判明して..

“History keeps me awake at night” – という夜の彷徨いが彼の活動の発火点であり、”Awake“という状態がもたらす災厄との戦いの記録だった気がするのと、彼が今ここで注目されているのはレーガンの直系であるトランプに対するLGBTQからの、マイノリティからの改めて(何百回でも続く)のカウンターでありナイフ投げなのだと思う。そうすると当時のAIDSに対する無策といまのCovid-19に対する無策が、(時代は少し後ろだけど)ロサンゼルス暴動とBLMが対照して見えてならない。
夜くらいは安心して眠りたい。でも”Silence = Death”なのだ、と。

ていうののB面としては、改めて当時 - 70年代末~80年代初のNYのダウンタウンシーンの層の厚さを。この映画の音楽は彼が初期にメンバーだった3 Teens Kill 4のが使われているのだが、つんのめって痙攣していんちきくさくて、「正統」ぽい何かからどこまでも遠ざかろうとする、遠ざかった果てに崖から落ちたってしるもんか、の無謀さと適当さで突っ走って飄々としている。そういうかっこよさ。

こないだ出たOlivia Laingさんの本 - ”Funny Weather - Art in an Emergency”の表紙には彼の”Untitled (Face in Dirt)” (1992-93)が使われていて、2016年に書かれたDavid Wojnarowicz論が収録されている。簡潔にまとめられた論考なので読んでみて。


政府から来週の、ロックダウン明け以降の計画が提示されて、地域別でやかましい校則みたいな匂いがして、あんま守られないかんじたっぷりなのだが、そこまでしてクリスマスをやりたいのか、ってその熱にちょっと感動した。でも自治体が出す計画ってふつうこういうもんよね。

わたしの半分くらいはアメリカの方を向いて考えたり動いたりしているので、サンクスギビングに入るとお休みモードになる。のでほぼ仕事しなかった。かまうもんか。

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